ビリー・ライレー・ジムで練習してデビュー。イギリス、西ドイツを中心に活躍。68年4月21日にメキシコのアレナ・メヒコででレネ・グァハルドのNWA世界ミドル王座に挑戦。3本勝負の1本目に勝利したが、2対1で敗れた。75年1月に新日本プロレスに初来日。
77年12月8日、蔵前国技館大会でパット・パターソンと組んで北米タッグ王者の坂口征二、ストロング小林組に挑戦。敗れたが大善戦した。
82年3月4日の後楽園ホールでの初代タイガーマスクとのWWFジュニアヘビー級タイトルマッチが、ライトの日本でのベストバウトといわれる。モンキーフリップでカバーに入ろうとするタイガーを足で受けてそのまま立ち上がり、モンキーフリップを返す動作で観客をどよめかせた。足を負傷していたタイガーマスクを攻めたて、ランカシャーレスリングで翻弄。場外でアトミックドロップをかわされ、鉄柱に激突させられ、11分48秒、リングアウト負けに終わった。4月1日、蔵前国技館大会で再戦し、互角の勝負を展開。ロメロスペシャル、卍固めも見せた。17分50秒、バックフリップで敗れた。
85年12月から90年9月にかけて、ドイツのCWAでCWA世界ミドル級王座を3度獲得。
息子のアレックスもレスラーとなり、WCWで活躍した。
スティーブ・ライトはヨーロッパスタイルで、動きの型を持っていました。だから対戦するときは、ボクもそれに付き合うような展開になることが多かったです。クルッと回って、腕を取って、キュ、キュ、キュッていう感じで、なんか学校の先生とやっているみたいな感じでしたね。ボクが若手の時代の大先輩なんで、学校の先生に向かって「はい、お願いします」って言っているような感じで(苦笑)。当然、ちゃんとした実力は持っていましたけどね。イギリス時代は対戦経験はないんですけど、スティーブ・ライトに限らず、先輩選手との対戦はやりづらいんですよね。だからボクのなかでスティーブ・ライトはライバルというか、半分は先輩で半分は先生という感じでしたね。(週刊プロレスNo.1516 初代タイガーマスクのインタビューより)
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