暇なので、ストーン・ローゼズについて書いてみたい。ただ、それほど私は詳しくなく、資料も見ないで思いつきで書くだけなので、事実と違う部分も多分にあるかもしれない。2005.10.18ダークロ
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石と薔薇 INDEX
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ストーン・ローゼズ?なにそれ? |
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レビューその1 レビューその2
ググっても、あんまり出てこない!
ストーン・ローゼズとは、イギリスのギターロックバンドの名前である。活動時期は84年から96年。バンド名はギターのジョン・スクワイアが考えた。ハタから見ると、ガンズ・アンド・ローゼズとローリング・ストーンズという2つの有名なバンドの言葉が入っている点が気になる。このバンド名の類似はマイナス要素になっていると思う。アメリカではほとんど無名に近かった。日本では洋楽雑誌「ロッキング・オン」の当時の編集長・増井修の強力なプッシュの結果、ファーストアルバムが1週間で2万枚を売り上げた。 |
マンチェスタームーブメント(マッドチェスターとも言われる) |
TOP △ |
「グッド・モーニング・ブリテン!」(アズテックカメラの曲名より) イギリス・マンチェスターを中心に、80年代の終わりになると、新鮮な感じのギターバンドが現れるようになった。今まで陽も当たらぬ片隅でしょぼくれたライブを繰り広げていた労働者階級の若者のバンドが、いきなりポップ・カルチャーの先頭へとつきだされたのである。 |
うろ覚えのまま勝手にマッドチェスターの背景を解説!
シカゴで生まれたダンスのジャンル「アシッドハウス」が、60年代からヒッピーの聖地だったスペインの「イビサ島」へ渡り、当時イビサ島で流行っていた幻覚剤「エクスタシー」と共にイギリスにもたらされた。その結果なにが起きたかというと、ヘロインで無気力状態になっていた労働者階級の若者たちが元気になったのである。元々、社会保障が素晴らしいイギリスにおいては、若者は働かないでも失業保険などで生きていけるので、カルチャーに偏りがちな側面があった。元気になって、さらに働かない若者は、「レイブ」と呼ばれる野外のダンスパーティを夜な夜な行なうようになった。後にイギリス政府は「クリミナル・ジャスティス・アクト」(1994年)という法律を制定してレイブを取り締まるほどのもりあがりだった。マンチェスターこそは労働者階級の町。あのエンゲルスが「イギリスにおける労働者階級の状態」をこの町に滞在した経験から書いたくらいである。いきなり現れたこの現象に音楽産業は注目した。ポップ・アイコンが音楽業界に求められたのである(多分)。
ポップ・アイコンとなったマッドチェスターのバンドたちのステージ衣装は、なぜか全員が普段着。下に並べた写真の服装そのままでステージに上がった。さらに想像で言えば、「労働者ってオシャレ!」なイメージが、このマッドチェスターを皮切りに国民に植えつけられた気がする。マッドチェスターが、労働党の政権奪取につながった可能性もあるのではないか? | |
ハッピー・マンデイズ
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シャーラタンズ
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インスパイラル・カーペッツ
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そして、ストーン・ローゼズ
マンチェスタームーブメントを語るとなると、人それぞれいろいろな見方があると思われる。イギリスのインディシーン的には、享楽的なダンスビート。明るい精神性。などが挙げられ、もっと大きな視野で見ると、60年代ポップスっぽい。ビートルズの模倣。といった考え方もできる。さらに明らかに今までのバンドたちと違う点といえば「演奏が上手かった」ということが挙げられる。特にマンチェスター勢はベース奏者にすばらしい人材が多く、ライブの時に演奏を支えて大活躍した。それまでのインディバンドたちは、総じてアルバムの出来はすばらしいが、ライブになるとからっきしな部分が多かった。たとえば、プライマルスクリーム、キュアー、ジーザス&メリー・チェイン、ニューオーダー。彼らはライブになると総じて悲惨であった。大きな視野で見て、とんでもなく下手くそだったのである。ストーン・ローゼズもボーカルに弱点があるが、それを補って余りあるリズム隊がライブで演奏を引っぱっていた。
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初期のローゼズ。1枚目のアルバムを出す前に、何年もの長い下積み生活を続けた。イアン・ブラウン(前列左)とジョン・スクワイア(前列右)を中心に84年ごろ結成。84年後半にドラマーのレニ、87年11月にベースのマニが加入した。
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イアン・ブラウン
(ヴォーカル) |
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ジョン・スクワイア
(ギター) |
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マニ
(ベース) |
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レニ
(ドラム) |
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01:ゲッティング・プレンティ
02:ヒア・イット・カムズ
03:トラスト・ア・フォックス
04:トラジック・ラウンドアバウト
05:オール・アイ・ウォント
06:ハート・オン・ザ・ステイヴス
07:アイ・ウォナ・ビー・アドアード |
08:ディス・イズ・ザ・ワン
09:フォール
10:ソー・ヤング
11:テル・ミー
12:ハッドドック
13:ジャスト・ア・リトル・ビット
14:ミッション・インポッシブル
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彼らの代表作は1作目の「ストーン・ローゼズ」(邦題:石と薔薇)だが、1作目の前に彼らはレコーディングをしている。85年にレコーディングされ、発売されずにお蔵入りとなった作品こそが、これである。この作品は96年11月に発売。バンドの2作目にして最終作「セカンドカミング」が発売された94年12月のおよそ2年後に発売された。プロデューサーはマーティン・ハネット。ジョイ・ディヴィジョンのプロデューサーとして有名だが、インディバンドのプロデュースを何件もかけもちで仕事をすることが多く、適当な作業がこの作品でも目立っている。
07:アイ・ウォナ・ビー・アドアード・・・1枚目のアルバムにも収録された。エフェクトがチープ。ベースが違うだけで曲の表情がこんなにも違うものなのかと驚く。
08:ディス・イズ・ザ・ワン・・・この曲も1枚目のアルバムに収録された。曲の感じがまるで違う。思わせぶりな前奏がないので曲自体が軽い。ギターも当時はだいぶ一本調子だったんだな。
10:ソー・ヤング・・・ファーストシングルのA面。最初っから自信たっぷりな歌い方をしていたんだと分かる。ギターのオーバーダブの処理の意味が分からない。ドラムが最高なだけに、もうちょっとなんとかなった気がする。
11:テル・ミー・・・冒頭のギターとドラムのかけあいがいい感じだけど、音が軽すぎる。なんかもったいない。ボーカルが入りはじめてから演奏がバラバラになってる。ベースとドラムが合ってない。最後でボーカルが「アイ・アム・ア・ガレージ・フラワー」と歌う部分がかっこ悪い。
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1. Sally Cinnamon (Single Mix)
2. Sally Cinnamon (12" Single Mix)
3. Here
It Comes
4. All Across The Sands
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1987年発売。ローゼズのその後の方向性を決めつけるものとなったシングル。「サリー・シナモン」はオリジナル・アルバムには未収録とはいえ、ベスト・アルバム「ザ・ヴェリーベスト・オブ・ザ・ストーン・ローゼズ」収録曲に選ばれている。
サリー・シナモン・・・「Until Sally I was never happy」という冒頭の歌詞に、ハッとした。私は別に英語をしゃべれるわけではないので普段は歌詞を気にすることはないのだが、たまにこういう自分の深層心理をつかれたフレーズに出会うと、なぜか英語なのに歌詞がいつまでも後に残る。たとえばこれに近いフレーズだと、ブラインドメロンの「No
