東京学館高校時代に柔道を経験し、卒業後に全日本プロレスへ入門。 98年3月22日、後楽園ホール大会での志賀賢太郎戦でデビュー。恵まれた体格を持ちながらも、温厚そうで人の良さそうな風貌がプロレスラーとしてはマイナス的な要素を持ち合わせていたが、 日を追うごとに逞しく成長。それに伴い、顔つきもドンドン精悍さを増していき、 試合自体もパワフルかつ思いきりのいいファイトが目立つようになってきた。 「ノアに来ることを決めた時から前の自分はもういませんから」と旗揚げ戦の時も豪語していた。 力皇とWILD2を結成し、タッグで活躍。02年2月17日、力皇と組んで高山善廣、大森隆男のノーフィアーを破りGHCタッグ王座を獲得。
2月17日、日本武道館大会で力皇と組んで高山善廣、大森隆男のノーフィアーのGHCタッグ王座に挑戦。16分1秒、力皇がパワーボムで大森に勝利。GHCタッグ王座を獲得した。4月6日、愛知県体育館大会でベイダー、スコーピオ組を相手にタッグ王座の防衛戦。19分34秒、力皇がラリアットでスコーピオに勝利。4月7日、有明コロシアム大会で中西、吉江組を相手にタッグ王座の防衛戦。24分7秒、森嶋がバックドロップで吉江に勝利。5月6日、宮城県スポーツセンター大会で秋山、齋藤組を相手にタッグ王座の防衛戦。22分35秒、森嶋がラリアットで齋藤に勝利。9月7日、大阪府立体育会館大会で三沢、佐野組を相手にタッグ王座の防衛戦。17分55秒、森嶋がバックドロップで佐野に勝利。9月23日、日本武道館大会で秋山、齋藤組を相手にタッグ王座の防衛戦。22分47秒、齋藤のスイクルデスに力皇が敗れてタッグ王座から転落した。03年9月12日、WLW世界ヘビー級王者のロン・ハリスに挑戦。14分29秒、バックドロップでロン・ハリスを破り、WLW世界ヘビー級王座を獲得。モハメド・ヨネ、泉田純相手に防衛を重ねたが、04年6月1日に池田大輔に敗れて王座転落。7月10日、ノアの東京ドーム大会で力皇と組んでIWGPタッグ王者の高山、鈴木みのる組に挑戦。12分55秒、高山の高角度ジャーマンスープレックスホールドで敗れた。この試合を最後に、膝の故障のため長期欠場。
05年1月8日の武道館大会で復帰。丸藤と組んで秋山、橋誠組と対戦し、バックドロップで橋に勝利。10月28日、大阪府立体育会館大会でヨネと組んでGHCタッグ王者の鈴木みのる、丸藤組に挑戦。序盤はヨネが集中攻撃を浴びたが、終盤になって反撃。30分2秒、ヨネのキン肉バスターが丸藤に炸裂して、GHCタッグ王座を獲得した。11月5日、日本武道館大会で柴田勝頼、KENTA組を相手に防衛戦。試合終盤、森嶋はバックドロップでKENTAをマットに突き刺すと、KENTAを肩車に抱えてヨネがダイビングローリングサンダー。しかし柴田がカットに入り、カウント2。森嶋は柴田にバックドロップ、KENTAにラリアット。最後は27分50秒、森嶋のKENTAへの強烈なバックドロップが決まって防衛に成功した。06年に入って「ノアの崇高なトップとは違う路線で行く。オレが目指すのは怖い外国人みたいな存在」とファイトスタイルを変更。
06年3月5日、日本武道館大会で三沢と初シングル。145キロの巨体を活かしたラリアット、ベイダーハンマー、パワーボムで三沢を圧倒。エプロンから場外への奈落式タイガードライバーを浴びるが、強烈なバックドロップの連発で三沢を追いつめた。コーナーにダウンした森嶋へのエルボー連打、ダウンした森嶋へのエルボー連打など非情な攻撃を浴びて、18分35秒、最後は無理やり起こされてからのエルボーバットで敗れた。5月26日、イギリスのドンカスターでダグ・ウイリアムス、ナイジェル・マッギネス組とGHCタッグ王座の防衛戦を行ない、時間切れの引き分けに終わった。6月4日に小橋、本田組に敗れてタッグ王座から陥落。その後、同王座は小橋の長期欠場により空位となった。11月のGHCタッグ王座決定トーナメントにヨネと組んで出場。12月2日の決勝で高山、佐野組を破りGHCタッグ王座を獲得。
07年2月にROHに遠征。16日にサモア・ジョーと対戦。18分6秒、コキーナ・クラッチに敗れた。17日、ROH王者のホミサイドに挑戦。15分42秒、ラリアットからのバックドロップで勝利して、ROH世界ヘビー級王座を獲得。ROHヘビー級王座は、10月6日にナイジェル・マッギネスに敗れるまで保持し、通算20度の防衛に成功した。4月1日、秋山、力皇組に敗れてタッグ王座から転落。8月からノアのGHC次期挑戦者決定リーグ戦に出場。リーグ戦を2勝1分けとし、最終戦の9月9日の日本武道館大会で秋山と対戦。体格差で勝る森嶋が怒涛のパワーファイトを展開。16分33秒、ラリアットで勝利。直後に丸藤と優勝決定戦。ダメージの残る体で互角の勝負を演じ、終盤にはバックドロップも決めたが、9分14秒、ポールシフトに敗れた。
