レスラーノート

ビジャノ3号

VILLANO 3
本名:アルトゥーロ・メンドーサ・ディアス
1952年3月23日
メキシコシティ出身
170cm 96kg

タイトル歴
UWA世界ウェルター
UWA世界ライトヘビー
WWF世界ライトヘビー
UWA世界ジュニア
CMLL世界ライトヘビー
得意技
セントーン
DDT

鉄人レイ・メンドーサの三男。父やハム・リーからルチャの英才教育を受ける。70年1月29日にデビュー(66年にデビューした説もある)。デビュー後の数年はローカル地区を転戦し修行を積む。 73年1月にアレナ・ナウルカパンでマスクマンのビジャノ3号としてデビュー。 75年にUWAに移籍。12月、ウラカン・ラミレスを破り第2代UWA世界ウェルター王座を獲得。約1年半で25度の防衛に成功。 78年8月13日、メキシコシティのパラシオ・デ・ロス・デポルテス(収容人数2万2千人の闘牛場)大会のメインに登場し、満員の大観衆を前でボビー・リーと組んでロス・エスコルピオネス1号、2号組に勝利してマスクを剥いだ。 81年3月、フィッシュマンを破りUWA世界ライトヘビー級王座を獲得。6月24日、新日本プロレスの蔵前国技館大会でタイガーマスクと対戦し、華麗な試合を展開。試合終盤にフライングクロスアタックを炸裂させたが、2発目をかわされて場外転落。プランチャをくらってしまい、15分55秒、リングアウト負けに終わった。 82年9月3日、新日本プロレスの福岡スポーツセンター大会でタイガーマスクのWWFジュニア王座に挑戦。7分2秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。メキシコではルードでありながら、あまりの人気を得てしまい、10月にテクニコに転向。 83年3月にエル・トレオでペロ・アグアヨを破りWWF世界ライトヘビー級王座を獲得。アグアヨ、フィッシュマン、ランボー、サングレ・チカノらと抗争をくり返し、同王座は94年7月18日までに計7回獲得した。 92年6月にはザ・キラーからUWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得。ペガサス・キッド(クリス・ベンワー)とも抗争し、3月3日にWWFライト王座を奪われ、9月13日にペガサス・キッドに勝利してWWFライト王座を奪回。11月3日にはマスカラ戦で勝利してペガサス・キッドのマスクを剥いだ。 93年1月、UWAを離脱してAAAに移籍。 AAAを離脱後、再び95年1月にAAAに移籍。 96年11月にプロモ・アステカを経て98年7月にEMLLに移籍。ルードに転向。 99年にプエルトリコに遠征。帰国後にピエロー・ジュニア、フエルサ・ゲレーラとロス・ボリクアスという軍団を結成。アトランティスと抗争した。11月22日にアトランティスを破りCMLL世界ライトヘビー級王座を獲得。ランボー(87年10月)、スペル・アストロ(99年12月)ら、30人以上とマスカラ戦を行ない、マスク剥ぎに成功し続けたが、 00年3月17日、アレナ・メヒコでアトランティスに敗れてマスクを取られる。4月にテクニコに転向。 01年7月、シグノをカベジュラ戦で破る。10月17日、ショッカーに敗れてCMLL世界ライトヘビー級王座から転落。 05年11月24日、ドラゴンドアの後楽園ホール大会でタイガー・ドラゴン(ウルティモ・ドラゴン)、マクシモと組んでシャノン・ムーア、ドラゴン・ザ・グレート(折原)、タイガー・ザ・グレート組と対戦。17分47秒、マクシモが三角跳びヒップアタックでタイガー・ザ・グレートに勝利。 15年8月9日、AAAの「トリプレマニア」で引退試合。4号、5号と組んでサイコ・クラウン、モルダー・クラウン、モンスター・クラウン組と対戦。3号がサイコ・クラウンにローブローからフォール勝ち。 18年8月21日、脳梗塞のため死去。