Rain」の冒頭「All I can say is that my life is pretty plain」だろうか。ろくでもない生活が続く時、そこから出てくるため息が、自分と同じものなのだ。「なんか、もう、本当につらいんだな」という雰囲気を感じるのだ。自分に限りなく近くなるのだ。全てのポップスとかロックとかが、自分にとって大切なものになるとはとうてい思えないけど、実際のところ、この曲のようなものがないとつらすぎて生きていけないのが現実だ。最初はドラッグ賛歌の曲だと思った。つぶやくような歌声と、だんだん明るくなっていく曲調が素晴らしい。聴きこむにつれて、うつむきがちな目線が上に向かってくる。気持ちが盛り上がる。不安定なギターのラインと不安定な心象風景が絶妙に絡み合っている。ソロになってからのイアン・ブラウンの日本公演で、アンコール曲としてこの曲を披露したこともあった。ストーンローゼズのシングル「アイ・ウォナ・ビー・アドアード(日本版タイトルは「憧れられたい」)」の中にこの曲のライブバージョンがある。このライブバージョンを聞くと、あまりの音程の外し具合に最初は驚くが、もはや歌というよりも語りに近いようなボーカルの不思議な力のせいで、歌詞がクリアにリアルに聞こえてくる。このサリー・シナモンのライブバージョンを撮った時、実は他の曲も録音されていて、プートレグ「ALL
THE COLORS FADE」(今は違うタイトルがついているかもしれないが)で聴くことができる。たぶんこのプートレグがローゼズのライブにおける最高傑作だ。ブラックプールでのライブ映像がビデオ&DVDで売られていたが、「ALL
THE COLORS FADE」にはかなわない。今後、ローゼズの作品が出るとしたら、たぶん「ALL
THE COLORS FADE」になるのではないだろうか。
ヒア・イット・カムズ・・・第一印象としては、ボーカルが失神寸前みたいに弱々しく感じた。曲の展開が波のようにうねっていて、盛り上がりが最後にきている。
オール・アクロス・ザ・サンズ・・・ボーカルの朴訥な調子が印象的な冒頭。逆にボーカルが力強い。たどたどしさとみずみずしさが微妙に混ざりあったギターも魅力。2分40秒が短すぎる。ロングバージョンを聴きたくなる。 |
Until Sally I was never happy
I needed so much more
Rain clouds oh they
used to chase me
Down they would pour
Join my tears
Allay my fears
Sent to me from heaven
Sally Cinnamon
You are my world
I pop
pop pop blow blow bubble gum
You taste of Cherryade
There is something
here you must show me
From what you are made
Sugar and spice
And all
things nice
Sent to me from heaven
Sally Cinnamon
You are my world
Your eyes are gazing back from
Every little piece of glass
You
seem to smile from every place
Sally Cinnamon
You are my world
Then I put the letter back in
The place where it was found
It's a
pocket in a jacket
On a train in town
Sent to her from
heaven
Sally Cinnamon
Your her world |
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Your Time Will Come・・・87年のライブからの曲がプート、ネットで出回っていた。ファーストアルバム前のライブでは演奏されたが、作品として残っていない。サリー・シナモンに近く、暗さを持ちながらも明るさがあって、勇気づけられる。なぜこの曲がアルバムに入っていないのだろうか? |
1作目のデモ(プートレグ)
エレファント・ストーン・・・手を加えないとここまで違うのかと思うほどのレベル。爽やかな印象があって面白い。きらびやかに軽やかに駆け抜けるギターが素晴らしい。
シュガー・スパン・シスター・・・曲の盛り上げ方がアルバムバージョンよりもわざとらしくなくていい。
ザ・サン・スティル・シャイン・・・お蔵入りとなったみたい。たしかに単調で発展性もなく、古めかしい。でも明るさがある。
ゴーイング・ダウン・・・もともとの曲として、完成度があるのが分かる。 |
1作目のデモとしてプートレグが残っているが、その中のエレファントストーンのアコースティックバージョンなどを聴くと、非常に古めかしく、60年代っぽい。彼らのそのままの才能では、アルバムがこれほどの傑作にはならなかった。プロデューサーはジョン・レッキー。彼がいかにトータルコーディネートするのが上手いかが分かる。ピンク・フロイド「原子水母」から経歴をスタートさせたせいかもしれないが、XTC、レディオ・ヘッド、クーラ・シェイカー、そしてストーン・ローゼズなどを聴けば分かるように、作品全体を1ランク上の次元に持っていく才能にあふれている。ただ、あまりにも独特な手法のため、アルバムの何曲かだけを手がけた場合、アルバム全体の統一性が損なわれるようだ。この人に任せる場合、1枚丸ごと手がけてもらうのが原則であるように思う。ストーン・ローゼズの2枚目のアルバムも途中まで手がけているが、彼らのあまりにも享楽的なノリ(単なるサボリ)についていけなくなって途中降板してしまった。
ジョン・レッキー
アビー・ロードスタジオのエンジニアとしてキャリアをはじめる。ジョージ・マーティン、フィル・スペクターのアシスタントとして経験を蓄える。ピンク・フロイドの「原始心母」などの製作を経て実力をアピール。その後、80年代イギリスの「パンク/ニューウェーブ」時代のプロデューサーとして活躍。脇役に徹しつつ的確なサポートを見せる性格も評価が高い。
主なプロデュース作品・・・
XTC「ホワイトミュージック」(1978) マガジン「リアル・ライフ」(1978)
フォール「The Wonderful And Frightening World Of The Fall」(1984)
ザ・ストーンローゼズ「石と薔薇」(1989) ヴァーヴ「ア・ストーム・イン・ヘヴン」(1993)
レディオヘッド「ベンズ」(1995) クーラ・シェイカー「K」(1996) ミューズ「ショウビズ」(1999)
buzz 97年3月号より
(前略)
●ああ、なるほど。それではここでちょっとローゼズの1stについて改めて話を伺いたいのですが。今振り返ってみて、あのアルバムの全体を覆う夢でも見ているような、それでいて強烈な覚醒をともなうワン・アンド・オンリーの陶酔感を生み出したものは一体何だったと思いますか?
「同じ時間と同じ場所に稀有な才能が奇跡的に集まったからこそ実現した、ってことだろうね。ジョンにしろ、レニにしろ、イアンにしろ、マニにしろ、それぞれが通常の基準では計り得ない独創性を持った表現者だった。大体ああいうスタイルの楽曲を演奏するバンドでドラマーがジャズ・ロック指向だったり、ギタリストがジミ・ヘンドリックスのアタック感を持つメロディアスな60’sウエスト・コースト・サウンド指向だったり、ヴォーカリストが中性的な声をしたファンク/レゲエ指向だったり、ベーシストがハウス/ダンスミュージック指向だったりするケースなんて、僕もこの業界長いけど全く初めてだった。しかもそういう共同体が同じ目的を持って火花を散らしつつ「今まで誰も聴いたことがない音世界」を追求してたんだから、プロデューサーの僕としてはそのマジカルな瞬間をできるだけ忠実にレコードへ刻みつけることさえすればそれでよかったんだよ。あとは各曲の構成に起承転結をつけて全体的な統一感だけ出せば完成形になったわけだからね」
●解散後にまたまたシルヴァー・トーンからリリースされた1stアルバム以前のレコーディング集「ガレージ・フラワー」を聴くと、あなたがいかにあのローゼズのサウンドに貢献していたかを推し量ることができます。例えば「これから何かとんでもないものが始まるぞ!!」という期待感と不安感を煽るあの”アイ・ウォナ・ビー・アドアード”のイントロ、あれはまさしくあなたの功績によるものだったのですね。
「そう、あのイントロには非常に気を遣ったな。何たって彼らだけのマジックとドラマティックな雰囲気を瞬時に予感させるような導入部を作らなきゃならない訳だからね。バンドの4人には何日も頑張ってもらったよ。第三者が言葉で説明してすぐ音に再現できるような種類の感覚じゃないし、彼ら自身の中から絞り出さなきゃならないストーン・ローゼズの「序章」だからね。彼らに気が遠くなるほどのジャム・セッションを重ねてもらった後、その膨大なテープの中から何日も徹夜して選びに選び抜いたフレーズの数々なんだ、あれは」
●へぇ、そうだったんですか。それじゃあれ、あの”アイ・アム・ザ・レザレクション”の後半延々続くインスト部分、あれなんかちょっと他の作品じゃ得られない感覚なんですけど。そもそもどういうきっかけから生まれたものだったんですか?
