レスラーノート

武藤敬司

1962年12月23日
山梨県富士吉田市出身
188cm 110kg
血液型:B型

通称
プロレスリング・マスター
スペース・ローン・ウルフ
タイトル歴
フロリダヘビー
USジュニアヘビー
WWC・TV
WWCプエルトリコ
NWA世界TV
IWGPヘビー
NWA世界ヘビー
IWGPタッグ
WCW世界タッグ
グレーテスト18クラブ
三冠ヘビー
W−1チャンピオンシップ
GHCヘビー
GHCタッグ
得意技
足4の字固め
ムーンサルトプレス
シャイニングウィザード


グレート・ムタ参照。


実家は造園業を営む。学生時代は柔道で活躍。東北柔道専門学校に進み、全日本新人体重別選手権に出場し3位の記録を残す。84年4月に新日本プロレス入門。同年10月、 蝶野正洋戦でデビュー。「異例のデビュー戦同士対決」を制す。

1985

85年11月、米国フロリダへ初遠征。フロリダ州タンパ在住のヒロ・マツダがエージェントとなり、フロリダのNWA加盟団体CWFにブッキングした。ホワイト・ニンジャ(のちにザ・ニンジャ)として活躍。サーキット仲間にはケンドー・ナガサキレックス・ルガーもいた。

1986

86年5月、ケンドール・ウィンダムを破り、フロリダヘビー級王座を獲得。フロリダ地区のUSジュニアヘビー級王座を獲得。10月に凱旋帰国し「スペース・ローンウルフ」として活躍。86年度のプロレス大賞で新人賞を受賞。

1987

87年3月、映画「光る女」(相米慎二監督)への主演を発表。3月20日、後楽園ホール大会での王座決定戦で前田高田組を破り、越中詩郎とIWGPタッグ王座に就く。3月26日、大阪城ホール大会で前田、高田組に敗れてタッグ王座から転落。その後、映画撮影のため6月まで欠場。映画は10月24日から東宝系列で公開された。

1988

88年1月にプエルトリコ遠征。スーパー・ブラック・ニンジャとして活躍。インベーダ−1号(ホセ・ゴンザレス)を破り、第7代WWC・TV王座に就く。5月、ミゲル・ペレスを破り、WWCプエルトリコ王座に就く。8月、ダラスのWCCWに入り、スーパー・ブラック・ニンジャとして活躍。

1989

89年1月よりWCWでグレート・ムタに変身して活躍。9月にスティングを破り、NWA世界TV王座を獲得。

1990

90年4月、凱旋マッチで蝶野と組みIWGPタッグ王座に就く。90年度のプロレス大賞で蝶野と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。

1991

91年4月30日、両国国技館大会でスコット・ノートンと対戦。ムーンサルトプレスをカウント2で返され、卍固めを狙うがはねのけられ、バックドロップから2発目のムーンサルトプレスを放つがよけられてしまい、9分4秒、パワースラムに敗れた。8月、第1回G1クライマックスに出場。8月7日、愛知県体育館大会でノートンと対戦。14分59秒、パワースラムに敗れた。8月9日、両国国技館大会で藤波と対戦。13分56秒、首固めでフォール勝ち。8月10日、両国国技館大会でベイダーと対戦。13分54秒、パワースラムを片エビ固めに切り返してフォール勝ち。2勝1敗でリーグ戦を突破。8月11日、両国国技館大会での優勝決定戦で蝶野と対戦。ムーンサルトプレスを両膝を立てて防がれ、29分3秒、パワーボムに敗れた。11月、馳浩と組んでスコット・ノートン、リック・スタイナー組を破り、IWGPタッグ王座に就く。

1992

92年8月、ムタとしてIWGPヘビー級、グレーテスト18クラブ両王座を制す。

1993

93年1月、東京ドームでIWGP王者として、NWA王者・蝶野正洋とのダブルタイトルマッチを制し、グレート・ムタとして第76代NWA世界ヘビー級王座を獲得。10月8日から始まったSGタッグリーグ戦に馳浩と組んで参戦し、優勝。

