レスラーノート

ラヨ・デ・ハリスコ・ジュニア

RAYO DE JALISCO Jr.
1960年1月1日(20日説あり)
ハリスコ州グアダラハラ出身
180cm 115kg

タイトル歴
ナショナル・ヘビー
NWA世界ライトヘビー
CMLL世界ヘビー
WWA世界ヘビー
得意技
トペ・デ・レベルサ

父はトペ・デ・レベルサ(背面アタック。後ろ向きに飛んで、頭から当たる)の名手、ラヨ・デ・ハリスコ。父とディアブロ・ベラスコにルチャを習う。75年11月28日にトラケパケでデビュー。デビュー当時はライマンの名で活躍。84年1月8日、メキシコシティでピラタ・モルガンを破り、ナショナル・ヘビー級王座を獲得。85年6月21日、アレナ・メヒコでMS1のNWA世界ライトヘビー級王座に挑戦。1本目は左腕を攻めて、6分24秒に腕ひしぎ逆十字固めでハリスコが勝利。2本目は2分19秒に変形エビ固めでMS1が勝利。3本目はMS1のトペ・スイシーダに、ハリスコがトペやトペ・デ・レベルサで反撃し、最後は場外へのプランチャをダイナミックに決めて、4分6秒に首固めで勝利。NWA世界ライトヘビー級王座を獲得した。同王座は1年9ヶ月の長期政権を築き、EMLLテクニコのエースとして活躍。長男もマスクマンとして活躍。長女はミズキ、次女はオユキ、三女はナオミ、三男がヒロユキ、四男はジロウと名づけるくらいの日本好き(次男の名前だけはアントニオ)。覆面剥ぎ戦では82年9月2日にMS1、83年12月9日にエル・エヒプシオ、90年9月21日にシエン・カラスなどに勝利している。シエン・カラス戦ではアレナ・メヒコの最高観客数2万人を動員。客を入れすぎて3階席が崩れて数十人が負傷する事故がおきた。 93年6月にAAAに移籍したが、10月にEMLLに復帰。 96年4月、CMLL世界ヘビー級王座を獲得して1年間王座を守った。 97年2月、CMLLジャパンに来日。2月3日、名古屋市中村スポーツセンター大会でアポロ・ダンテスを相手に防衛戦。18分8秒、プランチャを決めてリングアウト勝ちし、防衛に成功。12月、CMLLジャパンに来日。12月17日、後楽園ホール大会でシエン・カラスと対戦。18分36秒、ボディスラムを首固めに切り返してフォール勝ち。 01年1月にもCMLLジャパンに来日した。 02年5月11日、メキシコシティ・アレナコリセオでの闘龍門5周年記念大会でアトランティス、ビジャノ3号、ビジャノ4号と組んでSUWA、スコルピオ・ジュニア、アポロ・ダンテス、ドクトル・ワグナー・ジュニア組と対戦。1本目は8分50秒、ビジャノ4号が横入り式エビ固めでワグナー・ジュニアにフォール勝ち。2本目は6分27秒、ワグナー・ジュニアのライガーボムにビジャノ4号が敗れた。3本目は10分12秒、ハリスコ・ジュニアがトペ・デ・レベルサでワグナー・ジュニアに勝利した。 03年3月21日、レイ・ミステリオを破り、WWA世界ヘビー王座を獲得。05年からフリー。 07年11月11日、新木場1stRINGでの「覆面MANIA6」に来日。ザ・グレート・サスケ、ミステル・カカオと組んでサスケ・ザ・グレート、月光、ディアブロ・デ・ラ・アラニャ・ネグラ組と対戦。14分33秒、トペ・レペティシオン・ア・コラソンをネグラに浴びせて勝利した。 12年11月7日、後楽園ホールでの「LUCHA FIESTA 2012 ウルティモ・ドラゴンデビュー25周年記念大会」に来日。メインでウルティモ・ドラゴン、サスケと組んでウルティモ・ゲレーロ、ブラック・タイガー(高岩)、大原はじめ組と対戦。1本目は9分13秒、大原のフィンランド式フォアアームでウルティモが敗れた。2本目は2分4秒、ウルティモが大原に反則勝ち。3本目は6分56秒、ラヨがトペ・デ・ボレゴでブラック・タイガーにフォール勝ちしたのと同時に、ウルティモがドラゴンスリーパーで大原にギブアップ勝ちした。 15年12月18日、リーガ・エリテのアレナメヒコ大会でデビュー40周年記念試合。アトランティス、オクタゴンと組んでシエン・カラス、マスカラ・アニョ・ドスミル、ウニベルソ・ドスミル組に勝利した。 18年11月30日、CMLLのアレナ・メヒコ大会でアトランティス、ブルー・パンテルと組んでカネック、マスカラ・アニョ・ドスミル、ビジャノ4号組と対戦。2対1で勝利した。 19年12月6日、CMLLのアレナ・メヒコ大会でティニエブラス・ジュニア、ビジャノ4号と組んでカネック、フエルサ・ゲレーラ、マスカラ・アニョ・ドスミル組と対戦。3本目にカネックのローブローをハリスコ・ジュニアがくらって反則勝ち。 22年4月30日、AAAの「トリプレマニア」でルレタ・デ・ラ・ムエルテ(最後に負けた者がマスクを脱ぐ負け残りトーナメント)に参戦し、1回戦でブルー・デーモン・ジュニアと対戦。ギターで殴ってフォール勝ち。