「あれもスタジオ内で彼らがジャムってる最中、偶然発生したインプロヴィゼーションでね。あれは原曲には全く含まれてなかったパートで、僕も彼らも最初は予想もしてなかった出来事だったんだ。あの日は重要なパートを録ってた日で、レコーディングが無事終えた後もジョンがノリにノッていて、いつになってもギターを弾くのを止めないんだよ。それをア然としながら見ていたレニとマニがそのうち釣られて演奏し始めて、それをイアンが「いいぞ!もっとやれ!!」って叫びながら奇声を発して煽るんだ(笑)。それでだんだん大変なことになってきたんだよ。でもって僕はそういう即興的ハプニングを効果的に作品の一部として録るのは決して嫌いなほうじゃないから、これをただのデモとして埋もらせておくのは勿体ないと思ってね。ジャムが一段落ついた時点でバンドと相談し、その後また膨大な時間をかけて最もインパクトのあるフレーズを慎重に吟味していったんだ。だからあのエンディングは一聴するとただのジャム・セッションをそのまま録ったように聴こえるかもしれないけど、実はかなり綿密に選択され構成されたものなんだよ。これはローゼズの知られざる一面というか、相当複雑なことを何気ないナチュラルなものとして表現できる彼らの特異な才能の賜物なんじゃないかな。・・・それもまあ、当時はバンドが一丸となっていて、お互いに対する揺るぎない信頼があったからこそ実現したことなんだろうけど」
(中略)
「あと、ローゼズの連中とパーソナルな関係を築き始めた頃、最も驚いたのは彼らの音楽に対する自由な姿勢でね。自分達が演っている音楽とは全くかけ離れたもの、つまりハウスやヒップホップやレゲエをみんな普段聴いていて、あろうことかメンバー全員がパブリック・エナミーのレコードに合わせて全曲の歌詞を歌えるんだよ。しかも一字一句間違わずにね。あれにはさすがの僕も度肝を抜かされたよ。「俺達そういう音楽も好きなんだ」的なレベルなんかじゃ全然ないんだ。そういう点ではクーラ・シェイカーは自分達の好きな音楽が確立されているというか、自分達とかけ離れている音に対してはローゼズのようにクレイジーな反応の仕方はしないよね(後略)」
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01:アイ・ウォナ・ビー・アドアード
02:シー・バングス・ザ・ドラムス
03:ウォーターフォール
04:ドント・ストップ
05:バイ・バイ・バッドマン
06:エレファント・ストーン
07:エリザベス・マイ・ディア |
08:(ソング・フォー・マイ)シュガー・スパン・シスター
09:メイド・オブ・ストーン
10:シュート・ユー・ダウン
11:ディス・イズ・ザ・ワン
12:アイ・アム・ザ・レザレクション
13:フールズ・ゴールド
89年4月発売 |
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ストーン・ローゼズ1枚目のアルバム。イギリスのナショナル・チャートで初登場35位。私の頭の中でいまだに流れ続ける、まさにタイムレスメロディ。キラキラしたギターとノリのよすぎるリズムは一度ハマると抜けられない中毒性を持っている。大きな視野で曲そのものを見ると、古臭いザ・バーズのような懐古趣味も感じられる。しかしライブやインタビューで吐き出される様々な「威勢のいいアンちゃん」的な言動がユースカルチャーの先導役を果たした。「90年代の主役はオーディエンス」という発想が斬新で、ライブの時も客に照明をあてたりしていた。ライブはアンコール一切なし。さらに40分くらいで終了していた。歌詞の内容には、聖書からの引用やイギリス王室批判など挑発的な部分もある。滝であったり、隕石であったり、炎に包まれた少女であったり、大きなイメージが噴き出るような造り。庶民の市民生活の1コマを切り取って「これがエンターテイメントなんだ」と歌ったジャムや、「(今夜限定で)おれはロックンロールスターなんだ」と歌ったオアシスらに比べ、狭い世界から逃れ出て、どこか別の世界へ行っている。逆説的に、長年の生活から来るプレッシャーが積み重なった結果だとも言える。
01:アイ・ウォナ・ビー・アドアード・・・1曲目でいきなり気づかされるのが、お経のような独特の抑揚を持つボーカルスタイル。どんなに演奏がもりあがっても、あくまでも醒め続けている。
02:シー・バングス・ザ・ドラムス・・・キラキラしたギターにノリのよいリズムが調和している。単純なリズムのようでいて、複雑な起伏を感じさせる。独特の処理を施されたボーカルが、軽やかに駆けぬけていくのが気持ちいい。ギターの間奏のオーバーダブにジョン・レッキーが小技を利かせている。
03:ウォーターフォール・・・非常にとっつきやすい反面、バックボーカルの使い方や単純なギターリフの繰り返しが、懐古趣味たっぷりにも聞こえる。
04:ドント・ストップ・・・当時はやっていた多幸感たっぷりのドラッグ「エクスタシー」の影響下にあるような、ドラッギー感たっぷりの曲。単にウォータフォールのデモテープを逆回転させてバスドラムをかぶせてボーカルを乗せただけの曲。テープの逆回転というのはレゲエのダブの最初期の手法だが、シングルのB面としてではなく、アルバムの中に入れたところに彼らの自信を感じる。夢の中に引きずりこまれていくような感覚を味わえる。同系列の作品に「エレファント・ストーン」を逆回転させた「フル・ファゾム・ファイヴ」がある。
06:エレファント・ストーン・・・ハイパーなダンスビート。3分間ポップの金字塔。個性的な曲。キラキラギターの陰にはおそろしくタイトなリズムがある。
09:メイド・オブ・ストーン・・浮遊感がある。エコーの処理のせいで懐古趣味にも聞こえる。ボーカルが冷静すぎる部分に新鮮さを感じる。ドラムとベースだけぬき出して聴いてみたい。
11:ディス・イズ・ザ・ワン・・・単純な言葉をここまで力強く演奏しているのが感動的。叫び続け、歌い上げられる言葉は「THIS IS THE ONE」。私が初めて聴いたローゼズの曲がこれで、ラジオで流れていた。たまたまラジオを録音していたので、何度も何度も聴き続けることができた。私が生涯で一番多く聴いた曲かもしれない。1ヶ月間、この曲だけをエンドレスで聴き続けたこともある。バンド名もおぼろげにしか分からなかったのでCDを探すのに手間取った。この曲の雰囲気からメタルバンドかと勘違いしていて、違うジャンルの売り場で探し続けた。
13:フールズ・ゴールド・・・日本版のボーナストラックとして収録。もともとのアルバムではこの曲は入っていない。シングルとして発売された。ローゼズの代表作として評価されている。当初、シングル「ホワット・ザ・ワールド・イズ・ウェイティング・フォー」のB面として製作しただけにすぎなかったが、レコード会社のロディ・マッケンナの意見で両A面としてリリースされた。ハウスのノリを完全にミックス。ささやくようなボーカルの下にファンクが流れる新鮮な印象。「セカンド・カミング」発表時の日本公演のいくつかで演奏されたが、まったく別の曲に聞こえた。 |
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THIS IS THE ONE
A girl consumed by fire
We all know her desire
From the plans that she has made
I had her on a promise
Immerse me in your splendour
All the plans that I have made
This is the one
This is the one
This is the one
This is the one
This is the one
She's waited for
This is the one
This is the one
This is the one
Oh this is the one
This is the one
She's waited for |
I'd like to leave the country
For a month of Sundays
Burn the town where I was born
If only she'd believe me
Bellona belladonna
Burn me out or bring me home
And this is the one
This is the one
This is the one
This is the one
This is the one
This is the one
She's waited for
This is the one
This is the one
This is the one
Oh this is the one
This is the one
I've waited for
以降、
It may go right
It may go wrong
を挟んで繰り返し・・・。 |
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Bellona belladonnaって?
たぶん語呂がよかったのだろうが。
Bellonaは
【名-1】 《ローマ神話》ベローナ、戦争の女神
【名-2】 長身の美人
belladonnaは
【名-1】 《植物》ベラドンナ、セイヨウハシリドコロ◆ユーラシア原産で、ナス科の有毒の多年草。
植物の液を薄めて点眼すると瞳孔が拡大し,瞳が大きく輝くように見えることから,ベラドンナ(美しい貴婦人)の名がつけられた。
美しき毒花!すごくいい女だけど、毒がある。「綺麗な薔薇には棘がある」みたいな女性のことか?
