小市民ダークロのありがちで気の抜けた感じのやつ

最高の権利


「ひとりでほっておいてもらう権利」は「いろいろな権利のうちでもっとも包括的なものであり、文明化した人間にとっては最高の価値を持つ権利だ」と、ウイリアム・ダグラスは「基本的人権」の中で述べている。「ブコウスキーの3ダース」という本の解説にそう書いてあった。ウイリアム・ダグラスについての解説はなかったが、たぶんえらい学者なんだろう。「包括的なもの」って言われても、そりゃ全部、包括的なものだろ?最高の価値をもつ権利を満喫するのは難しい。そうそう一人っきりにはなれない。私も、キャバクラの女からこの3週間、毎日電話やらメールやら着ていた。同伴出勤してもらいたいのだ。 

 今日は会えませんか?会いたい・・・ 

 おはよう〓今日も練習でこんな時間〓暑くなりそうだからバテないようにいってらっしゃい〓さらんへよ

このメールには問題がある。コミュニケーションができないのだ。「あなたは誰ですか?」とか「さらんへよってどういう意味?何の練習?」とかこちらが送っても、返事が返ってこない。同じ文句をアドレス帳に登録している全員に送っているのだろう。興味が出てきたので、メールしてみた。

来週どうですか?何時にどこ?

はじめて返事がきた。

うん。って感じ?(笑)(^_^)v来週は月曜日どうですか?

喫茶店はガラガラで、同伴出勤の待ち合わせの客しかいなかった。ゴージャスな女と年配の油っぽいのが何人かころがっていた。待ち合わせの女は普段着だった。「この店、たまに地味な有名人が来るよ」「どんな?」「この前ラッキー池田を見た」「確かに、地味で微妙だな」女の息は臭かった。たしかに経験でしか分からないことがある。

「いくらぐらいなの」「90分セットで1万円」「指名料は?」「指名料も込み。ドリンクのセットもコーラセットとビールセットが選べる」「コーラ飲む客なんているの?」「お客が女の子に飲ませるためにあるみたい」「コーラが何本?」「3本」「そんなに飲めないよ。3本とも一度に来るの?」「うん。ずらっと」「ぬるくなっちゃうよ」「しかも栓を開けたままで」「じゃあおれも君のためにコーラセット頼むから6本テーブルの上に並べよう」チャーハンを食べて店に向かった。まだ7時だった。「こんな時間じゃ客がいないんじゃないか?」「この時間が一番混んでるよ」「営業熱心だな」目の前にステージがあった。スモークがたかれてライトを浴びた女が何人かロックを歌うショウがあるのだ。「君からもらったメールに、練習が7時まであったと書いてあったよ。練習って踊りの練習?」「そう。歌とダンス」「しょっちゅう踊る曲が変わるんだ」「そう。2週間に1回変わる」「今日も出るの?」「うん。8時半から」「じゃあ、ちょうどおれは見れないな」おれが店にいるのを延長すれば女のステージが見れるような仕組みなのだろう。

「君には1度しか会ってないし時間も10分くらいだ。だけど3週間も毎日電話したりメールを送ってくる。そういう人間に会ってみたくなったよ」私は一線を超えている人間を気に入る傾向がある。
「そんなに短かったっけ?もっと長かったような気がするけど」「1時間のうちに相手が4人も変わったよ。君は最初に会ったし、時間はそんなもんだった。異常だよ」「異常かな?そうか、異常なんだ」
ローリングストーンズが画面に出てた。「あそこの人がほんとのリーダーでしょ?ギターの弦を1本とって演奏してた」「詳しいね」「詳しい人がお客にいて、その人に教わった」店の中はアメリカのレコードジャケットやフィギュアが飾られていた。天井には自由の女神がはりついていた。
「こんなに飾ってるなんて、店長はアメリカが好きなんだね」
「好きか・・・もしくは嫌っているかよ」
「あれは誰?」
「チャック・ベリー」
「ボイジャーって知ってる?宇宙探査ロケット」
「うん」
「チャック・ベリーの曲がボイジャーの中に入っているんだよ」
「へえ」
「マイケル・ジャクソンはいないの?」
「マイケル・ジャクソン」
「あ、ほんとだ」
「3人有名なギターの人がいるんでしょ?キース、プランクトン、あと誰だっけ?」
「ああ。プランクトンね、いるよねプランクトン。あと、ジェフベック。ジェフベック・・・」
私は思わず笑ってしまった。
「ジェフベックがそうだったんだよな」
「3大ギタリストは有名だけど、ドラマーで有名な人っていないの?」
「ザ・フーのキース・ムーンがいるよ」
「ああ、聞いたことある」
「あそこにジャケットがかかってるよ」
「ああ、お客さんにも言われたことある。この店のビデオになんでフーが出てこないんだって」
「ローリングストーンズとビートルズと同じくらいのバンドだもんね。イギリスの3大バンドって言われてるし。だけど日本で人気ないんだよ」
「ああ、キース?リチャード?」
「ムーン。月。お月様」
「3大ギタリストって30年前のギタリストだぜ。何年か前にジミーペイジを観にいったけど、指が動かないんだよ。昔の曲が弾けなかった」
「へぇ。3大ギタリストって、そんなに昔のことなんだ」
「昔のことなんだよ。おれも今は興味ないよ。最近は宇宙の生成にしか興味がない。ビックバン理論って知ってる?」
「うん」
「あれ、嘘かもしれないんだぜ。次元が11次元まであるって知ってる?最近になって分かったんだけど。重力が11次元に吸い込まれているそうなんだよ。あと、ダーウィンの進化論って知ってる?」
「うん」
「ダーウィンの進化論が嘘かもしれないって知ってる?突然変異説ってのがあるんだよ」
「奇形ってこと?」
「奇形でも適者生存で生き続ければ新たな種になるんだよ。ウイルスがDNAを変化させて起こしているかもしれないらしいよ。いろいろ面白いことが一杯あって、だんだん分かってきてる。おれが生きてる間にそういう問題が解決されないから悲しいよ」
「私も難しい話好き。音楽の話とか、宇宙の話とか」

英語のアナウンスがあって、その女の名前が呼ばれた。「そろそろステージだよ。行かなきゃ」「まだいいよ。あと5分」「んじゃ帰るかな」「私のステージを見てほしい」「君のステージを見たらまた1万円だ」「もっといて」「今日は帰るよ」8時半で店を出た。なかなかゴージャスで健康的な月曜日だった。

次の日、メールが着てた。

昨日はありがとう。会えて嬉しかったです。やっぱりかっこいいね。今日は?

私は返信した。

昨日は楽しかったです。ボイジャーが地球に戻ってチャック・ベリーの歌を奏でたころにまた行きます。

もしもビッグバン理論が正しいのなら、拡大している宇宙はやがて縮小して一点に戻るはずだ。その時、太陽系からはなれたボイジャーは、また戻ってくるだろう。

あの日、彼女はどう踊ったのか?
全てを語るより面白いことが、世の中にはあるだろ?