1994

94年10月9日から始まったSGタッグリーグ戦に馳浩と組んで参戦し、優勝。11月、馳浩と組んでホーク・ウォリアーパワー・ウォリアー組を破り、IWGPタッグ王座に就く。

1995

95年1月4日、東京ドーム大会でリック・スタイナー、スコット・スタイナー組を相手にタッグ王座の防衛戦。25分12秒、馳がノーザンライトスープレックスでリックに勝利。5月、橋本真也を破り、IWGPヘビー級王座を獲得。8月、G1クライマックス初優勝。10月9日、東京ドーム大会でのUWFインターとの対抗戦のメインで高田延彦を相手に防衛戦。超満員札止めとなった6万7000人の大観衆の前で大熱戦を行ない、16分16秒、足4の字固めで勝利。12月16日、CWAのドイツ・ブレーメン大会に遠征。ジム・ナイドハートと対戦し、23分38秒、フランケンシュタイナーで勝利。95年度のプロレス大賞でMVPを受賞した。

1996

96年1月4日、東京ドーム大会で高田延彦を相手に防衛戦。17分57秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れて王座転落。3月、主演映画「ドラゴンブルー」公開。

1997

97年5月にNWOに入り。10月、蝶野正洋と組んで佐々木山崎組を破り、IWGPタッグ王座に就く。11月18日からはじまったSGタッグリーグ戦に蝶野と組んで参戦し、優勝。

1998

98年1月4日、東京ドーム大会のメインで佐々木健介のIWGP王座に挑戦。25分18秒、ノーザンライトボムに敗れた。4月4日、東京ドーム大会で橋本真也、西村修組を相手にタッグ王座の防衛戦。18分23秒、蝶野が羽根折り固めで西村に勝利。11月16日からはじまったSGタッグリーグ戦に小島と組んで参戦し、優勝。

1999

99年1月4日、東京ドーム大会のメインでスコット・ノートンのIWGP王座に挑戦。19分1秒、足4の字固めで勝利。IWGPヘビー級王座を獲得。4月10日、東京ドーム大会でドン・フライを相手に防衛戦。12分16秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。5月3日、福岡国際センター大会で天龍を相手に防衛戦。25分37秒、ムーンサルトプレスで勝利。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。9月10日から始まったG1タッグリーグ戦にスコット・ノートンと組んで参戦し、優勝。10月11日、東京ドーム大会で中西学を相手に防衛戦。20分、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。12月10日、大阪府立体育会館大会で天龍を相手に防衛戦。26分32秒、ノーザンライトボムに敗れて王座転落。99年度のプロレス大賞でMVPに輝く。

2000

00年1月4日、東京ドーム大会で蝶野と対戦。25分、クロス式STFに敗れた。3月にムタとしてWCWと1年契約を結び新日マットから姿を消す。7月よりWCWマットに参戦し、8月にはバンピーロと組んでブライアン・アダムスブライアン・クラーク組を破り、WCW世界タッグ王座を獲得した。帰国後、12月31日、大阪ドームでの「INOKI BOM―BA―YE」に出場。スキンヘッドでリングに登場して観客を驚かせた。高田と組んでケン・シャムロックドン・フライ組と対戦。24分14秒、高田がバックドロップでフライに勝利。