ただの「素晴らしい美女」だけではなく、挑発的な響きを持たせたところにこのバンドの性格が出ているのかもしれない。 |
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1990年1月30日、レコード会社FMリヴォルヴァーの事務所にローゼズが突如乱入した。リリース当時はまったく売れなかったシングル「サリー・シナモン」が、バンドのブレイクをきっかけに売れはじめたためにFMリヴォルヴァー社が便乗してこの曲のプロモーションビデオをバンドの承諾を得ずに製作したため。バンド側は大激怒。青と白のペンキを用意した4人は、会社の事務所や車をペンキまみれにした挙句、会社の社長までペンキで襲いかかり、社長のガールフレンドまで襲いかかった。襲撃後にメンバー4人は逮捕された。バンドのPRを計算に入れての行動だった。 |
90年5月27日、人気絶頂のローゼズは3万人以上のオーディエンスを集めてスパイク・アイランドで屋外ライブを行った。ライブの出来としては素晴らしいものではなかったが、イベント自体が当時のユースカルチャーを象徴するものとして話題になり、その後も伝説となった。日本で言えば、台風で遭難みたいになったり、埋立地でやったせいで日射病が続出した初期のフジロックみたいなものだろうか。何年か経って、オアシスがネブワースパークで2日間で25万人を動員したライブを行ったが、スパイク・アイランドほどのインパクトはなかった。 |
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01:エレファント・ストーン
02:ザ・ハーデスト・シング・イン・ザ・ワールド
03:ゴーイング・ダウン
04:マーシー・パラダイス
05:スタンディング・ヒア
06:ホエア・エンジェルズ・プレイ |
07:シモーネ
08:フールズ・ゴールド
09:ホワット・ザ・ワールド・イズ・ウェイティング・フォー
10:ワン・ラヴ
11:サムシングス・バーニング
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今までのシングルに入っていた曲をまとめたもの。作品の質の高さはアルバム並み。その後、ローゼズは、メジャーレーベルのゲフィンと契約。膨大な契約金を得た彼らは、その後5年以上、曲を発表しなくなる。この不在の間に、イギリスのインディシーンではオアシス、ブラーなどが台頭。95年を頂点にブリットポップと呼ばれる現象が起こる。このギターバンドの国民化現象のおかげで、イギリスでもチャートのトップにギターバンドが乗るようになる。
04:マーシー・パラダイス・・・このCDの中では一番聴いた。それこそ何年も続けて。ここまで一体となれる演奏の秘訣はなんなのか?
05:スタンディング・ヒア・・・15年まえは嫌いだったが、最近は好きになってきた。他のバンドで似たような曲がないのでだんだん個性的な曲のような気がしてきたせいだ。昔は進行が遅いので嫌いだった。よく聞くと、独特のリズムがあるのが分かる。フールズ・ゴールドみたいなドラムが気持ちいい。何本使っているのか分からないギターの重ね録りも面白い。後半のトーンダウンする2分間に聴こえるベースがとてもやさしい。
09:ホワット・ザ・ワールド・イズ・ウェイティング・フォー・・・いい風こっち向き、な追い風を感じる。ボーカルが素晴らしく聴こえる。89年11月、この曲と「フールズ・ゴールド」をカップリングして、アルバム発売後初のシングルとして発売。英ナショナル・チャートで初登場8位。
10:ワン・ラヴ・・・曲そのもののノリも大好き。一番素晴らしいのは炎の前で演奏するこの曲のビデオクリップ。かっこよすぎる。90年7月、シングルとして発売。英ナショナル・チャートで4位を記録。
11:サムシングス・バーニング・・・ボーカルがとてもやさしい。ドラムが面白いが人間離れしている。プログラミング?
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シングル盤のジャケット。アートワークはジョン・スクワイアが担当した。初期のジャケットはジャクソン・ポロック風の画風。
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ジョン・レッキー(クロスビート95年1月号より)
「”フールズ・ゴールド”に続いて90年に”ワン・ラブ”をレコーディングした時点では、そのまま次の制作に入るはずだったんだ。僕はシルヴァートーンでもう1枚アルバムを手掛ける契約があったんだけど、あのレーベルにはバンドがいなかった。すごく変だったよ。一昨年、僕と彼らはウェールズのオールド・ブルウェリーで、ストーンズの移動スタジオで10週間ほど過ごして、4曲レコーディングした。そのうちの2曲は十分使えるものだったよ。その後、更に6週間かけて、1曲仕上げた。これはみんなよく仕上がったと思ったし、その時点では僕も同意見だった。そして6月にはマンチェスターに戻って1ヶ月滞在さ。曲をいじくるのが長すぎたんだ。新しいサウンドを模索しているうちに2年が過ぎ、また最初に戻ってた。気落ちしたよ。たった3分間の曲1つのために、1日1,000ポンド(約16万円)もかけて6週間過ごすなんて、決して安くつくものではないだろう?でも、メンバーには他にもやることがあったからね。みんな自分の子供の存在が大きいんだ。僕がスタジオを1ヶ月借りて、プログラマー、食べ物、スタジオの機材も含めて予約を入れると、いつも連中はキャンセルしてきてさ。ある時なんか、雰囲気が良くないってことで、南フランスに行かないかって言ってきたんだ。だから僕はこう言ったよ。「わかった、でもわざわざスタジオの予約はすることはないよ、ホテルだけとっといてくれ」ってね。そしたら、夏になると連中はロックフィールドに戻りたいっていうから、僕は「これじゃあなんの意味もないじゃないかもっと落ちついてからスタジオに入れよ。もうこんなことやってらんないよ」って言ったよ。予算内でアルバムを仕上げるのも契約の一部だったから僕はジレンマに陥ってたのに、とうていできそうになかったんだ。だから、「だれか他の人間を入れた方が君達のためになるよ」って伝えた。僕はジョン・ポール・ジョーンズを推したんだけど、結局連中はエンジニアだけ連れてクリスマスまでロックフィールドにいたよ。いまストーン・ローゼズはすごくいい調子だよ。ファンはみんな気に入ると思う。連中は、レッド・ツェッペリン、プリンス・ファー・I、ハリー・コニック・Jrなんてのをよく聴いてるよ。実際、この顔ぶれは今度のアルバムを説明するのにピッタリなんだ。とてもブルースっぽくて、スライド・ギターがときどき入っているって感じでね。それとラヴ・ソングさ。連中はもうアナーキーなことを説こうとはしてないよ。非常に残念だけど、結局僕が完成させる信念を失ってしまったんだ。僕は疲れ切ってしまっていたんだよ。」
http://mixonline.com/でのジョン・レッキーへのインタビューより。
Didn't you work with the Stone Roses again?
We did go in to record the follow-up album, but the band only had one song
called “One Love.” We spent a lot of time on this, then I went off and
did The Posies while they mixed “One Love.” When I had finished The Posies
album, they were still mixing this track. They had spent six weeks on this,
and I came back and mixed the track in six hours! It was only ever released
as a single. They never completed the album; instead, they changed record
companies in 1992-93. It took them two years to get back into the studio.
We then spent maybe 10 weeks with the Rolling Stones Mobile Studio, which
had the first Helios desk. I'd used this truck in France with BeBop Deluxe
back in 1977. We recorded in a house near Manchester and recorded just
three songs in that time.
I remember you telling me how you had to call on all your reserves of
patience at this time!
You're not kidding! Anyway, at my suggestion, the band went off and rehearsed
for three months. Then we came back and went in the studio for another
six weeks. Then I left. I was in charge of the budget, according to the
lawyers. I didn't think I was in control of the situation, so I resigned.
They then spent another 14 months at Rockfield Studios completing the album,
called Second Coming. Because I had resigned, they gave me little money
and no credit, nothing.
