マッチョマンの異名を持つ、WWFの看板レスラーだった。派手な衣装に身を包み、大味で豪快なスタイルで活躍。父はレスラーのアンジェロ・ポッフォ。高校卒業後、キャッチャーとしてレッズ、カージナルス、ホワイトソックスの2Aに通算5シーズン在籍。
75年にプロレス入り。
78年に父がケンタッキー地区でICW(International Championship Wrestling )を旗揚げ。弟のラニー・ポッフォと共にICWのエースとして活躍。デトロイト地区ではシークらと抗争した。
83年にライバル団体のCWAに移籍。ジェリー・ローラーと抗争。
85年6月にWWF入り。
86年2月、インターコンチネンタル王座を獲得。
87年3月29日、「レッスルマニア3」でリッキー・スティムボートを相手に防衛戦。流れるような動きで観客を魅了し名勝負を展開。14分35秒、ボディスラムを片エビ固めに切り返されてフォール負けして王座転落。
88年3月27日、レッスルマニア4でのWWF世界ヘビー級王座決定トーナメントの決勝戦でテッド・デビアスと対戦。ダイビング・エルボードロップで勝利。WWF世界ヘビー級王座を獲得。
90年4月13日、東京ドームでの日米レスリングサミットで天龍源一郎と対戦。10分49秒、延髄斬りからのパワーボムに敗れた。
91年3月30日、SWSの東京ドーム大会に来日し、ジョージ高野と対戦。観客を沸かせる好試合を展開し、13分42秒にダイビング・エルボードロップで勝利した。4月1日、SWSの神戸ワールド記念ホール大会で天龍と対戦。8分3秒、パワーボムに敗れた。6月11日、SWSの大阪府立体育館大会のメインで谷津嘉章を相手にランバージャック・デスマッチで対戦。14分21秒、ダイビングエルボードロップで勝利。
92年4月、レッスルマニア8でリック・フレアーを破り再びWWF世界ヘビー級王座を獲得。
94年秋にWCWに移籍。
95年11月26日、60人参加、3つのリングを使ったバトルロイヤルに勝利して、WCW世界ヘビー級王座を獲得。12月27日、PPV「スターケード」でフレアーに敗れて王座転落。
96年1月22日、再びWCW世界ヘビー級王座を獲得。2月11日、金網マッチでフレアーに敗れて王座転落。4月29日、新日本プロレスの東京ドーム大会に来日し、天山広吉と対戦。9分49秒、首固めで勝利した。7月17日、新日本プロレスの札幌中島体育センター大会でライガーと対戦。ラリアットからのダイビングエルボードロップで勝利。試合後に健闘を称えあった。
97年にNWOに入る。
99年7月にWCW世界ヘビー級王座を獲得。
00年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会に来日し、リック・スタイナーと対戦。両者ともコンディションが悪く、凡戦を展開。11分8秒、ブルドッキングヘッドロックに敗れた。同年にWCWを離脱。
02年に公開されたサム・ライミ監督の映画「スパイダーマン」にプロレスラーのボンソウマグロー役として出演し、スパイダーマンと試合をした。
04年12月5日、TNAの「ターニングポイント」で、ジェフ・ハーディー、AJスタイルズと組んで、ジェフ・ジャレット、スコット・ホール、ケビン・ナッシュ組と対戦。試合終盤で登場し、特に大きな見せ場はなかったが、ロープに飛んで回転エビ固めを狙うジャレットを押しつぶして17分52秒で勝利。TNAでの出場はこの1試合に終わった。
11年5月20日、09年モデルのジープ・ラングラーでフロリダのハイウェイを運転中、心臓発作を起こしたのか、車両のコントロール不能に陥り、中央分離帯を飛び出し、反対側の道路脇の木に正面衝突。病院に搬送されたが死去。同乗していた妻は軽症で無事だった。
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