2001

01年2月にはドン・フライ、太陽ケア新崎人生らと超党派ユニット「BATT」を結成した。3月に馳浩もBATTに加入した。4月に川田とのシングル初対決に勝利。6月6日、日本武道館大会で馳と対戦。39分8秒、シャイニング・ウィザードで勝利。6月8日、全日本プロレスの日本武道館大会で天龍の三冠王座に挑戦。23分24秒、ムーンサルトプレスで勝利。三冠王座を獲得した。7月14日、全日本プロレスの日本武道館大会でスティーブ・ウイリアムスを相手に防衛戦。18分52秒、シャイニングウィザードで勝利。8月11日、両国国技館大会でのG1クライマックス準決勝で安田忠夫と対戦。11分22秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。8月12日、両国国技館大会での決勝で永田裕志と対戦。22分3秒、ナガタロック2に敗れた。9月8日、全日本プロレスの日本武道館大会で太陽ケアと組んで天龍、安生組の世界タッグ王座に挑戦。20分15秒、天龍のノーザンライトボムにケアが敗れた。9月23日、新日本プロレスのなみはやドーム大会でスコット・ホールを相手に三冠王座の防衛戦。15分14秒、シャイニングウィザードで勝利。10月19日、別府ビーコンプラザ大会でライガーと組んで藤波、西村組のIWGPタッグ王座に挑戦。24分12秒、藤波の足4の字固めに武藤が敗れた。10月22日、全日本プロレスの新潟市体育館大会で太陽ケアと組んで天龍、安生組の世界タッグ王座に挑戦。19分51秒、ケアがハワイアンクラッシャーで安生に勝利。世界タッグ王座を獲得した。5冠王となった。10月27日、日本武道館での全日本プロレス29周年記念興行のメインで、蝶野正洋を相手に三冠王座の防衛戦。22分52秒、フランケンシュタイナーで勝利。10月28日、新日本プロレスの福岡国際センター大会でIWGPタッグ王者の藤波辰爾、西村修組を相手にダブルタイトルマッチ。23分47秒、武藤がシャイニングウィザードで西村に勝利。6冠王となった。11月24日から始まった全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に太陽ケアと組んで参戦。4勝1敗2引き分けでリーグ戦を突破。12月7日、日本武道館大会での決勝トーナメント1回戦で天龍源一郎、冬木弘道組と対戦。14分30秒、武藤がフランケンシュタイナーで冬木に勝利。同日の優勝決定戦で川田利明、長井満也組と対戦。16分49秒、ケアがハワイアンスマッシャーで長井に勝利。世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝した。12月11日、新日本プロレスの大阪府立体育会館大会で藤波辰爾を相手に防衛戦。15分32秒、シャイニングウィザードで勝利。向かうところ敵なしの怒涛の勢いで、01年度のプロレス大賞MVPに輝いた。

2002

02年1月14日、横浜文化体育館大会でマイク・バートン、ジム・スティール組を相手にタッグ王座の防衛戦。26分58秒、武藤がシャイニングウィザードでスティールに勝利。1月31日、新日本プロレスを離脱。全日本プロレスに移籍。「武藤敬司、骨の髄までしゃぶってください」と入団記者会見で述べた。本人は「この会社に骨を埋める」というようなことを言いたかったらしい。2月24日、日本武道館大会で川田利明を相手に防衛戦。試合終盤にパワーボムを切り返そうとしたが、そのまま垂直に落とされ、なんとかカウント2で返したが、直後に27分37秒、パワーボムに敗れて王座転落。3月23日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。3月24日、後楽園ホール大会でスティーブ・ウイリアムスと対戦。15分16秒、バックドロップホールドに敗れた。3月26日、富山産業展示館テクノホール大会でジョージ・ハインズと対戦。8分26秒、シャイニングウィザードで勝利。3月28日、呉市体育館大会でマイク・ロトンドと対戦。13分9秒、シャイニングウィザードで勝利。4月1日、長岡市厚生会館大会で天龍源一郎と対戦。14分16秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。4月2日、宮城県スポーツセンター大会で太陽ケアと対戦。24分4秒、シャイニングウィザードで勝利。4月9日、北見市立体育センター大会で荒谷信孝と対戦。5分11秒、シャイニングウィザードで勝利。4勝2敗でリーグ戦を突破。4月10日、月寒グリーンドーム大会での決勝トーナメント1回戦で小島聡と対戦。15分46秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。4月10日、月寒グリーンドーム大会での優勝決定戦でマイク・バートンと対戦。9分50秒、ムーンサルトプレスで勝利。チャンピオンカーニバルに優勝した。4月13日、日本武道館大会で天龍源一郎を相手に三冠王座決定戦。19分38秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。7月17日、大阪府立体育会館大会でブライアン・アダムス、ブライアン・クラーク組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分59秒、クラークのメルトダウン(変型アバランシュホールド)に武藤が敗れて王座転落。7月20日、日本武道館大会で黒師無双に変身してカズ・ハヤシと対戦。9分37秒、念仏パワーボムで勝利。同大会で武藤敬司として出場し、ミル・マスラカス、ドス・カラスと組んでブッチャー、グラン浜田、愚乱・浪花組と対戦。9分44秒、ドス・カラスがライガーボムで浪花に勝利。同大会でムタに変身し、愚零斗孤士(小島聡)と対戦。16分57秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。8月30日、日本武道館大会で太陽ケアと対戦。19分47秒、シャイニングウィザードで勝利。10月14日、愛知県体育館大会で天龍源一郎と対戦。16分36秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。11月23日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦にアニマル・ウォリアーと組んで参戦。5勝2敗に終わった。