08年3月2日、日本武道館大会で三沢のGHC王座に挑戦。20分22秒、バックドロップで勝利してGHCヘビー級王座を獲得した。6月14日、横浜文化体育館大会で杉浦貴を相手に防衛戦。25分1秒、ムーンサルトプレスを初公開し、バックドロップで勝利。6月22日、イギリス・ファリンドンレジャーセンター大会でデイブ・マスティフと対戦。7分54秒、バックドロップで勝利。7月13日、博多スターレーン大会で佐々木健介と対戦し、30分時間切れの引き分け。7月18日、日本武道館大会で力皇を相手に防衛戦。力皇との対戦成績は2敗2引き分けだったが、持ち前の重量感あふれる攻防を続け、最後は13分24秒、バックドロップで勝利。試合後のリング上で「自分の中では決着をつけないといけない人がいます。白黒つけたいと思いますんで、佐々木さん、お願いします」と防衛戦の相手に佐々木健介を指名した。8月18日、WWE・RAWに登場。イリノイ州シカゴのオールステートアリーナでのダークマッチ第1試合に出場し、チャーリー・ハースにミサイルキックで勝利した。8月19日、WWEのイリノイ州モリーン大会でのダークマッチに出場し、ジェイミー・ノーブルと対戦。バックドロップで勝利した。9月6日、日本武道館大会で健介を相手に防衛戦。22分2秒、ノーザンライトボムに敗れて王座転落。11月28日、新潟市体育館大会で田上明と組んでタッグ王者のバイソン・スミス、齋藤彰俊組に挑戦。28分10秒、バイソンのランニングパワーボムに森嶋がフォール負け。12月7日、日本武道館大会で秋山とGHC次期挑戦者決定戦で対戦。8分37秒、スタンド式フロントネックロックに敗れた。12月26日、ROHのペンシルバニア州フィラデルフィア大会で潮崎豪と対戦し、10分30秒、バックドロップで勝利。12月27日、ROHのニューヨーク大会でブライアン・ダニエルソンと対戦。18分55秒、キャトル・ミューティレーションに敗れた。
09年4月、佐々木と組んでグローバル・タッグリーグ戦に出場。順調に勝ち星を重ね、最終戦の5月6日の日本武道館大会のメインで三沢、潮崎組と対戦。この試合に勝てば優勝だったが、2分53秒、潮崎のラリアットに森嶋がフォール負けし、優勝を逃した。7月5日、ディファ有明での選手会興行(ファンによる綱引きで対戦相手が決定)で齋藤彰俊と対戦。14分50秒、バックドロップで勝利。8月2日、健介オフィスの後楽園ホール大会で佐々木健介と対戦。21分51秒、ダイビングボディプレスからのバックドロップで勝利。8月29日、ディファ有明大会のメインで杉浦と対戦。14分13秒、バックドロップで勝利。9月12日、後楽園ホール大会で齋藤と対戦。事実上のGHC次期挑戦者決定戦だった。12分7秒、バックドロップからのスイクルデスに敗れた。9月21日、名古屋国際会議場大会で佐々木健介と組んで齋藤、バイソン組のGHCタッグ王座に挑戦。32分58秒、森嶋がバックドロップでバイソンにフォール勝ちしてGHCタッグ王座を獲得。11月28日、広島グリーンアリーナ大会で力皇と対戦。13分13秒、バックドロップで勝利。12月6日、日本武道館大会で力皇、ヨネ組を相手に防衛戦。痛めていた左腕を攻められ動きが止まり、26分40秒、ヨネの後頭部への回し蹴りをくらって森嶋がフォール負けし、王座転落。
10年2月1日、メキシコのAAAのメキシコ・プエブラ州テウアカン大会でAAAのエースであるエル・メシアスと対戦。メシアスと抗争中のソロ、チェスマンらが乱入してメシアスを襲撃したり、ラ・レアル・フェルサ・アエレアのメンバー4人が森嶋を襲う乱戦となり、11分9秒、エースクラッシャーに敗れた。2月28日、日本武道館大会で川田利明と対戦。体格を生かした強烈な打撃、ヒップドロップ、バックドロップ、ラリアットで川田を圧倒。試合後に「森嶋があそこまで成長してるとは思わなかった」と川田に言わしめた怒涛の攻撃を続けたが、10分27秒、側頭部へのランニングローキックに敗れた。3月14日、ディファ有明での丸藤プロデュース興行で、ブル中野をほうふつとさせる長髪を逆立てて顔面ペイントを施したブル猛に変身し、パンチ志賀と対戦。3分1秒、豪快なダイビング・ギロチンドロップで勝利。3月19日、AAAのメキシコ・シティ大会に登場し、石森と組んでタッグ王者のジョー・リーダー、ニチョ・エル・ミジョナリオ組に挑戦。9分13秒、石森の450°スプラッシュでニチョに勝利。AAA世界タッグ王座を獲得した。4月10日、後楽園ホール大会で力皇、平柳組を相手にタッグ王座の防衛戦。12分、石森の450°スプラッシュで平柳に勝利。3月28日から始まっていたノアのグローバル・リーグ戦に参戦。4月16日、米子コンベンションセンター大会でモハメド・ヨネと対戦し、12分39秒、バックドロップで勝利。4月17日、博多スターレーン大会で齋藤彰俊と対戦し、15分38秒、ランニング・スイクルデスに敗れた。4月25日、札幌テイセンホール大会で川田利明と対戦。怒涛の攻撃で圧倒し、ジャンピングハイキックをくらっても倒れず、12分41秒、ラリアットで勝利。4月29日、仙台産業展示館大会で丸藤と対戦し、30分時間切れ引き分け。5月2日、日本武道館大会で高山と対戦。全体重を乗せたミサイルキック、ダイビングギロチンドロップ、ラリアットなどの大技で圧倒したが、終盤にドラゴンスープレックス、ニーリフトをくらってしまい、14分56秒、エベレストジャーマンに敗れた。この結果、2勝2敗1分けとなり、リーグ戦に敗退した。5月23日、新潟市体育館大会で潮崎、青木組を相手にタッグ王座の防衛戦。28分35秒、潮崎のゴーフラッシャーに石森がフォール負けして王座転落。7月10日、有明コロシアム大会で吉江豊と対戦。150キロ以上の両者のぶつかり合いとなった。16分9秒、バックドロップで勝利。9月13日の大会から左足関節外側側副靭帯損傷のため長期欠場。11月23日、後楽園ホール大会で復帰戦。健介と組んで杉浦、谷口組と対戦し、1分39秒、バックドロップで杉浦に勝利。この結果、杉浦のGHC王座への挑戦が決定した。11月26日、Zepp Nagoya大会で井上雅央と対戦し、2分32秒、バックドロップで勝利。11月27日、京都KBSホール大会で青木と対戦し、1分56秒、バックドロップで勝利。11月28日、神戸サンボーホール大会で平柳と対戦し、1分34秒、バックドロップ で勝利。12月2日、くにびきメッセ大会で石森と対戦し、1分3秒、バックドロップで勝利。12月5日、日本武道館大会で杉浦のGHC王座に挑戦。ムーンサルトプレスはよけられてしまい、バックドロップも防がれ、最後は22分12秒、オリンピック予選スラムに敗れた。12月12日、ラゾーナ川崎大会で鈴木鼓太郎と対戦し、11分21秒、バックドロップで勝利。
