小市民ダークロのありがちで気の抜けた感じのやつ

遍在する森本玲


(友人からもらったメールより抜粋)

その1.イエローモンキーの歌より
「言葉を忘れたカナリアが空を飛ぶ。もう一度会いたいなと。」

その2.検索で、「森本玲」ってしてみた。なんか教会かんけいでしごとしてるらしい、、、。これって別人か。東洋言語研究室にもいるみたい。

その3.さらにきづいたのは、わたしはそれをなんどもしていたことだ。やばいな。ちょっと、先に行って、隣の奴殺しちゃってわたしのベッド空けておいて。

その4.また今日も検索した。わたしは一生この呪縛から逃れられないのか。

その5.また今日も検索した。森本レオ - れおんじ村 - 公式ページ。絵本ビデオ「れおんじ村のメルヘン畑」の試聴も。
ちょっと違うかも。

その6.また今日も検索した。
スタジオレイ:加瀬式中心呼吸をベースに食餌療法・ストレッチング・マッサージなどを含めたトータルな整体法を指導・施術。各健康法が詳しく解説されている他、アレルギーやダイエットの知識も紹介。

(以下、略。彼もしくは彼女、は3ヶ月にわたって検索し続けた)

その7.検索する必要はない。森本玲は遍在する。全ての事象に森本玲がいる。これって、記号論?トマスアクィナス?いつでもアクセスできる。記憶というネットワークを経由して。これって悲しいことなのだろうか。たぶんどこかで会えるのだろう。はじめからどこにでもいるのだ。寝ている場所が、隣でも、離れていても、全てを分かり合えることは出来ない。世界中のみんなとベッド、イン。

その8.わたしより長く生きているのだ。いろいろ深い、そして不快。自分の手の中で光るかというとそうでもなくて、違う人の手の平の中にいるから光り輝いている。それは宝石のような磨かれ方。眺めて楽しんで、時々光を当ててその美しさを鑑賞できれば、それでよかったのだ。金曜の夜が誘えない、木曜の人。

その9.愛とはそもそもなんだろう?あいうえお順に簡単に決めてしまったかのようだ。LOVEに値する言葉がなかったので、それっぽく江戸時代に名前を付けただけの話だ。言葉をなくしながら、わたしたちは二十一世紀を生きている。なきながらカナリアが空を飛ぶ。

その10.熱病のようなもので、風俗嬢の皮膚のように、いろいろな男達の刺激を受けて、かさぶたのようなはだざわりになっていく。おなじように、それっぽく現実を生きて、安らかに死んでいくそういうニンゲンに興味をもてないだけの話だ。落ち着いて考えてみれば、それは簡単なことのように思える。でも、悟りを開くにはまだまだ早すぎる。やわらかいはだざわりのヒトがいい。さわらなくてもわかるくらいのやわらかさ。せっかく生きることのできる場所があるんだから!

その11.世界中のみんなとアクセス、だからログ、イン。