2003

03年1月19日、東京ドームで行われた「WRESTLE−1」でゴールドバーグと組んでブライアン・アダムス、ブライアン・クラーク組と対戦。17分56秒、ゴールドバーグがジャックハマーでクラークに勝利。2月23日、日本武道館大会で橋本真也を相手に防衛戦。20分9秒、垂直落下式DDTに敗れて王座転落。3月25日、岩手県営体育館大会でトーナメントとして開催されたチャンピオンカーニバルに2回戦から参戦し、テンタと対戦。12分21秒、シャイニングウィザードで勝利。3月28日、北海道立総合体育センター大会での準決勝で嵐と対戦。18分3秒、フロッグスプラッシュに敗れた。6月8日、横浜文化体育館大会で嵐と組んで世界タッグ王座決定トーナメントに参戦し、1回戦でザ・グラジエーター、ギガンテス組と対戦。20分17秒、武藤がウラカンラナでグラジエーターに勝利。同日の決勝で小島聡、ジミー・ヤン組と対戦。24分49秒、嵐がフロッグスプラッシュでヤンに勝利。世界タッグ王座を獲得した。7月6日、ZERO1の両国国技館大会で川田利明と組んで橋本真也、小川直也組と対戦。19分45秒、橋本のヒザ十字固めに川田がTKO負け。7月13日、大阪府立体育会館大会で川田利明と三冠王座挑戦者決定戦。24分49秒、パワーボムに敗れた。8月10日、ZERO1の愛知県体育館大会で黒師無双に変身し、ロウ・キーと組んでトム・ハワード、ジョシュ・ダニエルズ組と対戦。14分、黒師無双がシャイニングウィザードでダニエルズに勝利。9月6日、日本武道館大会でギガンテス、TAKAみちのく組を相手にタッグ王座の防衛戦。18分24秒、シャイニング・インパクトを決めて嵐がギガンテスにフォール勝ち。10月26日、日本武道館大会でディーロ・ブラウン、ブキャナン組を相手にタッグ王座の防衛戦。24分26秒、武藤がムーンサルトプレスでディーロに勝利。11月22日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦に嵐と組んで参戦。3勝2敗1引き分けに終わった。

2004

04年1月3日、後楽園ホール大会でジ・イーグル、ショーン・ヘルナンデス組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分3秒、シャイニング・インパクトで嵐がイーグルにフォール勝ち。1月18日、大阪府立体育会館大会で小島聡、カズ・ハヤシ組を相手にタッグ王座の防衛戦。26分49秒、小島のラリアットに嵐が敗れて王座転落。2月29日、ZERO1の両国国技館大会で大森隆男と対戦。19分10秒、シャイニングウィザードで勝利。4月10日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会でカズ・ハヤシと対戦。13分31秒、シャイニングウィザード2連発で勝利。4月12日、Zepp Tokyo大会で嵐と対戦。10分34秒、シャイニングウィザード2連発で勝利。4月13日、Zepp Tokyo大会で佐々木健介と対戦。30分時間切れ引き分け。4月15日、後楽園ホール大会でジャマールと対戦。15分32秒、ダイビング・ボディプレスに敗れた。2勝1敗1引き分けでリーグ戦を突破。4月20日、国立代々木競技場・第2体育館大会での決勝トーナメント1回戦で大森隆男と対戦。11分9秒、フランケンシュタイナーで勝利。同日の決勝で佐々木健介と対戦。15分33秒、ムーンサルトプレスで勝利。チャンピオンカーニバルに優勝した。7月10日、ノアの東京ドーム大会で太陽ケアと組んで三沢光晴小川良成組のGHCタッグ王座に挑戦。21分46秒、三沢の変型エメラルドフロウジョンにケアが敗れた。7月18日、両国国技館大会で西村修と対戦。18分2秒、シャイニングウィザードで勝利。9月3日、横浜文化体育館大会で小島聡と対戦。19分17秒、シャイニングウィザード2連発で勝利。10月31日、両国国技館大会で三沢光晴と組んで佐々木健介、馳浩組と対戦。23分50秒、武藤がムーンサルトプレスで馳に勝利。11月21日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦に西村修と組んで参戦。リーグ戦は2勝1敗1引き分けに終わった。