11年1月15日、大阪府立体育会館大会でヨネと対戦。9分、バックドロップで勝利。3月21日、福岡国際センター大会で高山と対戦。11分39秒、エベレストジャーマンをカウント2で返したが、直後にスリーパーホールドに敗れた。4月、グローバルタッグリーグ戦に吉江と組んで出場。4勝3敗に終わった。5月15日、イギリス・シッティングボーン・スワローレジャーセンター大会でディブ・マスティフ、シャー・サミエルスを相手に3WAYマッチで対戦。6分11秒、マスティフのセントーンに敗れて退場。試合はサミエルスが11分58秒、ベルトでの殴打でマスティフに勝利した。5月30日、ラゾーナ川崎大会で平柳と対戦。3秒、ガウンを脱がずにラリアットで勝利。王座挑戦権を争う潮崎に対戦を要求し、直後に潮崎と試合開始。15分時間切れの引き分けに終わった。6月11日、ディファ有明大会でGHC王座挑戦権を賭けて潮崎と対戦。必殺のバックドロップをカウント2で返され、最後は22分6秒、ラリアットの相打ちから再びラリアットの相打ちとなるが、一瞬早く腕を振りきられてダウンし、フォール負け。6月26日、後楽園ホール大会で谷口周平と対戦。10分38秒、ラリアットからのバックドロップで勝利。7月10日、有明コロシアム大会で佐々木健介と対戦。14分32秒、ラリアットに敗れた。7月23日、大阪府立体育会館大会で吉江と組んでバーナード、アンダーソン組のGHCタッグ王座に挑戦。16分27秒、合体技のマジックキラーをくらった吉江がバーナードにフォール負け。8月6日、ディファ有明大会で齋藤彰俊と対戦。11分18秒、バックドロップで勝利。8月17日、ディファ有明大会でヨネと対戦。9分26秒、バックドロップで勝利。10月16日、後楽園ホール大会で杉浦と対戦。17分25秒、オリンピック予選スラムに敗れた。11月3日からグローバルリーグ戦に参戦。仙台産業展示館大会の初戦で金丸義信と対戦。3分57秒、バックドロップで勝利。11月6日、名古屋国際会議場大会のメインでGHC王者の潮崎と対戦。15分30秒、バックドロップで勝利。11月8日、後楽園ホール大会で鈴木鼓太郎と対戦。8分4秒、バックドロップで勝利。11月10日、広島産業会館大会でトレバー・マードックと対戦。6分51秒、トップロープからの飛びつきブルドッキング・ヘッドロックに敗れた。11月11日、高知サンピアセリーズ大会のメインで高山と対戦。9分12秒、バックドロップで勝利。高山から初勝利を挙げた。11月13日、大阪府立体育会館第2競技場大会で宮原健斗と対戦。6分22秒、バックドロップで勝利。11月17日、旭川地場産業振興センター大会で吉江と対戦。12分15秒、ダイビングボディプレスに敗れた。11月19日、札幌テイセンホール大会のメインで三冠王者の秋山と対戦。12分56秒、バックドロップで勝利。この結果、リーグ戦は6勝2敗でAブロック1位となり、優勝決定戦に進出。11月20日、札幌コンベンションセンター大会での優勝決定戦でKENTAと対戦。16分43秒、バックドロップで勝利してグローバルリーグ戦に優勝した。11月29日、WWAのソウル・奨忠(チャンチュン)体育館大会でキム・ミンホと対戦し、バックドロップで勝利。12月23日、ディファ有明大会のメインで吉江と対戦。12分51秒、バックドロップで勝利。
12年1月22日、大阪府立体育会館大会のメインで潮崎のGHC王座に挑戦。22分30秒、バックドロップで勝利。3年4ヶ月ぶりにGHCヘビー級王座を獲得した。GHC王者になってからは試合後に「やる気、元気」のかけ声に「モリシー!」と観客が応え、「ドントストップだ」のかけ声に「コノヤロー!」と観客が応えるやり取りが定着。2月19日、仙台サンプラザホールでの「ALL TOGETHER」第2回大会のメインで諏訪魔、棚橋と組んで潮崎、真田、内藤組と対戦。23分13秒、森嶋がバックドロップで潮崎に勝利した。その後、次期挑戦者の杉浦と地方興行の前哨戦で激しい試合を見せていたが、杉浦が腰を負傷して欠場。挑戦者が直前で丸藤に変わった。3月18日、横浜文化体育館大会のメインで丸藤を相手に防衛戦。12分25秒、バックドロップで完勝。4月11日から始まったグローバル・タッグリーグ戦にGHCジュニア王者の中嶋勝彦と組んで出場。4月29日、最終戦の後楽園ホール大会で大谷、橋本大地組と対戦。20分34秒、森嶋がバックドロップで橋本に勝利。この結果、丸藤、ヨネ組と同点になり、優勝決定戦が行われ、14分11秒、新生マッスルドッキングに森嶋が敗れた。5月9日、後楽園ホール大会でマイバッハ谷口を相手に場外カウント、反則裁定なしの特別ルールで防衛戦。