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01:ラヴ・スプレッズ (LPヴァージョン) 02:ユア・スター・ウィル・シャイン
(LPヴァージョン)
03:ブレイクアウト 04:グルーヴ・ハーダー 94年12月発売
2枚目のアルバム発売前に、ローゼズはほとんど雑誌媒体に出なかった。唯一セカンドアルバム発売前にインタビューに応じた雑誌は「ビッグ・イッシュー」。ホームレスの自立支援のための雑誌だった。このインタビューで、ドラマーのレニは欠席。事実上はすでに脱退していた。5年以上、ほとんど音沙汰がなく、いきなり現れたのがこのシングル。今までとはまるで違う音楽性を備えたこの曲は、発表時から賛否両論。個人的には「別のバンドになってしまった・・・」と落ちこんだ曲となった。
03:ブレイクアウト・・・セカンド・カミングの1曲目「ブレイキング・イントゥ・ヘヴン」のジャムセッションみたい。落ちついていて、ノリもよく楽しめる。
04:グルーヴ・ハーダー・・・CDバージョンではこの曲は存在しない。12インチのアナログ盤に入っている。中身はインスト。盛り上がりもなく長々と続きすぎの印象。特に聴き所はない。 |
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ドラムのレニは、95年春に脱退の公式アナウンス。脱退の理由は不明。「フールズ・ゴールド」制作時に、ジョン・スクワイアはレニのドラムを使わずにドラムループで演奏していた。その後「ワン・ラブ」でも同じようなことが起こり、ジョンとレニの亀裂は深くなっていったようだ。「セカンド・カミング」収録時でもこの不仲は続いたという。さらにドラッグ(ヘロイン?)中毒になっていったという噂もある。98年6月に、治安判事に暴言を吐くなどして刑務所に7日間入った。レニは、何年もたって(99年?2001年?)、今度はボーカル、ギターをプレイするようになり「The Rub」というバンドを結成。ネットで何曲か聴いてみたが、商業ベースに乗ることはないと思われる。2005年現在ではすでに「The Rub」は活動していないようだ。ローゼズの中で演奏的には一番評価されていただけに、なぜドラムを叩かなくなったのだろうか? |
05年6月にレニとマニが受けたインタビュー
Conrad: Are you up for getting back together?
Mani: "I’d love to, just for the sheer joy of playing with this
guy again."
Reni: "I’m going to play with him, that’s a guaranteed. I’m
writing songs for me and him…"
Mani: "Whether it be the Roses or not, we
never know, but we’ve got to work together at some point in time."
Reni:
"People have been coming up to me all day and saying how great I am, and I’ve
been trying to tell them a tiny bit about him but then taking most of the credit
myself."
Mani: "I’ve been saying that I’m a lot shorter in real life
(laughs)…"
Reni: "No, because a funky bassist makes a drummer sound
clever…"
Mani: "And a funky drummer makes a half decent bass player sound
immaculate."
Reni: "Look at the size of his hands? He shouldn’t be allowed on
bass guitar!"
Mani: "They are small. Small hands, big talent!"
Reni: "It’s like having a four foot nine basketball player that does better than Michael Jordan. He’s a freak!"
BBC Manchester 01/06/05
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01:ブレイキング・イントゥ・ヘヴン
02:ドライヴィング・サウス
03:テン・ストーリー・ラヴ・ソング
04:デイブレイク
05:ユア・スター・ウィル・シャイン
06:ストレート・トゥ・ザ・マン |
07:ベギング・ユー
08:タイトロープ
09:グッド・タイムズ
10:ティアーズ
11:ハウ・ドゥ・ユー・スリープ
12:ラヴ・スプレッズ |
シークレットトラック:FOZ
94年12月発売 |
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ストーン・ローゼズ2枚目のアルバム。日本語で言えば「キリストの再臨」。ジョン・レッキーが何曲か手がけた後、プロデューサーを辞退。ジョン・レッキーが一部分を手がけた曲は、テン・ストーリー・ラヴ・ソング、ベギング・ユー、ハウ・ドゥ・ユー・スリープ。どれもシングル級のレベルの高さ。その後、バンドはジョン・スクワイアの主導のもと、混乱したレコーディング体勢に入る。ポール・シュローダーと、サイモン・ドーソンが後任のプロデューサーとなった。シュローダーは彼らの1枚目のアルバムでもエンジニアだった人物だが、彼もその後、脱退。ジョン・スクワイアのツェッペリン熱に取りつかれたような、いびつな印象を持つアルバムとなった。最初の印象では、70年代ブリティッシュロックの一種。趣味のよさは素晴らしいが、リズム的に弱い気がした。
2枚目のアルバム発売以降のライブは、1枚目からの曲を半分くらい演奏した。特に煽ったり、踊ったり、ライブならではの演出は一切なし。舞台装置なども一切なく、ファン以外には退屈にも感じられてしまう内容だった。1枚目の頃と比べ、アンコール曲も演奏し、全体では90分以上もの長さになった。ベギング・ユー、フールズ・ゴールド、エレファント・ストーンといったリズム的に面白い曲をセットリストに入れなかったのは残念だった。ドラマーのレニが脱退したのが大きかった。
01:ブレイキング・イントゥ・ヘヴン・・・ジャングルのような3分間の導入部分は、このアルバムの冒頭として効果を上げているとは言いがたい。
02:ドライヴィング・サウス・・・ギターのオーバーダビングが多すぎ。ドラムはマシーン使用なのか、無機質で面白みがない。
03:テン・ストーリー・ラヴ・ソング・・・高音質を滑らかに暖かくする、ジョン・レッキーの才能がうかがえる。ギターの無駄なオーバーダビングを避けた、美しい出来。
04:デイブレイク・・・ジャム演奏の延長。
05:ユア・スター・ウィル・シャイン・・・フォークソング。
06:ストレート・トゥ・ザ・マン・・・このアルバムの中で唯一イアン・ブラウンが作曲している。歌詞や歌い方がイアン・ブラウン独自のものだし、バックトラックも面白いとは思うが、それほど独創的ではない。
07:ベギング・ユー・・・初めて聴いた瞬間から普遍的な印象を持った。誰にも真似のしようがないオリジナルな曲。ブンブンいうベースがたしかに蜂を思わせる。吐き捨てるようなボーカルがかっこいい。
10:ティアーズ・・・ライブでは破綻していた。曲の構成が難しいので、ボーカルに大きな比重がかかるせいだろう。リズムのノリが悪く、ジョン・スクワイアのギターのためだけにあるような曲。歌詞の内容も生きている気がしない。ある意味、ここまでダメさを表現したという部分では聴く価値があるかもしれない。
11:ハウ・ドゥ・ユー・スリープ・・・皮肉っぽい歌詞が現場の混乱を色濃く伝えている。ジョン・レッキーががんばったのだろう。明るいポップな感じに見事にまとめ上げた。このアルバムの中で一番好きだ。他の曲ではぶっきらぼうに聞こえるボーカルも、耳に自然になじむように加工されている。
12:ラヴ・スプレッズ・・・先行シングル。5年以上経って現れた楽曲の冒頭で、いきなりボトルネックギターが来るとは思わなかった。ディストーション付のハードなブルース。ベースが重いが土臭くもなく、単調なリズムのせいで軽めに薄まって、70年代ブリティッシュロックに感触が似ている。リズムの実験がなかったのが残念だった。ライブでは、華麗に弾き続けるジョン・スクワイアがかっこよく見える曲だった。
シークレットトラック:FOZ・・・でたらめに弾いているようにも聞こえる即興のセッション。かなり面白い出来で、彼らの音楽性の素養の高さがうかがい知れる。シークレットで閉じこもらずに、全編をこんな感じでバカバカしく突き抜けてほしかった。もっといろいろな方向性があったのではないかと感じさせる曲。 |
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01:テン・ストーリー・ラヴ・ソング (LPヴァージョン)
02:モーゼ
03:ライド・オン
95年3月発売 |
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「セカンドカミング」からの2枚目のシングル。イギリスでは11位を記録した。2曲目と3曲目は、ジョン・スクワイアが作曲に携わっていない。当時「まだ聴いてないし、一生聴かないと決めた」とジョンは言っていたが、その後聞いたのだろうか?聴いたらおそらく愕然としたはずだ。ジョン・スクワイアとイアン&マニの音楽性の違いが顕著に分かる。
02:モーゼ・・・おそらく「ベギング・ユー」のジャムセッション。インストとして緊張感があって面白い。
03:ライド・オン・・・ジョン・スクワイアのギターフレーズを使って、イアンとマニで仕上げた曲。どこまでもダーク。その後のイアンの方向性の兆しが感じられるかもしれない。ライブの際、ジョン・スクワイアは「デイブレイク」と「ブレイキング・イントゥ・ヘヴン」の合間のジャム演奏の時にこの曲のフレーズをよく弾いていた。 |
HELP |
Help - A Day In The Life |
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95年9月に発売。慈善団体“WAR CHILD”が企画した、ボスニア戦争による犠牲者を救うために企画されたチャリティ・アルバム。ジャケットのアートワークはジョン・スクワイア。ローゼズは3曲目の「ラヴ・スプレッズ」を提供している。ライブ録りされたこの曲は、ザラザラしていてブルース色に溢れ、オーバーダビングが激しかったアルバムバージョンよりも生々しくて迫力がある。05年9月に発売された“WAR CHILD”の「Help - A Day In The Life」でもジョン・スクワイアはジャケットを製作した。 |
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1. "Begging You" (album version) (4:52)
2.