2005

05年2月2日、後楽園ホール大会で諏訪間幸平と組んで太陽ケア、ジャマール組の世界タッグ王座に挑戦。26分25秒、ケアのフランケンシュタイナーに諏訪間が敗れた。2月16日、国立代々木競技場・第2体育館大会で棚橋弘至と対戦。18分49秒、ムーンサルトプレスで勝利。4月9日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会でブキャナンと対戦。9分13秒、シャイニングウィザード3連発で勝利。4月10日、後楽園ホール大会で川田利明と対戦。30分時間切れ引き分け。4月14日、大阪府立体育会館・第2競技場大会でジャマールと対戦。13分14秒、パワーボムをウラカンラナに切り返してフォール勝ち。4月16日、ウェルサンピア松本大会で諏訪間幸平と対戦。13分9秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。4月17日、新潟市体育館大会でチャック・パルンボと対戦。14分39秒、187に敗れた。リーグ戦は2勝2敗1引き分けに終わった。5月14日、新日本プロレスの東京ドーム大会でロン・ウォーターマンと対戦。11分16秒、ムーンサルトプレスで勝利。7月26日、国立代々木競技場・第2体育館大会小島聡の三冠王座に挑戦。26分37秒、ラリアットに敗れた。8月4日、両国国技館での「WRESTLE−1」のメインイベントでグレート・ムタとしてと対戦。10分8秒、シャイニングウィザード3発からムーンサルトプレスで勝利した。8月21日、後楽園ホール大会でTARUと対戦。8分53秒、レフリーへの毒霧で反則勝ち。10月2日、WRESTLE−1の国立代々木競技場・第1体育館大会での2回戦で佐々木健介と対戦。13分34秒、シャイニングウィザードで勝利。その後、WRESTLE−1の大会が開かれることはなくトーナメントは消滅した。11月19日、国立代々木競技場・第2体育館大会でムタとしてグレート・ルタと対戦。12分6秒、ム−ンサルトプレスで勝利。11月20日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦に曙と組んで参戦。3勝1敗でリーグ戦を突破。12月5日、大田区体育館大会での優勝決定戦でババ・レイ、ディーボン組と対戦。20分23秒、3Dをくらってディーボンに武藤がフォール負け。05年度のプロレス大賞で曙と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。

2006

06年2月3日、後楽園ホール大会で太陽ケアと対戦。20分30秒、シャイニングウィザードで勝利。4月7日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。4月8日、長岡厚生会館大会で佐々木健介と対戦。30分時間切れ引き分け。4月9日、後楽園ホール大会で吉江豊と対戦。18分22秒、シャイニング・ウィザード3連発で勝利。4月13日、兵庫県立武道館大会で太陽ケアと対戦。30分時間切れ引き分け。4月15日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で諏訪魔と対戦。30分時間切れ引き分け。4月16日、京都・KBSホール大会でブキャナンと対戦。11分54秒、アイアンボムに敗れた。リーグ戦は1勝1敗3引き分けに終わった。11月19日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦に川田利明と組んで参戦。リーグ戦を4勝2敗の同点2位で終了。12月2日、浜松市体育館大会で小島聡、天山広吉組と優勝戦進出者決定戦。23分28秒、天山のムーンサルトプレスに武藤が敗れた。

