レスラーノート

アーン・アンダーソン

ARN ANDERSON

本名:マーティー・ルンディ
1958年9月20日
ジョージア州ローム出身
188cm 110kg

タイトル歴
WWF世界タッグ
WCW世界タッグ
NWA世界タッグ
NWA・TV
得意技
スパインバスター
フェイスバスター
DDT

派手な存在ではなかったが、玄人受けする老獪なレスリングを展開した。82年1月にデビュー。83年にオレイ・アンダーソンがブッカーを務めるジョージア地区に進出。オレイとのコンビで活躍した。リック・フレアータリー・ブランチャードを含めてフォー・ホースメンとしても活躍。ジム・クロケット・プロモーション(WCWの前身)に進出。86年1月にはワフー・マクダニエルを破りNWA・TV王座(後のWCW・TV王座)を獲得。同王座は90年1月(12月にZマン(トム・ジンク)に敗れるまで保持)、91年1月(Zマンに勝利して奪回)、95年1月(レネゲイドに勝利)と、のべ4回獲得している。タッグではタリー・ブランチャードと組んで「ブレーンバスターズ」を結成。ボビー・ヒーナンをマネージャーにしてテクニシャン系のタッグチームとして活躍。87年9月にNWA世界タッグ王座を獲得した。ブランチャードと共にWWFに進出。89年にデモリッション(アックススマッシュ)を破りWWF世界タッグ王座を獲得した。その後WCWで活躍。ラリー・ズビスコと「ジ・エンフォーサー」を結成。91年9月にWCW世界タッグ王座を獲得。92年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会でラリー・ズビスコと組んで越中小原組と対戦。12分32秒、アンダーソンがスパインバスターで小原に勝利。コンビ解消後はシングルに転向。リック・フレアー率いる「フォー・ホースメン」で活躍した。96年9月20日、新日本プロレスの大阪府立体育館大会での日米対抗スーパースターズ・トーナメント1回戦で天山広吉と対戦。9分45秒、ダイビング・ヘッドバットに敗れた。97年に首のケガにより引退。WCWのフロントに入る。02年5月、WWEのロードエージェントに就任。21年6月6日、息子のブロック・アンダーソンがAEWでデビュー。