"Begging You" (lakota mix) (7:48)
3. "Begging You" (stone corporation vox)
(6:24)
4. "Begging You" (chic mix) (5:32)
5. "Begging You" (young
american primitve remix) (5:25)
95年11月発売 |
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セカンド・カミング」から3枚目のシングル。すでにローゼズ再登場の新鮮味は色あせていて、次のアルバムが待たれている時期に発売された。新曲がなく、B面曲は全てリミックスとなっている。ビデオクリップも、本人たちがほとんど出ていない。このシングルには何バージョンもあって、11ものミックスが存在している。リミックス曲はそれぞれ個性があるが、残念ながら原曲を超えるまでにはいたっていない。2曲目のlakota mixの方が、歌がない分オリジナルよりもとっつきやすいかもしれない。4曲目の「chic mix」が一番面白かった。 |
95年5月発売 |
01ソー・ヤング
02テル・ミー
03サリー・シナモン
04ヒア・イット・カムズ
05オール・アクロス・ザ・サンズ
06エレファント・ストーン
07フル・ファゾム・ファイヴ
08ザ・ハーデスト・シング・イン・ザ・ワールド
09メイド・オブ・ストーン
10ゴーイング・ダウン |
11シー・バングス・ザ・ドラムス
12マーシー・パラダイス
13スタンディング・ヒア
14アイ・ウォナ・ビー・アドアード
15ウォーターフォール
16アイ・アム・ザ・レザレクション
17ホエア・エンジェルズ・プレイ
18フールズ・ゴールド
19ホワット・ザ・ワールド・イズ・ウェイティング・フォー
20サムシングス・バーニング
21ワン・ラヴ |
ボーナスCD I'm Without Shoes" (1:23) "Groove (Black Magic
Devil Woman)" (3:26) |
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ザ・コンプリート・ストーン・ローゼズ
「セカンド・カミング」の発売後、ローゼズの再評価の機運の中でシルヴァートーンがドサクサ紛れで出した編集盤。当時の売りは、彼らのファーストシングル、ソー・ヤング、テル・ミー、さらに未発表曲"I'm Without Shoes" (1:23) "Groove (Black Magic Devil Woman)" (3:26)が入っていること。未発表曲に関しては、特に語るべき内容が一つもない。シルヴァートーンは、ローゼズがゲフィンに移籍する前に所属していたインディーズのレコード会社。他にもシングルの「フールズ・ゴールド95」やリミックス集「ザ・リミキシーズ」など、ローゼズに無断で勝手に出したレコードもある。
07フル・ファゾム・ファイヴ・・・題名はジャクソン・ポロックが47年に発表した作品からか?エレファント・ストーンの逆回し。サイケっぽい、中毒性のあるフレーズが散りばめられた印象的な曲。マイブラッディバレンタインの「トゥ・ヒア・ノウズ・ホエン」と並ぶ最強のドラッグソングだと思う。
I'm Without Shoes・・・これを曲と言ってしまうのはどうか?つぶやきをサイケな感じにエフェクト加工しただけ。
Groove (Black Magic Devil Woman)・・・ただのジャムセッション。素晴らしい出来ではなく、本当にただ練習しているだけ。シルヴァートーンは、そのうちジャムセッションを集めて新作として売りかねない。
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クリムゾン・トゥナイト〜ライヴ・イン・アイルランド |
TOP △ |
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ローゼズ後期のメンバー。レニの後任としてロビー・マディックス、ライブでのバック・ボーカルとキーボードプレイヤーとしてナイジェル・イッピンソンが加わった。 |
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01デイブレイク
02ブレキング・イントゥ・ヘヴン
03ドライヴィング・サウス
04タイトロープ
録音年月日:95.8
95年10月発売 |
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DVDのブラックプールライブを除き、彼らの唯一の公式のライブ盤。日本とオーストラリアでの限定発売となった。日本とオーストラリアのツアーを前にした6月、ジョン・スクワイアがマウンテン・バイクから転倒して骨折したため、ツアーが延期に。このライブ盤は、ツアー延期の救済措置のような企画だったのだろうか?骨折から復帰したばかりの8月6日に録音された。イアンのボーカルがどういうものかが体感できるいい材料だ。
01デイブレイク・・・ベースの充実振りが著しい。次の曲につながるライブならではのジャム演奏を高音質で捉えているので素晴らしい。ギターは抑えめに演奏されている。
02ブレキング・イントゥ・ヘヴン・・・ほとんどのライブでは「デイブレイク」とつなげて演奏された。レニの後任ドラマー、ロビー・マディックスが素晴らしい演奏を見せている。後半部分のギターが、周りの演奏から飛びぬけてものすごいことになっている。
03ドライヴィング・サウス・・・ギター対ドラムの冒頭部分のかけあいがいい感じ。ブルースの基本的な部分がつまったギターなのだが、今回に限っては暴走気味。もっとドラムに合わせれば素晴らしかったのに。
04タイトロープ・・・ようやくボーカルが聞こえる。アルバムバージョンに比べてバックボーカルは観客。イアンのやさしげなボーカルが楽しめる。 |
レディングフェスティバル出演前のインタビュー。ローゼズ末期のメンバー。
96年3月にジョン・スクワイアが脱退。その後、しばらくは後任のギタリスト、アジス・イブラヒムを擁してバンドは継続するが、ヘッドライナーで出演したレディングフェスティバルでの大失敗で、バンドへの信頼は地に堕ちることになった。結局レディングでの演奏を最後に、96年10月に解散を表明。ローゼズ末期のメンバーで、もしも新作が出たとしたら、どういう作品が生まれたのだろうか。このメンバーで「アイス・コールド・キューブ」、「ハイ・タイム」、「ホワット・ハプンド・トゥ・ヤ」、「ナー・ナー」という曲を作っている。この創作活動の積極さを考えると、ジョン・スクワイアの脱退後、すぐに3枚目のアルバムを作ろうとしていたはずだ。ジョンの脱退後に、このメンバーで作ったデモテープを所属先のゲフィンに渡したところ、即座に却下された話も伝わっている。「アイス・コールド・キューブ」、「ハイ・タイム」はレディングで演奏された。「アイス・コールド・キューブ」、「ホワット・ハプンド・トゥ・ヤ」、「ナー・ナー」はイアン・ブラウンの1枚目のソロアルバムに収録された。どの曲もまともにプロデュースされているわけではないので、詳しくは分からないが、これらの曲を聴くと、成熟したファンクな側面に面白さを感じるが、革新的な作品にはならなかったような気がする。「元気のないレニー・クラビッツ」みたいな作品ができたのではなかろうか?最後のレディングでの演奏を聴くと、リズムが単調で踊れなく、元気がない部分が目立つ。「アイ・アム・ザ・レザレクション」のおそろしいまでのボーカルの音のはずし方には、いつ聴いても悪い意味で鳥肌が立つ。解散の原因を考えてみると、ローゼズの曲を演奏できない演奏能力の問題もあっただろうが、脱退したメンバーの作曲した曲をいくつも演奏し続ける必要があるわけで、精神的に無理があったのだろう。
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ベースのマニはプライマル・スクリームに加入。ライブでの積極的なプレイ、バンドのムードメイカーとして、ローゼズの頃以上に本領を発揮。それまでヘロヘロなライブを続けていたプライマル・スクリームだったが、マニの加入でライブバンドとしてようやく認められるようになった。プライマル・スクリームの4枚目のアルバム「バニシング・ポイント」から加入。「バニシング・ポイント」発表時のプライマル・スクリームのライブには2回行ったが、かつて経験したことがないほどの盛り上がりを見せた。特に赤坂ブリッツでのライブは強烈だった。客電がついてからのアンコールを行ない、津波のように戻ってきた観客に踏み潰された思い出がある。 |