2007

07年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会のメインで蝶野正洋と組んで天山広吉、小島聡組と対戦。18分43秒、蝶野がクロス式STFで天山に勝利。3月26日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で大鷲透と対戦。17分23秒、シャイニングウィザードで勝利。3月27日、後楽園ホール大会で佐々木健介と対戦。25分30秒、ノーザンライトボムに敗れた。3月28日、後楽園ホール大会で諏訪魔と対戦。25分17秒、足4の字固めを決めてセコンドのTARUがTシャツを投入し、TKO勝ち。3月30日、後楽園ホール大会で太陽ケアと対戦。19分21秒、シャイニングウィザードで勝利。3勝1敗でリーグ戦を突破。同大会での優勝決定戦で川田利明と対戦。22分28秒、ムーンサルトプレスで勝利。チャンピオンカーニバルに優勝した。7月1日、横浜文化体育館大会で三冠王者の鈴木みのるに挑戦。序盤のグラウンドの攻防は、一進一退の展開。計7回のドラゴンスクリュー、2回の足4の字固め、低空ドロップキック、10回のシャイニングウィザード、ムーンサルトプレスで王者を追いこんだがカウントは奪えず。26分54秒、ヒールホールドに敗れた。11月23日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦にジョー・ドーリングと組んで参戦。5勝1敗1引き分けでリーグ戦を1位で突破。12月9日、大阪府立体育会館大会での優勝決定戦で小島聡、諏訪魔組と対戦。26分5秒、武藤がムーンサルトプレスで諏訪魔に勝利。世界最強タッグ決定リーグ戦に優勝した。

2008

08年1月3日、後楽園ホール大会でジョー・ドーリングと組んで小島聡、TARU組の世界タッグ王座に挑戦。27分50秒、ドーリングがスパイラルボムでTARUに勝利。世界タッグ王座を獲得した。1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会でムタとして出場。後藤洋央紀と対戦。13分54秒、毒霧、シャイニングウィザード2連発からのムーンサルトプレスで圧勝。4月5日から始まったチャンピオンカーニバルに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で太陽ケアと対戦。ケアの両足をトップロープに持ちあげ、宙づりの状態から首をめがけてドラゴンスクリュー。最後は16分4秒、シャイニングウィザードで勝利。「オレの脳が発信するインスピレーションが、手足に伝達すればだれにも負けない。想定内だ」と試合後に語った。4月6日、後楽園ホール大会で小島聡と対戦。17分36秒、腕ひしぎ逆十字固めでレフリーストップ勝ち。4月7日、後楽園ホール大会で棚橋弘至と対戦。30分時間切れ引き分け。4月9日、後楽園ホール大会で川田利明と対戦。10分32秒、後頭部へのランニング・ローキックに敗れた。リーグ戦は2勝1敗1引き分けに終わった。チャンピオンカーニバル2連覇はならなかった。4月27日、新日本プロレスの大阪府立体育会館大会でIWGP王者の中邑真輔に挑戦。8年4カ月ぶりのIWGP王座戦となった。6000人の大観衆を味方につけ独自の世界を展開。シャイニング・ウィザード3連発はカウント2。シャイニング・ウィザードは三角絞めで返されるが、そのままパワーボム。最後は22分34秒、シャイニング・ウィザードからのムーンサルトプレスで勝利。IWGP王座を獲得し、観客から大歓声で祝福された。4月29日、愛知県体育館大会でTARU、ゾディアック組を相手にタッグ王座の防衛戦。18分48秒、武藤がシャイニングウィザードでTARUに勝利。6月28日、大阪府立体育会館大会で鈴木みのる、太陽ケア組を相手にタッグ王座の防衛戦。21分4秒、ケアのTKO34thにドーリングが敗れて王座転落。7月21日、月寒アルファコートドーム大会で中西学を相手にIWGP王座の防衛戦。23分50秒、シャイニングウィザード3連発からのムーンサルトプレスで勝利して防衛に成功。試合後は「今日の武藤より、明日の武藤の方が衰える。いい武藤と試合をしたかったら、どんどん名のりでてほしい」と語った。8月31日、全日本プロレス両国国技館大会で後藤洋央紀を相手に防衛戦。相手の技を受けきった横綱相撲を見せ、最後は21分13秒、ムーンサルトプレスで勝利し防衛に成功。9月21日、新日本プロレスの神戸ワールド記念ホール大会で真壁を相手に防衛戦。真壁率いるGBHの乱入で額から流血するほど苦戦したが、チェーンを足に巻きつけてのシャイニングウィザードを決めて、最後は19分16秒、ムーンサルトプレスで勝利して防衛に成功。9月28日、横浜文化体育館大会でムタとして三冠王者の諏訪魔に挑戦。ムーンサルトプレスで勝利して三冠王座を獲得。IWGP王座と合わせて4冠王者となった。10月13日、新日本プロレスの両国国技館大会で中邑を相手にIWGP王座の防衛戦。ムーンサルトプレスはカウント2で返されたが、21分39秒、フランケンシュタイナーで勝利して防衛に成功。11月22日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦に浜亮太と組んで参戦。リーグ戦は3勝4敗に終わった。ムタとして三冠王座、武藤としてIWGP王座を守りきり、08年度プロレス大賞のMVPを獲得した。