25分33秒、バックドロップ2連発で勝利。6月3日、名古屋国際会議場大会のメインで齋藤を相手に防衛戦。24分18秒、バックドロップで勝利。7月22日、両国国技館大会のメインで潮崎を相手に防衛戦。24分35秒、バックドロップで勝利。9月17日、大阪府立体育会館大会のメインでKENTAを相手に防衛戦。26分16秒、バックドロップで勝利。10月8日、横浜文化体育館大会のメインで秋山を相手に防衛戦。21分11秒、バックドロップで勝利。10月27日、後楽園ホール大会のメインで佐藤耕平を相手に防衛戦。21分31秒、バックドロップで勝利。11月3日から始まったグローバルリーグ戦に参戦。11月3日、後楽園ホール大会でマイキー・ニコルスと対戦。6分34秒、バックドロップで勝利。11月11日、札幌テイセンホール大会のメインで潮崎と対戦。17分43秒、リミットブレイクに敗れた。11月14日、岩手県営体育館大会のメインでヨネと対戦。16分8秒、バックドロップで勝利。11月18日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で宮原と対戦。6分51秒、バックドロップで勝利。11月20日、後楽園ホール大会のメインでKENTAと対戦。go2sleepをカウント2で返し、パワーボム、ラリアット、バックドロップを決めるがカウント2で返されてしまい、16分55秒、ラリアットをキャッチされてのGAME OVERに敗れた。11月23日、後楽園ホール大会で永田裕志と対戦。決勝進出の望みはなかったものの、勝てばKENTAが決勝進出、負ければ永田が決勝進出となるため、超満員の客席からの大声援を受けての試合となった。15分5秒、ラリアット2連発からのバックドロップで勝利。リーグ戦を4勝2敗で終えた。12月9日、両国国技館大会のメインで小島聡を相手に防衛戦。20分17秒、ラリアットからのバックドロップで勝利。GHCヘビー級王座では史上最多の年間8連続防衛となった。
13年1月6日、後楽園ホール大会のメインでKENTAと対戦。11分18秒、go2sleepに敗れた。1月27日、大阪府立体育会館大会のメインでKENTAを相手に防衛戦。21分42秒、GAME OVERに敗れて王座転落。2月9日、後楽園ホール大会でキャプテン・ニュージャパンと対戦。5分57秒、バックドロップで勝利。2月13日、ブラジル・サンパウロのGINASIO 7 DE SETEMBROで行われたトーナメント「TORNEO LATINO AMERICANO DE LUCHA LIBRE」に参戦。1回戦でエクストラ・ラージと対戦。7分1秒、バックドロップで勝利。2月15日、ペルー・リマ のArena AELUで行われた2回戦でガストン・マテオと対戦。聖書で殴打して反則負け。3月9日、春日部ふれあいキューブ大会でマイキー・ニコルスと対戦。12分16秒、バックドロップで勝利。4月13日からヨネと組んでグローバルタッグリーグ戦に参戦。4月17日、秋田テルサ大会でジェイク・ダーデンと対戦。5分30秒、バックドロップで勝利。4月19日、テレピアホール大会で本間朋晃と対戦。10分49秒、バックドロップで勝利。4月26日、栃木県総合文化センター・サブホール大会でジョナ・ロックと対戦。7分23秒、バックドロップで勝利。タッグリーグ戦は3勝1敗となり、惜しくもリーグ戦に敗退した。5月12日、後楽園ホール大会で高山と対戦。1分48秒、回転片エビ固めにフォール負け。5月19日、八戸シーガルビューホテル体育館大会でジェイク・ダーデンと対戦。8分33秒、バックドロップで勝利。6月15日、島田市総合スポーツセンター大会でジェイク・ダーデンと対戦。7分28秒、ラリアットで勝利。この大会後、長年蓄積された怪我のため、長期欠場。右肩腱板損傷、左膝内側側副靭帯損傷、左肘内側側副靭帯損傷、肘部管症候群の重傷を負っていた。10月5日、横浜文化体育館大会で佐々木健介を相手に復帰戦。11分47秒、ノーザンライトボムに敗れた。10月19日から始まったグローバルリーグ戦に参戦。開幕戦のディファ有明大会でシェイン・ヘイストと対戦。10分19秒、ボムバレーデスに敗れた。10月26日、札幌テイセンホール大会でヨネと対戦。13分16秒、キン肉バスターに敗れた。10月27日、札幌テイセンホール大会でエディ・エドワーズと対戦。6分53秒、バックドロップで勝利。10月30日、岩手県営体育館大会のメインで関本大介と対戦。14分42秒、バックドロップで勝利。11月5日、栃木県総合文化センター・サブホール大会のメインで中嶋と対戦。9分12秒、バックドロップで勝利。 11月10日、後楽園ホール大会でKENTAと対戦。9分39秒、バックドロップで勝利。リーグ戦を4勝2敗で終え、優勝決定戦に進出。同日の優勝決定戦で永田と対戦。13分29秒、エクスプロイダー・オブ・ジャスティスに敗れた。12月7日、有明コロシアム大会で田上の引退試合に出場。田上、杉浦、平柳と組んで天龍、藤波、志賀、井上雅央組と対戦。平柳の昇龍玄藩、森嶋のバックドロップ、杉浦のオリンピック予選スラムから、田上がのど輪落としを雅央に決めカウント2。最後は10分40秒、オレが田上で雅央に勝利。
