フロリダ州立大学ではフットボールで活躍。全米オールスターに3回選出された。卒業後はNFLのクリーブランド、USFLのタンパベイで活躍。ヒロ・マツダのコーチを受けて86年10月にデビュー。12月2日にはカリーム・ムハマッドを破りフロリダヘビー級王座を獲得。87年3月からジム・クロケット・プロに進出。90年5月にブッチ・リードと「ザ・ドゥーム」を結成。90年5月19日、スタイナー・ブラザーズを破りWCWタッグ王座を獲得。2月24日にファビュラス・フリーバーズ(マイケル・ヘイズ、ジム・ガービン)に敗れて王座転落し、リードと仲間割れ。3月21日、新日本プロレスの東京ドーム大会に初来日。ブッチ・リードと組んでベイダー、ビガロ組と対戦。13分17秒、ベイダーのフライング・ボディプレスにリードがフォール負け。5月19日、PPV「スーパー・ブロール1」での金網マッチでリードに勝利した。9月に新日本プロレスのシリーズに来日。9月19日、大宮スケートセンター大会で馳浩と対戦し、3分18秒、スパインバスターで勝利。92年8月2日、メリーランド州ボルチモアでベイダーのWCW王座に挑戦。パワースラムで勝利。WCW世界ヘビー級王座を獲得。12月30日、メリーランド州ボルチモアでベイダーを相手に防衛戦。ショルダーバスターに敗れて王座転落。93年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会でトニー・ホームと対戦。大振りのパンチをかわしてからスパインバスターで倒し、6分1秒、エビ固めに決めてフォール勝ち。同年からECWに登場。94年10月9日から始まった新日本プロレスのSGタッグリーグ戦にネイルズと組んで参戦。96年9月にWWFに進出。WWFではファルークの名で活躍。98年秋からブラッドショーとアコライツを結成。99年5月25日にWWF世界タッグ王座を獲得。6月29日にベルトをハーディー・ボーイズに奪われるが、7月25日にハーディーズを破り奪回。00年には雇われ用心棒的なAPA(アコライツ警備保障)を結成。ベビーもヒールも問わず、乱入やボディガードをこなす無頼派コンビとして、主にリング外で活躍。01年7月9日にはダッドリー・ボーイズを破りWWF世界タッグ王座を獲得した。04年3月に体調不良のためセミリタイア。WWEのオフィスで勤務。06年10月、RAWの放送中に久しぶりに登場し、「Damn!」と言って立ち去る。その後もRAWの番組中に「Damn!」と一言だけ吐き捨てるキャラとして登場。11月26日、「サバイバー・シリーズ」でリック・フレアー、ダスティ・ローデス、サージェント・スローターと組んで、スピリット・スクワッドとイリミネーション・マッチで対戦。10分31秒、フレアーの四の字固めで勝利した。07年8月の放送では、マイケル・コールから80年代の好きなグループを聞かれて「WHAM(ワム)!」と答えた。12月にJBLと共にAPAを復活させた。その後も番組制作の仕事と平行してたびたび番組中に「Damn!」と出演していたが、09年1月にWWEを離脱。
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