2009

09年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会のメインで棚橋を相手にIWGP王座の防衛戦。ムーンサルトプレスをかわされ、30分22秒、ハイフライフロー2連発に敗れて王座転落。3月14日、両国国技館大会で高山善廣を相手にムタとして三冠王座の防衛戦。13分42秒、ニーリフトからのエベレストジャーマンに敗れて王座転落。4月からチャンピオンカーニバルに参戦。三冠王者の高山に勝利するなど活躍し、リーグ戦を1位で通過。4月12日、JCBホール大会での準決勝で鈴木みのると対戦。15分13秒、ゴッチ式パイルドライバーに敗れた。8月30日、両国国技館でデビュー25周年記念試合を開催し、この試合でプロレス復帰した船木誠勝と組んで蝶野、鈴木みのる組と対戦。21分19秒、武藤がムーンサルトプレスでみのるに勝利。11月20日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦では船木と組んで参戦。順調に勝ち星を重ね、12月6日、岐阜産業会館大会での優勝決定戦で諏訪魔、河野組と対戦。26分13秒、武藤がフランケンシュタイナーで河野にフォール勝ちして優勝。

2010

10年1月3日、後楽園ホール大会で船木と組んで太陽ケア、鈴木みのる組の世界タッグ王座に挑戦。26分50秒、船木がクロス・ヒールホールドでケアに勝利して世界タッグ王座を獲得。3月6日、さいたまスーパーアリーナでのゲーム会社コーエー主催のイベント「戦国武将祭」で武田信玄に扮してKAI(真田幸村)と組んで小島(上杉謙信)、カズ・ハヤシ(直江兼続)組と対戦。武藤がシャイニング・ウイザードでカズに勝利した。7日の大会2日目では小島と組んでTAKAみちのく(豊臣秀吉)、新崎人生(柴田勝家)組と対戦。小島がラリアットでTAKAに勝利した。この試合後、悪化していた右ヒザの手術のため長期欠場。4度目の右ヒザ手術となった。8月29日、両国国技館大会でムタとして復帰。KENSOと対戦し、10分30秒、ダブルニードロップに敗れた。9月10日、後楽園ホール大会で船木と対戦。30分時間切れ引き分け。9月20日、後楽園ホール大会でKAIと対戦し、18分29秒、シャイニングウィザードで勝利。同日、ジュニア王座の防衛新記録を作ったカズ・ハヤシの試合後にリング上に登場し、世界ジュニア王座への挑戦を表明。ジュニアヘビー級の体重に向けて減量を実行。10月12日、新南陽体育館大会でレフリーデビュー。10月23日、前日計量で103キロとなり、減量成功。10月24日、横浜文化体育館大会でカズ・ハヤシの世界ジュニア王座に挑戦。ムーンサルトプレスをカウント2で返され、直後にシャイニングウィザードを狙ったが、23分11秒、巻き投げ固めに丸めこまれてフォール負け。11月5日、台北・国立台湾大学総合体育館大会で蝶野と組んでTARUレネ・デュプリ組と対戦し、14分5秒、この試合で復帰戦となった蝶野がシャイニングケンカキックでTARUに勝利。