ローゼズの解散後、ジョン・スクワイアはザ・シーホーセズを結成。2枚目のアルバムもかなりの曲が完成されていたが、なぜか発売前に解散。2枚目のアルバムのデモをプートレグなどで聴いてみると、ギターがソフトになっていたがプロデュースの質もよく、完成度の高い楽曲だっただけに残念。
700_horses
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01アイ・ウォント・ユー・トゥ・ノウ
02ブラインディッド・バイ・ザ・サン
03スーサイド・ドライヴ
04ザ・ボーイ・イン・ザ・ピクチャー
05ラヴ・イズ・ザ・ロー
06ハッピネス・イズ・エッグシェイプト |
07ラヴ・ミー・アンド・リーヴ・ミー
08ラウンド・ザ・ユニヴァース
091999
10スタンディング・オン・ユア・ヘッド
11ハロー
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97年6月発売 |
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ドゥ・イット・ユアセルフ
ザ・シーホーセズの唯一のアルバム。「自分のワンマンバンドになりつつあるロ−ゼズを辞めてまで作ったアルバム」ということで、発売前からものすごい期待感があった。が、なぜか手堅くまとまっている・・・。T・レックスのプロデュースで有名なトニー・ヴィスコンティを今さら使ったところに間違いがあったのか?自分のバンドなんだからもっと好き放題やってもよかったんじゃないだろうか????ライブではローゼズ後期の印象のままに、明らかに力量の劣る他のメンバーを置いてけぼりにして弾きまくっていて、聴いていてかなり気持ちよかった。ライブ盤さえ出ればこのバンドの印象もかなり変わったはずだ。 |
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01ジョー・ルイス
02アイ・ミス・ユー
03シャイン・ア・リトル・ライト
04タイム・チェンジズ・エヴリシング
05ウェルカム・トゥ・ザ・ヴァリー
0615デイズ
07トランスアトランティック・ニア・デス・エクスペリエンス |
08オール・アイ・リアリー・ウォント
09ストレンジ・フィーリング
10ソフィア
11ホーム・スウィート・ホーム
12シー・ユー・オン・ジ・アザー・サイド
1315デイズ (ホーム・デモ)
14アイ・ミス・ユー (ホーム・デモ) |
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タイム・チェンジズ・エヴリシング
シーホーセズを解散後、ヴァーヴの元メンバーと組んでスタジオ入りしたが、成果がなく、ソロとしてのキャリアを歩み始める。ソロということで、彼の大好きなツェッペリン風の曲が展開されるかと思いきや、明らかにレイドバックしたフォークソングのような作風になっている。発売前に変なデモをネットで聴くことができて、その内容がハードだっただけに、なにが起こったのか、謎。「セカンド・カミング」後期のプロデューサー、サイモン・ドーソンと共同プロデュース。「時は全てを変える」という題をつけて、ローゼズのイメージであるジャクソン・ポロック調に塗られたのは、白骨である。
01ジョー・ルイス・・・イアン・ブラウンのような歌い方。
09ストレンジ・フィーリング・・・皮肉な歌い方と渋い展開のせいで気分が落ち着く。このアルバムの中で一番好き。
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01タイム・チェンジズ・エヴリシング (未発表ヴァージョン)
02ハウ・ドゥ・ユー・スリープ
03ジョー・ルイス
04アイ・ミス・ユー |
05タイトロープ
06ウェルカム・トゥ・ザ・ヴァリー
07反アメリカ
08タイム・チェンジズ・エヴリシング
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録音年月日:(2)〜(8)2003.2
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タイム・チェンジズ・エヴリシング・ライヴEP
ローゼズの曲を演奏しているということでレコード屋で視聴してみたが、あまりにもひどすぎるので買うのをやめた。ライブでは明らかにボーカルとして力不足だ。リズム隊が貧弱すぎて、演奏的には彼らがデビューする前の時代に逆行している。たとえば。。。。。。 |
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01サマータイム
02ホテル・ルーム
03マーシャルズ・ハウス
04ライトハウス・アンド・ビルディングス、
ポートランド・ヘッド、ケイプ・エリザベス、メイン
05ケイプ・カッド・モーニング
06ピープル・イン・ザ・サン
07テーブルズ・フォー・レディーズ |
08オートマット
09ヨール・ライディング・ア・スウェル
10ルーム・イン・ブルックリン
11ガス
12ナイトホークス
13ピープル・イン・ザ・サン (デモ) |
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マーシャルズ・ハウス
2枚目のソロアルバム。サイモン・ドーソンと共同プロデュース。耳に残るフレーズの少ない、致命的なほどの無個性なアルバム。結局、ローゼズの「セカンド・カミング」の時のツェッペリン熱はどこへ行ったのか?結局、この人はなにをしたいのだろうか?エドワード・ホッパーにインスピレーションを受けて製作されたというが、どこにその雰囲気があるのか疑問。ジャケット自体もホッパーっぽくないし。 |
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イアン・ブラウンはローゼズ解散後、ソロ作を発表。「歌が下手」というローゼズ最大の弱点のみを引き継いだマイナス要素が当初不安を呼んだ。しかしジョン・スクワイアのシーホーセズを聴いたリスナーは「やはりあのボーカルこそがローゼズだったんだ」という感想を持つようになる。「セカンド・カミング」の時にイアンは1曲しか作曲しなかったこともあり、ある意味ローゼズの3枚目を待つような期待感、待望論に切り替わった。実際の作品は、ギターロックをバカにしていたイアンのそのままの音楽趣味がそのまま現れることになる。98年に英国航空のスチュワーデスと機長を脅した罪で有罪判決を受け、2ヶ月近く刑務所に服役した以外は順調にキャリアを重ねている。 |
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01イントロ・アンダー・ザ・ペイヴィング・ストーンズ:ザ・ビーチ
02マイ・スター
03キャント・シー・ミー
04アイス・コールド・キューブ
05サンシャイン
06ライオンズ
07コープシス・イン・ゼア・マウス |
08ホワット・ハプンド・トゥ・ヤ・パート1
09同パート2
10ナー・ナー
11ディープ・パイル・ドリームズ
12アンフィニッシュト・モンキー・ビジネス
13カム・アゲイン |
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アンフィニッシュト・モンキー・ビジネス
イアンがとりあえず作ったデモテープを、ローゼズ末期のギタリスト、アジス・イブラヒムがなんとか作品にさせて発売。ローゼズ末期のメンバーも作曲に名を連ねている。デモテープのノイズもそのままに提示された作品は、妙に生々しく、等身大のアーティストとしてのイアンの個性が現れることになった。ライブではドラマーに加えて、中近東風のパーカッショニストが入り、ギターバンドの曲調とは明らかに離れた異様な世界を展開。面白いSEがいろいろ入っているので聴いていて楽しい。
01イントロ・アンダー・ザ・ペイヴィング・ストーンズ:ザ・ビーチ・・・インスト。何かがはじまるかに見える。期待感溢れる冒頭曲。
02マイ・スター・・・会社の昼休みに買ってきて、この曲を聴いて仕事中泣いてしまった。このアルバムの中で圧倒的に完成度が高い。
03キャント・シー・ミー・・・元々は「セカンド・カミング」の制作時に作曲したがジョンに却下された。マニからもらったベースのフレーズをループして曲に。マニだけあって、さすがに踊りやすい。こういう作曲スタイルでなら、3枚目のアルバムもいいものができたのではないか?