14年1月5日、後楽園ホール大会のメインでKENTAのGHC王座に挑戦。21分48秒、バックドロップで勝利。GHCヘビー級王座を獲得した。マイバッハ谷口、拳王、大原はじめと組んで「超危暴軍」を結成。1月25日、大阪府立体育会館第2競技場大会でマイバッハ谷口と組んでシェイン・ヘイスト、マイキー・ニコルス組のGHCタッグ王座に挑戦。18分10秒、森嶋がバックドロップでヘイストに勝利。GHCタッグ王座を獲得した。2月3日、後楽園ホール大会でシェイン・ヘイストと対戦。必殺のボムバレーデスをくらったが、セコンドの大原がレフリーを場外に引きずり下ろしてカウントを阻止。8分57秒、バックドロップで勝利。2月8日、後楽園ホール大会のメインで永田を相手に防衛戦。19分1秒、バックドロップホールドに敗れて王座転落。3月8日、有明コロシアム大会でシェイン・ヘイスト、マイキー・ニコルス組を相手にタッグ王座の防衛戦。13分52秒、谷口がマイバッハボムでマイキーに勝利。4月12日から始まったグローバルタッグリーグ戦にマイバッハ谷口と組んで参戦。2勝4敗でリーグ戦を終えた。5月3日、ディファ有明大会で杉浦と対戦。2分30秒、フロントネックロックに敗れた。5月31日、ディファ有明大会のメインで杉浦、田中将斗組を相手にタッグ王座の防衛戦。23分19秒、杉浦のオリンピック予選スラムに谷口が敗れてGHCタッグ王座から転落した。6月13日の試合で右第5中足骨を骨折し、長期欠場。8月2日、ディファ有明大会で復帰。タッグマッチでGHC王者の丸藤にバックドロップで勝利。8月24日、後楽園ホール大会のメインで丸藤のGHC王座に挑戦。20分43秒、虎王3連発に敗れた。9月6日、ディファ有明大会で中嶋と対戦。11分35秒、バックドロップで勝利。10月18日から始まったグローバルリーグ戦に参戦。10月21日、大阪府立体育会館第2競技場大会のメインで関本大介と対戦。13分17秒、ラリアットからのジャーマンスープレックスに敗れた。10月26日、博多スターレーン大会で中嶋と対戦。13分34秒、右ハイキックをくらってフォール負け。10月28日、海峡メッセ下関大会でシェイン・ヘイストと対戦。10分9秒、後方回転エビ固めでフォール勝ち。10月30日、キラメッセぬまづ大会で齋藤と対戦。9分1秒、スイクルデスに敗れた。11月4日、後楽園ホール大会のメインでGHC王者の丸藤と対戦。13分20秒、バックドロップで勝利。11月7日、新潟市体育館大会でコルト・カバナと対戦。8分43秒、ヒップアタックをかわされ首固めにフォール負け。11月8日、後楽園ホール大会で小島聡と対戦。必殺のラリアットをくらったが超危暴軍のセコンドがレフリーの足を引っぱりカウントを阻止。7分12秒、バックドロップで勝利。リーグ戦は3勝4敗に終わった。12月6日、有明コロシアム大会でGHC王座への挑戦権をかけて小島と対戦。10分33秒、ラリアットに敗れた。12月23日、ディファ有明大会で中嶋と対戦。9分50秒、後方回転エビ固めでフォール勝ち。
15年2月27日、江戸川区の東部フレンドホールで超危暴軍興行を開催。メインで杉浦と対戦。13分58秒、バックドロップで勝利。3月28日、後楽園ホール大会で齋藤と対戦。10分45秒、バックドロップで勝利。4月15日、糖尿病による引退の希望をノアに伝えた。4月16日、右肩腱板損傷、左膝内側側副靭帯損傷、左肘内側側副靭帯損傷、肘部管症候群を理由にノアから欠場が発表。4月21日、ノアから引退が発表された。5月10日、横浜文化体育館大会に来場し、リング上で挨拶。9月19日に引退セレモニーが予定されていたが中止となった。12月31日付でノアとの契約が満了。
18年7月11日、10月15日に後楽園ホールでの「GENESIS〜森嶋猛 帰還〜」で復帰することが主催者のS.P.Eから発表された。9月1日、両国国技館での丸藤のデビュー20周年記念大会でテレビ解説。拳王の試合後に客席で「ノアファンのみなさん、お久しぶりです。丸藤正道、20周年おめでとうございます。しょっぱい試合したら承知しねえからな」とマイクであいさつした。自身のTシャツを拳王に手渡し、「杉浦に渡してくれ」と命じて、復帰戦での対戦を要求した。9月3日、復帰戦の対戦相手が杉浦貴に決定。9月14日、化膿性左股関節炎の手術を理由に復帰戦の中止を発表。大会自体も中止となった。
・森嶋猛ROHヘビー級王座防衛の記録(07年2月17日〜10月6日) >>
(15年5月10日。横浜文化体育館大会での森嶋の挨拶。ノアのHPより。)
<森嶋>「本日はご来場ありがとうございました。ちょっと・・・。まあ、一番にファンに応援してくれたみんなに伝えたいと思ってここに来ました。ちょっとね、いろいろ言って、カラオケして、このマイクの練習ばっかりしてたんだけど、声が枯れちゃいました。すいません。18年間、プロレス一筋・・・一筋かな、これしかやったことありません。僕にはこれしかありませんでした。あんまり言いたくありません。すいません。でも、このリングに僕はお世話になって、ここでマイクを言えて、本当にありがとうございました。俺はこの格好でリングに上がることにためらいがありました。しっかりとテーマ曲をかけて、引退セレモニーをやりたいと思います。ええと、先になるんですけど、9月(19日)の大阪府立体育館で引退セレモニーをやります。大阪に来てくれた人が、本当の最後の俺のファンだと思っています。大阪来なさい! 大阪来なさい!ということで、俺が言いたいことはさ、もう言ったから、軍団出てこい。最後にやるからさ」
※超危暴軍がリングに上がる
