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ジャマール
JAMAL


本名:エキ・エドワード・ソノラ・ファトゥ
1973年3月28日
カリフォルニア州サンフランシスコ出身
195cm 150kg
タイトル歴:世界タッグ(全日本プロレス) WWEインターコンチネンタル
得意技:ダイビング・ボディ・プレス サモアン・ドライバー サモアン・スパイク

150キロの巨漢ながらも空中殺法もこなし運動量豊富なレスリングを展開。兄はリキシ、叔父はアファ・アノアイシカ・アノアイ。ワイルドサモアンレスリングスクールで練習し、95年にデビュー。96年3月、ロージーと共にアルマゲドン1号&2号としてFMWに初来日。プエルトリコ、メンフィスを転戦。01年からWWFに登場。ロージーと組んでエリック・ビショッフの用心棒「3MW(スリー・ミニッツ・ワーニング)」を結成。03年1月24日、国立競技場代々木第一体育館でのWWEの日本公演に来日し、ロージーと組んでダッドリーボーイズと対戦。18分7秒、3Dにロージーがフォール負け。25日の大会では、ロージーと組んでゴールダストザ・ハリケーン組と対戦。9分12秒、ハリケーンのシャイニングウィザードをくらったジャマールがゴールドダストにフォール負け。その後、TNAに登場。11月、全日本プロレスに初来日し、世界最強タッグ決定リーグ戦にジャスティン・クレディブルと組んで参戦。リーグ戦を2位で通過。12月2日、宮城県スポーツセンター大会で小島聡カズ・ハヤシ組と優勝決定戦。17分50秒、ジャスティン・クレディブルがカズ・ハヤシのファイナルカットに敗れて準優勝に終わった。初来日の頃からTAKAみちのく率いる外国人ユニット「ROD」に参加。RODの中心選手として大活躍。全日本プロレスの外国人エースに成長した。04年4月にチャンピオンカーニバルに初出場し、Aブロック3位に終わるが武藤敬司に勝利するなど抜群の存在感をアピール。6月12日に川田利明の三冠王座に挑戦。18分1秒、ストレッチプラムに敗れた。7月25日に小島とのシングル戦で敗れて、全日本プロレスで初めてのフォール負け。11月からの最強タッグ決定リーグ戦では太陽ケアと組んで参加。12月1日の八戸市体育館大会での優勝決定戦で小島、カズ・ハヤシ組と対戦。24分36秒、ジャマールがサモアン・ドロップでハヤシを破り優勝を飾った。05年1月16日、太陽ケアと組んで、世界タッグ王座決定戦として棚橋吉江組と対戦。試合終盤でジャマールは雪崩式ブレーンバスター、パワーボム、上着を自ら脱ぎ捨ててのツームストンパイルドライバーを吉江に放つ。最後は27分16秒、吉江に対してダイビング・ボディプレスを浴びせて勝利。世界タッグ王座を獲得した。2月2日、武藤、諏訪間組を破り世界タッグ王座初防衛に成功。3月20日、ジョニー・スタンボリー、チャック・パルンボ組を破り世界タッグ王座2度目の防衛に成功。4月のチャンピオンカーニバルではBブロック2位で予選通過。4月20日、国立代々木競技場第2体育館大会での決勝トーナメント準決勝で小島と対戦。16分22秒、ダイビングボディプレスで勝利。同日の決勝で佐々木健介と対戦。17分32秒、ノーザンライトボム2連発に敗れた。7月17日、TARU、ジャイアント・バーナード組を破り世界タッグ王座3度目の防衛に成功。9月1日、小島の三冠王座に挑戦して破れる。11月からの最強タッグ決定リーグ戦では太陽ケアと組んで出場したが、Aブロック2位で優勝戦には出られなかった。12月5日の大田区体育館大会を最後に全日本プロレスを離脱。世界タッグ王座を保持したままの退団となった。06年4月、WWEにウマガの名で登場。アレハンドロをマネージャーに、顔にペイントを施し、サモアの原住民ギミックで活躍。10月にはWWEの日本公演に来日。18日にユージンと対戦し、6分49秒、サモアン・スパイクで勝利。19日にボールズ・マホーニーと対戦し、3分9秒、サモアン・スパイクで勝利した。10月、11月とケインに連勝し、WWEのトップグループに躍進。07年2月19日にジェフ・ハーディーをサモアン・スパイクで破りインターコンチネンタル王座を獲得。4月1日、レッスルマニア23でビンス・マクマホン(代理はウマガ)とドナルド・トランプ(代理はラシュリー)の億万長者対決、敗者髪切りマッチとしてボビー・ラシュリーと対戦。スティーブ・オースチンがレフリーになった。ウマガが劣勢になると、ビンスがシェーン・マクマホンと共に加勢。試合中盤には怒ったトランプがビンスに殴りかかる場面もあった。最後は反則をくり返すウマガにオースチンが制裁のスタナー。直後にラシュリーがスピアを放ちウマガのフォール負け。ビンスはスキンヘッドになった。オースチンは「お約束」とばかりにトランプにもスタナーを放った。4月16日、イタリア・ミラノ大会でサンティーノ・マレラを相手に防衛戦。試合では「ビンスが勝手に客席から指名した一般客」であるマレラを圧倒。しかし、ラシュリーの乱入でKOされ、マレラにフォール負け。タイトルから転落した。4月29日、ビンス、シェーンと組んで、ECW王者のラシュリーに挑戦。トップロープからのボディプレス2連発で、ビンスの勝利をアシスト。ビンスがECW王者となった。5月8日、ビンス、シェーンと組んで、ロブ・バン・ダム相手に防衛戦。スプラッシュ、サモアンスパイクでビンスの勝利をアシスト。6月3日、「ワンナイト・スタンド07」でビンス、シェーンと組んでラシュリーを相手に防衛戦。ウマガがラシュリーの体の上にドラム缶を置いて、シェーンがコーナーからのドロップキックを放ったが、ラシュリーがよけたため、ドラム缶はウマガを直撃。直後にラシュリーはスピアーをシェーン、ビンスに放って勝利。ビンスがECW王座から転落した。08年2月11日、WWEの日本公演に来日し、有明コロシアムでのメインイベントでウィリアム・リーガルと組んでHHH(トリプルH)ショーン・マイケルズのDXと対戦。19分50秒、HHHのペディグリーにリーガルがフォールを取られた。2月12日、日本武道館でのメインイベントでHHHと対戦。18分0秒、ペディグリーに敗れた。8月からヒザのケガで長期欠場。09年1月に復帰。5月17日、PPV「ジャッジメントデイ」でCMパンクと対戦。サモアンスパイクで勝利。6月7日、PPV「エクストリーム・ルールズ」でCMパンクを相手にサモアンストラップマッチで対戦。3つめのコーナーをタッチされてからGTSをくらってしまい、4つめのコーナーをタッチされて敗れた。6月8日、WWEを離脱。ウェルネスポリシーの2度目の違反が発覚し、規定されているリハビリ施設への入院を拒絶したことが離脱の原因だった。11月21日から28日にかけて、ホーガンの旗揚げした「ハルカマニア」のオーストラリア・ツアー(全4戦)に参加し、ユーソ・ファトゥの名で出場した。11月28日、シドニーのエイサー・アリーナ大会でミスター・アンダーソン(ミスター・ケネディ)と対戦。10分48秒、サモアンスパイクで勝利。12月4日、心臓発作のため死去。

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