06ライオンズ・・・プライマル・スクリームでも活躍した女性ボーカリスト、デニス・ジョンソンがサイドボーカル。イアン・ブラウンのキーボードの練習につき合わされたかのような完成度の低い曲だ。この曲のインスト部分が、このページ内の全ての曲の中で一番退屈だった。デニス・ジョンソンはいい声。もっと生の楽器が鳴り響く曲で使ってもよかったと思う。この曲以降、イアン・ブラウンは女性ボーカルを使うことはなくなるが、もっと使えば曲のバリエーションも広がるかもしれない。
08ホワット・ハプンド・トゥ・ヤ・パート1・・・無理やり曲にした感じだ。ボーカルの処理がローゼズの時に似ていて聴きやすい。
09同パート2・・・曲としてまとまっていない分だけ、パート1に比べて自由な気分を感じる。
ディープ・パイル・ドリームズ・・・このアルバムの中で一番好き。リズムマシーンの上にボーカルだけを乗っけた簡単な曲だが、味わい深い。静かな怒りを感じる。歌詞の内容を考えると、ジョン・スクワイアに対するあてつけもあるような気がする。
アンフィニッシュト・モンキー・ビジネス・・・間抜けな感じのインスト曲。お遊び的な要素の強い曲。
カム・アゲイン・・・ボーナストラック。インスト曲。重低音を上げて聴くとかなり盛り上がるが、なにに使っていいのか分からない。リズムマシーンのお遊び。 |
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01ゲッティング・ハイ
02ラヴ・ライク・ア・ファウンテイン
03フリー・マイ・ウェイ
04セット・マイ・ベイビー・フリー
05ソー・メニー・ソルジャーズ
06ゴールデン・ゲイズ |
07ドルフィンズ・ワー・モンキーズ
08ネプチューン
09フィッシャーマン
10ファースト・ワールド
11ババソニコス
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ゴールデン・グレイツ
もはや、ロックですらない。アジスの中近東風のギターフレーズが、打ち込みのデジタルサウンドに乗っかって、さらにその中をイアンの無表情で朴訥なボーカルが流れるという異様な作風。正直、最初は聴きとおすのがつらかった。あまりにも個性的なためにマニック・ストリート・プリーチャーズなど、イギリスのバンド連中に評価された。
08ネプチューン・・・どこかに行ってしまったことが分かるが、それは悪い所ではない。バンドサウンドからかけ離れた地平に行ってしまったが、これはこれで魅力的。このアルバムの中で一番好き。海中を旅しているような気分を味わえる。 |
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01フィアー
02スターダスト
03グレイヴィー・トレイン
04バブルス
05ヒアー・ノー・シー・ノー
06ノアザン・ライツ |
07ウィスパーズ
08エル・ムンド・ペケーニョ
09フォーエヴァー・アンド・ア・デイ
10シャドウ・オブ・ア・セイント
11スーパースター
12マイ・スター2001 |
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ミュージック・オブ・ザ・スフィアーズ
2枚目に比べてだいぶ聴きやすい。ポップな曲調に統一されていて完成度が高い。本人もローゼズの1枚目を意識したとのことで、たしかにこの作品がローゼズの3枚目にふさわしい価値があるように思われる。プロデュースはデイブ・マクラッケン。1曲を除き、全ての曲でイアンと共作した。ボーナストラックの2曲は、必要なかった。
01フィアー・・・Fで頭韻を踏んでいる。さらに、For each a road.For everyman a religion.Find everybody and rule.歌詞の最初の文字を抜き出すと、FEARになる。神秘的な雰囲気を出すのに成功している。繊細でありながらはっきりとした主張を持つ曲の性格は、ストーン・ローゼズ時代からの特徴のひとつだ。
02スターダスト
03グレイヴィー・トレイン
04バブルス・・・このアルバムの中で一番好き。メロディラインがない方が彼には合っている。
05ヒアー・ノー・シー・ノー
06ノアザン・ライツ
07ウィスパーズ
08エル・ムンド・ペケーニョ・・・メキシコ人の妻と子供のために、スペイン語でやさしく歌いあげられている。
09フォーエヴァー・アンド・ア・デイ
10シャドウ・オブ・ア・セイント
11スーパースター
12マイ・スター2001 |
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01ロングサイト
02タイム・イズ・マイ・エヴリシング
03デスティニー・オア・サーカマスタンス
04アップサイド・ダウン
05ソウラライズド
06ザ・スウィート・ファンタスティック |
07キープ・ホワット・ヤ・ゴット
08ホーム・イズ・ウェア・ザ・ハート・イズ
09ワン・ウェイ・チケット・トゥ・パラダイス
10キス・ヤ・リップス (ノーアイディー)
11ハッピー・エヴァー・アフター |
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ソウラライズド
トリップ・ホップに近い印象を持つ。ダンスビートの享楽的な部分を取り払ったダンスビートは、異常に禁欲的。
07キープ・ホワット・ヤ・ゴット・・・オアシスのノエル・ギャラガー作曲。リアム・ギャラガーがダミ声でがなりたてるに違いない部分も、やさしく歌い上げているのが特徴。歌詞がイアンなので、独特の歌いまわしが楽しめる。
08ホーム・イズ・ウェア・ザ・ハート・イズ・・・ここまで実験されると、聞き手の私がついていけない。
09ワン・ウェイ・チケット・トゥ・パラダイス・・・中近東風な歌い回しが面白い。
10キス・ヤ・リップス (ノーアイディー)・・・最初の印象はフールズ・ゴールド。このアルバムで一番好き。 |
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2005年7月2日(土) |
イアン・ブラウン、ローゼズ再結成について語る
イアン・ブラウンが噂されるストーン・ローゼズの再結成について、ついに沈黙を破った。ローゼズは、メンバー3人が一緒にギグを見に現れたり、グラストンベリー・フェスティヴァルのカイリー・ミノーグの代理を頼まれるなど、このところ再結成の噂が後を絶たない。しかし、要のブラウンは――
「もう1年くらい、そんな噂がたってるな。お前さ、4枚もアルバム出して、ベスト盤リリースしようとしてる男と話してんだぜ。いま、俺の頭の中にあるのはこのことだけだよ」とNME.COMに話した。
「もし奴、ジョンが本気なら、どうして俺に電話してこねえんだ?なんでメディアを通すんだよ? なんで俺に電話しねえんだ?奴と9年前に最後に話したときと同じ番号使ってるんだぜ。なんで俺に電話しないんだ?俺が言いたいのはそれだけさ」
もし頼まれたらどう答えるつもりかとの質問に、ブラウンは「多分、2つの単語を発するだけだな」と皮肉ったという。この雰囲気では、彼の発する2単語とは「Fxxk
Off」の可能性が高く、再結成までの道のりは長いのかもしれない。 |
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2005年9月8日(木) |
イアン・ブラウン、巨額のローゼズ再結成オファーを断る
イアン・ブラウンは、ストーン・ローゼズを再結成すればメンバーそれぞれに100万ポンド(約2億円)払うというオファーを断ったという。再結成説を否定し続けるブラウン。その意思は固いようだ。
『The
Sun』紙によると、ブラウンはこう話したという。「俺たちは一時期、兄弟みたいなものだった。別離によって、いまの俺たちがある。それぞれに100万ポンド払うから、40公演やれっていうオファーがあったよ。でも、金じゃないんだ。俺たちがかつて持っていたものをまた作り直せるとは思えない。そんなことをしたら、全てを台無しにしちまうよ」 |
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・・・サンの記事をそのまま鵜呑みにするのもどうかと思うが・・・。
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イアンのソロ作での展開、ジョンの凋落、マニのプライマルでの大活躍など、すでに終わってるはずのストーン・ローゼズだが、いまだに再結成を待ち望むファンも多い。たしかにその気持ちもよく分かる。私も解散当時は再結成を待ち望んだ。しかし、すでに解散から9年経ってしまっているのだ。遅すぎるのではないか?再結成した場合、誰がドラムを叩くのか等、バンド運営的に見て現実的に無理な気がする。新作を作れるほどメンバー全員が同じ方向に向くこともありえない気がする。一時的な再結成ツアーとしてならありうる話かも知れない。キース・ムーン、さらにジョン・エントウィッスルを失っても60歳代のザ・フーが再結成するくらいだから。ローゼズが再結成ツアーをしたとしても、それは面白いものにはならないだろう。マンチェスタームーブメントやブリットポップなどの、全体的なシーンの盛り上がりを抜きにしてローゼズを楽しむことなどできないからだ。ユースカルチャーの象徴としての意味合いが強い彼らの存在はそのまま当時の象徴として残すべきであろう。 |
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