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ラリー・ヘニング
LARRY HENNIG


本名:ローレンス・ヘンリー・へニング
1936年7月29日
ミネソタ州ミネアポリス出身
190cm 135kg
タイトル歴:AWA世界タッグ IWA世界タッグ

ミネソタ州ロビンスデール高校ではアマレスで活躍。フットボールでも活躍。ミネソタ大学フットボール部で活躍していたが、在学中に結婚し1児の父となり中退。56年、バーン・ガニアに指導を受けてAWAでプロレス入り。パワー殺法で活躍。62年1月15日、デューク・ホフマンと組んでAWA世界タッグ王座を獲得。同年4月、日本プロレスに初来日。初来日時は「「北海の獅子王」と呼ばれたバイキングの血を引くレスラー」とプロレス雑誌で宣伝され、バイキングのヘルメットを被りバイキングのような上着を着て、デンマーク代表としてワールドリーグ戦に参戦した。AWAでは若手時代のハーリー・レイスとタッグを組んで、AWA世界タッグを4度も獲得した。「プリティボーイ」ラリー・ヘニング、「ハンサム」ハリー・レイスの異名で、ディック・ザ・ブルーザークラッシャー・リソワスキー組らと抗争。67年10月、カナダ・ウィニペグ近郊での試合で左膝を複雑骨折。68年4月に復帰。70年11月19日、国際プロレスの足利市月見丘高校体育館大会ででボブ・ウィンダム(後のブラックジャック・マリガン)と組んで杉山草津組を破りIWA世界タッグ王座を獲得。12月10日、吉井町体育館大会でサンダー杉山のIWA世界王座に挑戦。1本目は4分5秒、両者リングアウト。2本目は1分24秒、反則負けに終わった。12月12日、台東体育館大会で杉山、草津組に敗れてタッグ王座から転落。76年10月、新日本プロレスに来日。81年11月には全日本プロレスに登場し、ハーリー・レイスと組んで最強タッグ決定リーグ戦に出場。86年1月、引退。ミスター・パーフェクト・カート・ヘニングの父親でもある。14年2月23日、WWEのPPV「エリミネーションチェンバー」にゲスト登場。孫のカーティス・アクセルのセコンドについた。18年12月6日、死去。

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