「カナダの雷鳥」と言われたレスラーで、カルガリー地区では英雄的な人気を誇っていた。アマレスの強豪で、72年のミュンヘン五輪に参加。スチュ・ハートにスカウトされてプロレス入り。75年にはJ・クインを破り北米ヘビー級王座を獲得。76年4月に全日本プロレスに初来日。第4回チャンピオンカーニバルに出場し、14人中13位の成績だった。帰国後はテキサス州アマリロ地区に定着。76年7月と10月にインターナショナル・ヘビー級王座を獲得。79年にドリー・ファンク・ジュニアと組んでインターナショナル・タッグを獲得した。80年に2回、ウェスタンステーツ・ヘビー級王座を獲得。一時は試合中のアクシデントで首の骨を折り再起不能といわれたが、見事に執念でカムバックしたことで不死身の男ともいわれた。83年に引退。
|