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エディ・ゲレロEDDIE GUERRERO1967年10月9日 メキシコ・チワワ州ファレス出身 174cm 89〜100kg |
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通称
ラティーノ・ヒート
タイトル歴
WWE世界ヘビー
WWFインターコンチネンタル WWFヨーロピアン・ヘビー WCW世界クルーザー WCW・USヘビー ECW・TV PNWタッグ WWEタッグ 得意技
フロッグ・スプラッシュ
垂直落下式ブレーンバスター スワンダイブ式プランチャ |
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90年4月に他界した大レスラー、ゴリー・ゲレロの四男。レスラーでもある実兄チャボ、マンド(アーマンド)、ヘクターの3人からレスリングの基礎を学ぶ。86年にファレスでデビュー。92年4月、新日本プロレスに初来日。トップ・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦。来日前の前評判はほとんどなかったにも関わらず、ダイナミックな空中殺法や重厚なレスリングで注目を浴びた。その後、EMLLと契約。9月にマスクマンの初代マスカラ・マヒカに変身。11月にAAAに入団。27日のアグアスカリエンテス大会から出場し、その場でマスカラ・マヒカのマスクを脱いで素顔になった。93年9月より2代目ブラック・タイガーに変身。11月24日、新潟市体育館大会で獣神サンダーライガーのIWGPジュニア王座に挑戦。13分30秒、体固めにフォール負け。94年3月21日、愛知県体育館大会でライガーのIWGPジュニア王座に挑戦。16分41秒、片エビ固めにフォール負け。4月16日、両国国技館での第1回スーパーJカップに参戦。1回戦でTAKAみちのくと対戦。6分47秒、スイングDDTで勝利。2回戦でワイルド・ペガサスと対戦。10分23秒、ダイビング・ボディアタックで飛んだところを巻き投げに切り返されてフォール負け。同年に米国に進出し、ECWに登場。12月11日、愛知県体育館大会で保永昇男のIWGPジュニア王座に挑戦。19分47秒、片エビ固めにフォール負け。95年6月12日、大阪府立体育会館大会でサブゥーのIWGPジュニア王座に挑戦。15分50秒、アラビアンプレスに敗れた。8月26日のフィラデルフィア大会を最後にECWを離脱。9月よりWCWに参戦。96年2月3日、札幌中島体育センター大会でライガーのIWGPジュニア王座に挑戦。12分26秒、片エビ固めにフォール負け。6月、新日本プロレスののベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに出場し、初優勝を飾る。6月17日、日本武道館大会でザ・グレート・サスケのIWGPジュニア王座に挑戦。16分54秒、片エビ固めにフォール負け。11月25日からUSヘビー級王座決定トーナメントに出場。11月25日の1回戦でコナン、12月23日の2回戦でクリス・ベンワー、29日の決勝戦でダイヤモンド・ダラス・ペイジを破り、WCW・USヘビー級王座を獲得した。97年9月14日、クリス・ベンワーを破りWCW世界クルーザー級王座を獲得。10月26日にレイ・ミステリオ・ジュニアに敗れて王座転落するが、11月10日のリターン・マッチに勝利して王座を奪回した。12月29日、ウルティモ・ドラゴンを相手に防衛戦。ドラゴンスリーパーに敗れて王座転落。00年1月にWWFへ移籍し、同年4月にはWWFヨーロピアン王座を奪取している。01年11月にWWEを離脱。12月にはICWでロウキーと対戦して敗れている。02年3月、3年半ぶりに新日本プロレスに登場。T2000ジュニアの強力な戦力として活躍した。同年4月にWWEに復帰。03年7月17日、横浜アリーナでのRAWの日本公演に来日し、TAJIRIと対戦。20分5秒、フロッグ・スプラッシュで勝利。18日の大会ではシナと組んでアングル、TAJIRI組と対戦し、16分2秒、TAJIRIのバズソーキックにエディが敗れた。04年2月26日、「ノーウェイアウト2004」でブロック・レスナーと対戦。ゴールドバーグの乱入も含めた29分55秒の消耗戦の末、フロッグ・スプラッシュで勝利しWWE世界ヘビー級王座を獲得した。6月27日にJBLに敗れて王座転落した。7月16日、日本武道館でのWWEの日本公演のメインで、JBLのWWE王座に挑戦。17分3秒、カート・アングルの乱入により反則勝ち。規定により王座の移動はなかった。17日の同会場での大会ではメインでアンダーテイカーと組んでJBL、アングル組と対戦。19分39秒、エディのフロッグスプラッシュでJBLにフォール勝ち。05年2月5日、さいたまスーパーアリーナでのWWEの日本公演に来日し、ケンゾー・スズキと対戦。4分17秒、フロッグ・スプラッシュで勝利。7月1日、さいたまスーパーアリーナでのWWE日本公演に来日し、ミステリオと対戦。27分15秒、スプリングボード・レッグドロップに敗れた。7月2日の大会ではアングル、エッジと組んでミステリオ、アンダーテイカー、ケイン組と対戦。23分34秒、3者同時フォールに敗れた。2月にミステリオと組んでバシャム・ブラザーズを破りWWEタッグ王座を獲得。その後はレイ・ミステリオと抗争しヒールに転向。「ラティーノ・ヒート」とも呼ばれ、「ライ・チート・アンド・スティール」(ウソあり、ズルあり、盗みあり)のモットーで活躍。スペイン語圏の観客から支持を得た。11月13日、ミネソタ州ミネアポリスのホテルで死去。享年38。
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