<森嶋>「お前らがいて、俺のやれることをやれたから、最後に締めて。引退セレモニーは俺ひとりでやりますから、最後はこいつらと締めたい。言いたくないことを2回言うから聞けよ」
<北宮>「正直、これは受け入れがたいことだけども、どんなことがあっても前を向いていくしかない。それがプロレスラーだ。俺はまだまだプロレスを突き進む」
<拳王>「はじめは急すぎて少し戸惑いがあったかもしれない。でも、ドンはプロレス生活18年、このノアのため、この超危暴軍のために尽力してきてくれた。俺たちはドンの思いを受け継いで、このノアをそして俺たち超危暴軍をプロレス界トップの軍団にしていくから。お前ら、これからもドンが作った超危暴軍についてこい。今までお疲れ様でした。ありがとうございました」
<大原>「ドンがいたから拳王も俺もノアに入ったと思っています。ドンはいなくなるかもしれないけど、俺と拳王でその意志をしっかり継いで、この先、ノアをムイビエンにしていきます。日本に帰ってきた僕に『大原君はノアに必要だ』って言ってくれたのはドン。『僕を必要』と言ってくれたのはドンでした。凄く嬉しかったです。一生懸命頑張ります。ありがとうございました。最後に本当は言いたくないかもしれませんが、大事なことを2回言いますので、皆さんよく聞いてください」
<拳王>「はじめちゃん、ひとつだけ補足いいか。ドンの意志を受け継いで、はじめちゃんと俺と北宮とマイバッハで超危暴軍を引っ張っていくからな。横浜のクソ野郎ども見てろよ!最後に横浜のクソ野郎どもよく聞いとけ。プロレス生活18年の森嶋猛はな・・・」
<森嶋>「引退します!引退します!」
リングを降り際に3人の練習生に向かって
<森嶋>「お前とお前とお前、デビューしろよ」
――引退を決めた経緯は?
森嶋 糖尿病ってわかってから血液検査をしてて、誰にも内緒で浅子(覚)トレーナーと糖質を落として、タンパク質とか脂質を多く摂ってごつくしようってやってきたんだよ。それで、オレが挑戦する前に誰かが取り返してくれてもよかったけど、いつか鈴木みのるとタイトルマッチをやろうとしてて、もっと体重を増やさなきゃいけないって思ってた。向こうは絞ってるわけだから、オレは150kgぐらいにしてボコボコにとっちめてやろうとしてたんだよ。
――糖尿病が深刻だと最初にわかったのはいつですか?
森嶋 去年の11月かな。浅子トレーナーに身体検査してもらって足にしびれが出てきてて体中ケガだらけだけど、原因がわからなかった。それで浅子さんの知り合いの医者のところに行くことになったんだよ。そこで血液検査をしたらヘモグロビンの数値が高くて、もう引退が少し頭に浮かんできた。
――それでもしばらくは現役を続けようとしました。
森嶋 糖尿病でもプロレスをやってる人はいっぱいいるわけだから、やれるだけやってみようって浅子さんと話をしたんだよ。それで鈴木戦のために糖質の勉強をしながらでかくしようってやってたら、今度は脂肪肝になっちゃった。オレは医者じゃないからよくわからないけど、糖尿病の8割ぐらいは遺伝が関係してるらしいからね。親父も兄貴も糖尿病だし。
――自分もいつかは糖尿病になると感じていた。
森嶋 いや、オレはプロレスラーだから練習してノドも乾くし、体重の変動って当たり前なわけよ。だから、気がつかなかったけど知らないうちに発症してたみたい。
――それはいつですか?
森嶋 スギちゃん(杉浦貴)と武道館でやった時かな。
――10年12月ですね。
森嶋 けっこう走って体重を落としたんだけど、あの頃にもう発症してた。健康診断でも肝臓の数値がちょっと高いだけでわからなかったんだよ。でも、少しずつ足のしびれとか出て、後から考えたらあの時なんだなって。
――では、急きょ糖尿病でドクターストップというわけではないのですか?
森嶋 鈴木みのるとタイトルマッチをやるために体重を増やしてる中で、これ以上になったら脂肪肝でやばいって医者に言われて決断したのかな。血糖値は今けっこう下がってて、あと少し下がれば普通に戻るぐらい。体重が多かろうが少なかろうが、血糖値が下がれば問題ないからね。これからも糖尿病とはタッグを組んでチャンピオン目指していきますよ。でも、第一報で「糖尿病」って書かれて誤解を生んでしまったのは、本当に申し訳ないなって思ってます。
――一番の引退理由は森嶋猛のプロレスができなくなったからということなのですね?
森嶋 体の内側もそうだけど、ケガもひどかった。ラリアットしたら右肩に響いちゃうわけだしね。ミッドプレスの人に左でラリアットを打てって言われたけど、それじゃ力が入らないからね。
――13年10月に佐々木健介戦で復帰する前もかなり絞っていました。
森嶋 それまでオレは独学ででかくしてきたけど、手とかしびれててどうしたらいいかわからなかった。それでミッドプレスに行くようになって、一回、絞った体でやってみようってなったんだよ。でも、120kgぐらいまで落として佐々木さんとやってみたら、ラリアット食らったら体がブレたわけ。それで体重を減らして、オレの試合はできないなって思って、またちょっとでかくした。佐々木さんとガンガンやり合えるプロレスができなくなったら、オレじゃないからね。
――引退を決意したのは4・11新潟の後ですか?
森嶋 新潟の時は北宮(光洋)を叱って、まだやろうとしてたわけだからね。血液検査の結果が出たのはその前だけど。
――4月21日にNOAHから正式に引退が発表された時、どんな気持ちでしたか?
