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安田忠夫1963年10月9日東京都大田区出身 193cm 120〜138kg 血液型:A型 |
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通称
借金王
タイトル歴
IWGPヘビー
ハッスル・スーパータッグ 得意技
タイガードライバー
フロントスリーパー ダブルアームスープレックス |
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中学卒業を前に大相撲の九重部屋に入門。90年の名古屋場所で小結に昇進するなど孝乃富士の四股名で活躍。双羽黒から2度の金星を挙げている。92年の夏場所を最後に角界を退き、93年6月、新日本プロレスに入門。
94年2月、日本武道館の馳浩戦でデビュー。そのデビュー戦では新人とは思えない大器ぶりを発揮して注目を集めた。3月には猪木とのタッグを経験。
97年4月に「飛翔」五番勝負を行い武藤、健介らを相手に健闘。8月にはG1初出場。
2000 2001 01年1月、猪木に弟子入りし渡米。LAジムで特訓を積み、3月「PRIDE13」でバーリトゥードに初挑戦。元K1戦士の佐竹雅昭に判定勝ちを収めた。5月5日福岡ドームで新日マット復帰。8月のG1ではベスト4進出。猪木軍団の一員としてK1との対抗戦にも出陣。12月31日、さいたまスーパーアリーナでの「イノキボンバイエ2001」のメインでK1の強豪、ジェロム・レ・バンナと対戦。大方の予想を覆して2R2分10秒、ギロチンチョークで勝利。試合後に娘を肩に担ぎあげて大歓声に応えた。2002 02年2月シリーズでのIWGP王座トーナメントで優勝し、第30代IWGPヘビー級王座を獲得した。3月21日に天山と防衛戦を行い、13分25秒、フロントスリーパーで勝利。4月5日に永田に敗れて王座転落。8月から魔界倶楽部のリーダーとして活躍。2003 03年12月31日、神戸ウイングスタジアムでの「イノキボンバイエ2003」でレネ・ローゼと対戦。1R52秒、マウントパンチをくらってTKO負け。2004 04年1月4日、東京ドーム大会で成瀬昌由と対戦。2分9秒、急所攻撃により反則負け。延長戦が行われ、30秒、ドラゴンスクリューからの胴絞めスリーパーにレフリーストップ負け。その後、ギャンブル好きが治らず会社への借金、遅刻や無断欠勤が続く。9月12日に古河大会を無断欠場した結果、9月15日に無期限出場停止処分。2005 05年1月18日に新日本プロレスから解雇された。5月23日、IWAジャパンの後楽園ホール大会に出場。7月にはゼロワンMAXに登場。7月13日、福岡国際センターでの「ハッスル10」に登場し、メインイベントで小川直也と対戦。「借金王」対「納税王」の一億争奪賞金マッチとなった。ギロチンチョーク、フロントスリーパーで攻める安田に対し、小川は足四の字固めで反撃。安田は金的蹴りとダブルアーム・スープレックスで勝利をつかみかける。しかし最後は8分25秒、小川が払い腰、STO、STOボンバーとたたみかけて勝利した。試合後に高田総統から出されたお札は高田総統の顔がプリントされた1億モンスタードル。「借金王、こうなったらハッスル軍へ入れよ」とマイクでアピールする小川に対し「小川、俺の保証人になってくれるか?」と問いかけ、小川は快諾。安田のハッスル軍入りが決定した。7月15日、大阪府立体育会館での「ハッスル11」では小川と組んでブルーノ・ヘラクレス、キング・ギラファ組と対戦。試合中にアン・ジョー司令長官から差し出された現金の誘惑に勝てず、パイプ椅子を振りおろして小川をKO。さらにショルダータックルでふっ飛ばし、モンスター軍の勝利をアシストした。7月29日から始まったZERO−ONE MAXのシングルリーグ戦「火祭り」に「賞金500万円を目当てに」参戦。7月31日、後楽園ホール大会で佐藤耕平と対戦。7分18秒、ビッグブーツで勝利。8月2日、いわき市総合体育館大会で田中将斗と対戦。7分46秒、リングアウト勝ち。8月5日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で大谷晋二郎と対戦。10分49秒、横入り式エビ固めにフォール負け。8月7日、後楽園ホール大会で池田大輔と対戦。5分57秒、リングアウト負け。2勝2敗でリーグ戦を終えた。10月10日、ZERO−ONE MAXの後楽園ホール大会で大森隆男と対戦。7分11秒、逆さ押さえ込みでフォール勝ち。11月3日、ハッスルの横浜アリーナ大会で天龍源一郎と組んで金村、田中将斗組と対戦。10分9秒、天龍の53歳で勝利してハッスル・スーパータッグ王座を獲得した。2006 06年3月5日、ハッスルの横浜文化体育館大会で坂田、崔組を相手にタッグ王座の防衛戦。10分56秒、坂田のダイビングフットスタンプに安田が敗れてタッグ王座から転落。5月27日、ZERO−ONE MAXの和歌山県立体育館大会で長尾浩志と対戦。