森嶋 これだけ体を張ってやってきて、実質、NOAHナンバー3のオレが、先に報道が出ることになって、引退会見もできずに辞めるのはつらかったよ。プロレスラーが辞めるって言ったら、会社のこととかは二の次になっちゃうわけじゃん。現役の人たちはプロレスを辞める気持ちってわからないし、オレのことを教訓にしてほしいかな。
(週刊プロレスNo.1793より)
「“病気で引退”ではなかった! 元ノアの怪獣・森嶋猛が10・15に3年半ぶり電撃復帰」 (東スポWeb 2018年7月10日18:13配信より)
元プロレスリング・ノアの怪獣、森嶋猛(39)が約3年半ぶりにプロレス復帰を果たすことが9日、本紙の取材で明らかになった。10月15日に東京・後楽園ホールで開催される「GENESIS〜森嶋猛帰還〜」のシングル戦(相手未定)で復活する。10日の長州力プロデュース興行(後楽園)では自らリングに立って復帰を報告し、戦いの最前線に戻る決意だ。
190センチ、125キロの怪獣が戻ってくる。森嶋は2015年4月、病気を理由に引退を発表。同年9月に引退試合を行う予定だったが、体調不良などの理由により中止となった。そのまま同年末をもってノアとの契約も満了し、以降マット界とは距離を置いていた。
森嶋:実は病気が本当の理由ではなかった。体調以前に精神的にギリギリの状態でした。試合などで穴をあけてしまったし、今でも関係者の方々には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
その後は都内でピザ店店員、バーテンダー、コンサート会場の警備員を経験。2年間はプロレスと無縁の状態が続いた。昨年夏、後援者が岐阜県内で営む介護施設を手伝うため、住まいを移して介護の資格も取得。同時期に地元のインディ団体からコーチ役を頼まれた。この時、眠っていたプロレスへの情熱が再燃した。
森嶋:受け身を取ったり、基本を教えたりしているうち「俺自身はどうなるんだろう」って。しばらくして全日本プロレスの岐阜大会(昨年11月7日)があったのでチケットを買って見に行った。その時、自分がプロレスに飢えているんだなって分かりました。控室まで伺う立場ではなかったし(秋山準社長に)あいさつはできなかったんですけど、改めておわびとお礼を言いたいです。
復帰さえ決意すれば時間は必要なかった。110キロ台(最重量は170キロ)まで落ち込んだ体を鍛え上げ125キロまで戻した。関係者に復帰の意思を伝えると、10・15後楽園実行委員会が立ち上がった。同大会を後援して長州興行を主催するエス・ピー広告社の武田有弘氏(46)は「本人はシングル戦を希望しているので、皆さんが復帰戦にふさわしいと思われるカードを組みたい」と説明。長州興行であいさつする機会も与えられた。
森嶋:先のことは分からない。復帰戦で散るかもしれない。終わってみた時、初めてその先が見えてくると思います。
くしくも復帰戦の日に40歳の誕生日を迎える。GHCヘビー&タッグのベルトを巻いた男は死んではいなかった。大人になった怪獣が、マット界に再進撃する。
森嶋猛 化膿性関節炎手術の影響で復帰戦が中止「しょっぱくてごめんなさい」
(東スポWeb 2018年9月14日13時9分より)
元ノアの怪物・森嶋猛(39)約3年半ぶりの復帰戦となる10月15日の東京・後楽園ホール大会が中止となったことが14日、分かった。主催するエス・ピー広告社が発表した。
森嶋は全日本プロレス、ノアなどで活躍した後、2015年4月に右肩の負傷や肝臓の病気を理由に引退していたが、7月に復帰を表明。2日にはメインでノアのGHCヘビー級王者・杉浦貴(48)と対戦することが発表されていた。
しかし、10日の練習の際、ランニング中に足に激痛が走り、都内の病院に緊急搬送され、検査の結果「化膿性関節炎」で13日に手術を受けた。回復までに4週間以上を要すると医師に診断され、復帰戦への出場を断念。大会は中止になった。
森嶋はファクスで「この度は、私の復帰のために多大なるご尽力を頂きました、杉浦選手、内田会長をはじめ、プロレスリング・ノアの関係者の皆様、応援を頂いている皆様、メディア各社様、何よりもお待ちいただきましたファンの皆様、皆様のご好意を裏切ることになり、伏してお詫び申し上げます。本当に情けなく、しょっぱくてごめんなさい。復帰したい気持ちは本心なので、一日も早く回復させ、リングに立ちたいと思います。勝手ばかり、ご心配をお掛けしてばかりで本当にごめんなさい(原文ママ)」とコメントを送った。
プロレスラー森嶋猛容疑者がタクシー運転手殴り逮捕 頬骨を折る重傷
(東スポWeb 2018年11月5日22時30分より)
プロレスリング・ノアなどで活躍したプロレスラーの森嶋猛容疑者(40)が、4日にタクシー運転手の顔面を殴りケガをさせた疑いで、現行犯逮捕されていたことが5日、分かった。
森嶋容疑者の逮捕はこの日の夕方にテレビ朝日が報じた。東京・新宿の歌舞伎町の路上でタクシーを降りる際に、料金約1万8000円の支払いを拒否したためトラブルになったという。運転手は頬骨を折る重傷で、森嶋容疑者は「押し問答になったことは間違いありません」と容疑を認めているという。
森嶋容疑者は1998年3月に全日本プロレスの志賀賢太郎戦でデビュー。2000年にノア旗揚げに参加。190センチ、125キロの日本人離れした巨漢を武器に頭角を現し、02年には力皇と組んでGHCタッグ王座を戴冠。08年にはノアの至宝であるGHCヘビー級王座に輝くと、通算3度戴冠した。
15年4月に糖尿病を理由に引退。今年7月にリング復帰を表明したが、9月の復帰戦を前にランニング中に「化膿性関節炎」が発覚したため手術に踏み切った。この影響で復帰戦への出場を断念し、予定されていた大会が中止になっていた。
自身のケガで復帰戦を棒に降り、今度は傷害事件で、復帰の道をさらに遠く困難なものにしてしまった。
逮捕・森嶋容疑者「シラフの時を見たことがない」バー店長が証言
(東スポWeb 2018年11月6日16時30分より)
4日に東京・歌舞伎町で傷害の疑いで逮捕された元プロレスラーの森嶋猛容疑者(40)は4日、タクシー運転手の顔面を殴打する前、歌舞伎町にあるプロレスラー・佐野直(39)が経営するバー「スタンリークラブ」に来店していた。午後8時半ごろに現れ、開口一番「佐野さんいる?」と、日曜日に店長を務めるエリー美咲さん(44)に尋ねた。
美咲さんが「今日はいません」と答えると、森嶋容疑者は「5000円借りようと思ったのに・・・」とつぶやき、ずけずけと店のカウンターに座った。このとき美咲さんは店を掃除していた。「(森嶋容疑者は)案の定、お菓子を食べて「俺、プロレスラーなんだよ!」と言い、私に向かって「店を掃除していていいよ」と言って店に届いていた郵便物をいじりだしたんです。郵便物がなくなったら嫌だなぁと思いました」と言う。
さらに「誰も知り合いが来ないことが分かると、お菓子を2〜3個持って「後で友達を連れて、また来るから」と言って8時45分くらいに出ていった」と説明した。
また森嶋容疑者は「酒は飲んでいなかった」と供述しているが、美咲さんは「その時も酔っているようだった」と言う。
「昼も近くのゴールデン街で見かけたりしていて、シラフの時を見たことがない。酒癖が悪いのは有名。10月28日にも「今日1400円しかないから飲ませて!」と言って店に入ってきた」。この時はすでに終電がない時間だったため「お金がないのにどうやって帰るんだろう?」と思ったという。
また美咲さんは、袖をめくり右腕のアザを見せ「格闘技をやっている方たちは、酔うと力加減が分からなくなることもあると思う。私は店で(森嶋容疑者が)お酒を飲んでいる時に腕をつかまれて、アザができました・・・」と話した。森嶋容疑者の酒癖の悪さは噂通りだったようだ。
元ノア王者・森嶋 暴行逮捕の衝撃全容 呆れた奇行&私生活
(東スポWeb 2018年11月6日16時30分より)
プロレスリング・ノアなどで活躍した元プロレスラーの森嶋猛容疑者(40)が4日に東京・歌舞伎町でタクシー運転手の顔を殴りケガをさせた疑いで警視庁新宿署に現行犯逮捕されていたことが5日、分かった。タクシー料金の支払いをめぐってトラブルになり、運転手は頬骨を折る重傷を負った。森嶋容疑者はリング復帰プランが消滅するなど迷走が続いたが、近況を探ると異様な奇行を繰り返していたことが本紙の取材で判明した。元トップレスラーの転落人生に迫る――。
森嶋容疑者は4日午後11時半ごろ、東京・新宿区歌舞伎町の路上でタクシーを降りる際に料金約1万8000円の支払いを拒否し、トラブルを引き起こした。現行犯逮捕され「押し問答になったことは間違いありません」と容疑を認めているという。
2015年4月に糖尿病を理由にプロレスを引退した森嶋容疑者は今年7月に復帰を表明したが、9月に「化膿性関節炎」で手術。10月15日の復帰戦出場を断念し、予定された大会も中止になっていた。
これと前後し、私生活もトラブル続きだった。復帰大会を主催するはずだったエス・ピー広告社とは縁が切れ、“住所不定”に。森嶋容疑者に近い関係者は「一時は新宿2丁目で知り合った人の家に転がり込んでいたようだ。その後、飲食店で住み込みで働いているなんて話も聞いたけど・・・」と証言する。着替えもろくにせず、飲み歩く日々が続いていたという。
復帰戦が決まってからは、精神的に不安定になることも多かった。「(以前の生活拠点だった)岐阜から東京に出て、チヤホヤされて様子がおかしくなった。口癖のように自分のことを「スター」と呼んでいた」(同)
しかし、仕事もせずにそんな生活を続けていれば、お金に困るのは自明の理。行きつけの新宿、四谷近辺の飲食店ではプロレス関係者やファンに金の無心をする姿が頻繁に目撃された。迷惑をかけ続けた結果、同かいわいでは多くの店から「出入り禁止」を通達されていたという。今回のタクシートラブルもその延長線上にあったことは間違いない。自称・スターの森嶋容疑者は金もないのに飲み屋にタクシーで乗りつけては、店内の他の客に料金の肩代わりを求めることがよくあった。無賃乗車の末に無関係の人に「お車代」をせびる元レスラーの姿は哀れとしか言いようがない。
森嶋容疑者は同様の手口でプロレス会場にも勝手に訪れて観戦した。ある団体の試合では、森嶋容疑者のタクシー代を若手選手が500円ずつ出して捻出するという謎の光景が繰り広げられたことも・・・。もちろん毎回親切に肩代わりしてくれる人物が現れるとも限らず、運転手が泣き寝入りするケースも一度や二度ではなかったという。
森嶋容疑者は逮捕当日、酒は飲んでいなかったというが、歌舞伎町でタクシーに1人で乗り、都内を移動後に再び歌舞伎町に戻ったところだったとされている。タクシー料金を払ってくれる人を探し転々とし続ける間に、料金が高額となり、トラブルになったのだろうか・・・。
理解不能の奇行を連発した揚げ句、一般人に重傷を負わせたとなれば、もはや表舞台に戻るのは絶望的と言っていい。前出の関係者は「酒癖が悪くても、暴力を振るうなんてことは今までなかった。何があったのか・・・」とやりきれない表情を浮かべた。かつてはGHCヘビー級王者として、プロレス界の盟主だったノアの頂点に君臨した元トップレスラーの、なんとも切ない転落劇となった。
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