8分22秒、フロントチョークで勝利。5月28日、ZERO−ONE MAXのツインメッセ静岡大会で佐藤耕平と対戦。10分42秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。11月1日にゼロワンMAXのアクロス福岡大会で大谷とシングルで対戦。5分55秒、投げっぱなしドラゴン・スープレックスに敗れた。11月24日の試合を最後にリングから遠ざかる。2007 07年4月9日、「闘今BOM−BA−YE」旗揚げ戦の記者会見で「このままでいいのかという選手にもうひと花咲かせてあげたい」と猪木が発言。4月10日にタレントの春一番に連れられ事務所に姿を現し「闘今BOM−BA−YE」出場を直訴。猪木は「闘今BOM−BA−YEは元気がテーマだから元気にやってくれ。元気があれば借金も返せる」と弟子にエールを送った。6月29日、両国国技館での「闘今BOM−BA−YE」でジョシュ・バーネットと対戦。4分17秒、馬乗りパンチ連打からの腕ひしぎ十字固めで敗れた。試合後、あまりのふがいなさに、コーチ役を務めた藤原喜明に張り手2発をもらった。9月8日、IGFの愛知・日本ガイシホール大会ではマーク・コールマンと対戦。マウントを奪われ、たまらず場外へ逃げると、無気力試合を許さない立会人の藤原喜明のビンタをもらう。3分10秒、袈裟固めで敗れた。試合後、怒り心頭の藤原に鉄拳制裁を受けた。10月4日の夜に友人らに自殺をほのめかすメールを送信。練炭と睡眠薬を使い自殺を企てたが、自宅で倒れているところを発見され5日未明に緊急入院。5日夜に意識を取り戻した。12月20日、IGFの有明コロシアム大会でレネ・ローゼ、小川直也を相手に三つ巴戦。最初のレネ・ローゼ戦では、蹴り、掌底、ひざ蹴りの猛攻を浴びてダウン。場外に落としてからのイス攻撃2発で失神させ、3分23秒、TKO勝ち。次の小川直也戦では、小川のキックに対し「来い!」と胸を突き出し、これまでのふがいない戦いぶりと決別する強い心意気を見せたが、8分39秒、STOでKO負け。KOされてからも安田を攻撃し続ける小川に対し、猪木が乱入して小川を絞め落とし、大混乱のまま大会が終了した。レネ・ローゼとの試合中に左腕尺骨骨折で全治6週間のケガを負った。2008 08年2月16日、IGFの有明コロシアム大会でダニー・イグアスと対戦。フロントチョークをロープに逃げられ、1分20秒、強烈なニーリフトをくらってTKO負け。4月29日、ゼロワンMAXの後楽園ホール大会で蝶野正洋と組んで大谷、大森組と対戦。11分14秒、大谷のドラゴンスープレックスホールドに敗れた。7月20日、東海プロレスの名古屋・日本ガイシホール第三競技場大会で小仲=ペールワンと対戦し、2分43秒、ダブルアームスープレックスで勝利した。8月15日、IGFの両国国技館大会で、小川、シウバ戦の試合前に小川を奇襲してダメージを負わせたが、立会人の藤原によって控室に連れ戻された。同年に猪木の紹介でパチンコチェーン店に就職し、新潟で働くが、2ヶ月ほどで退職。青森県大間町の友人の元で居候生活を送る。10月にケンドー・カシンの実家が経営する「トキワ養鶏」グループの養豚場(岩手県八幡平市)に就職。11月13日に宮本和志自主興行への出場が予定されていたが、養鶏場に就職が決まったことを理由に欠場した。2009 09年1月31日、ベイダータイムの新木場1stRING大会でマイク・フェースと対戦。4分59秒、裸絞めに敗れた。2月3日、ベイダータイムの新木場1stRING大会で若翔洋と組んでランス・ホイト、嵐組と対戦。靴のヒモを直すフリをしてタッチを拒否するなど無気力ぶりを発揮。怒った若翔洋がタックルし、安田もお返しのドロップキック。そのまま試合を放棄して退場。試合は5分52秒 ランス・ホイトのムーンサルトプレスに若翔洋が敗れた。7月31日、ベイダータイムの新木場1stRING大会で下田大作と対戦。3分48秒、フロントキックで勝利。2010 2011 11年2月4日、後楽園ホールで引退興行を開催。「ブラジルに渡り農園で働きながら現地の子どもたちに相撲を教えて日本の相撲部屋に有望な力士を送る」プラン実現のための資金集めが目的だった。第1試合で曙と対戦。7分52秒、ボディプレスにフォール負け。セミファイナルで大谷と組んで高山、鈴木みのる組と対戦。21分59秒、みのるのゴッチ式パイルドライバーに安田がフォール負け。メインで天龍と対戦。4分36秒、足4の字固めをかけられ身動きがとれず、セコンドの娘にタオルを投げられTKO負け。試合後の引退式では「生まれ変わったつもりでブラジルではがんばりますので、応援よろしくお願いします」とファンに挨拶した。2月28日、成田空港からブラジルに向かう予定だったが、引退興行実行委員会との金銭トラブルが原因で中止。3月、カンボジアのバベットへ旅立ち、カジノの従業員として勤務。10月末に帰国。その後も転職を重ねる。 |
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