2011

11年1月2日、後楽園ホール大会のヘビー級バトルロイヤルに優勝。1月3日、後楽園ホール大会のジュニアヘビー級バトルロイヤルに優勝。3月21日、両国国技館大会を開催。3月11日に東北地方太平洋沖地震が起きたわずか10日後、多くのプロレス大会が自粛する中での強行開催となり、場内の空調の設定温度を下げ、リングを非常用電源車からの投光器で照らすなど、節電に配慮をしての大会となった。この大会で、デビュー2戦目となる橋本大地と対戦。10分18秒、ムーンサルトプレスで勝利した。試合後のバックステージでは新日本プロレス、ノアと連携してのチャリティ大会の意向を表明。8月27日、日本武道館での全日本、新日本、ノアの合同チャリティ興業「ALL TOGETHER」に出場し、小橋建太と組んで飯塚矢野組と対戦。終盤に武藤がシャイニングウィザードを飯塚に決めてムーンサルトプレス。14分58秒、直後に小橋もムーンサルトプレスを決めて勝利した。この試合でプロレス大賞のベストバウトを受賞した。11月19日、後楽園ホール大会で近藤修司と対戦。14分27秒、シャイニングウィザードで勝利。

2012

12年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で内藤哲也と対戦。ドラゴンスクリュー、足4の字固め、シャイニングウィザードを連発して独自の世界観で内藤を圧倒し、最後は22分35秒、ムーンサルトプレスで完勝。2月19日、仙台サンプラザホールでの「ALL TOGETHER」第2回大会で小橋と組んで秋山大森組と対戦。20分20秒、武藤がムーンサルトプレスで秋山に勝利。3月18日、ノアの横浜文化体育館大会に登場し、潮崎豪と組んで秋山、齋藤組のGHCタッグ王座に挑戦。「ALL TOGETHER」で足を負傷して小橋が欠場したための代役出場だった。ほとんどリングに登場することはなかったが、雪崩式フランケンシュタイナーやフラッシングエルボー、ドラゴンスクリューなどを見せた。秋山にシャイニングウィザードを決めて潮崎がムーンサルトプレスを決めたが齋藤のカットのためカウント2。最後は30分4秒、秋山のスターネスダストに潮崎が敗れた。3月20日、両国国技館大会のメインで秋山の三冠王座に挑戦。必殺のムーンサルトプレスを決めたが直後にフロントネックロックで動きを止められ、試合が進むにつれて膝の痛みから徐々に動きが鈍くなって大苦戦。終盤に鮮やかなフランケンシュタイナーを決めたがカウント2で返され、最後は18分21秒、スターネスダストにフォール負け。7月1日、両国国技館での新日本プロレスと全日本プロレスの創立40周年記念大会で天山、小島と組んで飯塚、矢野、石井組と対戦。12分9秒、小島がラリアット、天山がダイビングヘッドバット、武藤がムーンサルトプレスを決めて石井に勝利。9月23日、横浜文化体育館大会でケビン・ナッシュと組んで真田、太陽ケア組と対戦。15分30秒、武藤のシャイニングウィザードからナッシュがジャックナイフ・パワーボムを決めて真田に勝利。

2013

13年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で大谷と組んで小島、天山組と対戦。15分36秒、天山のムーンサルトプレスに大谷が敗れた。1月26日、大田区総合体育館大会でリック・フレアーと組んで藤波、真田組と対戦する予定だったが、リック・フレアーが直前で欠場を発表。代役として息子のリード・フレアーが出場した。15分31秒、真田のTHIS IS ITにフレアーが敗れた。3月17日、両国国技館大会でドン・フライと組んで高山、河野組と対戦。9分57秒、武藤がフランケンシュタイナーで河野に勝利。5月11日、ノアの日本武道館大会のメインで小橋の引退試合に出場。小橋、佐々木健介、秋山と組んでKENTA金丸、潮崎、マイバッハ谷口組と対戦。17,000人の超満員の大観衆を前に、39分59秒、小橋がムーンサルトプレスで金丸に勝利。5月31日、オーナーとの対立の結果、取締役会長を辞任。以後、試合に出場しなくなった。6月30日の両国国技館大会を最後に、オーナーと対立していた武藤派が全日本プロレスを離脱。その後、自らが社長となりW−1(WRESTLE−1)を旗揚げ。9月8日、東京ドームシティホールでのW−1旗揚げ戦を開催。メインでボブ・サップと組んでレネ・デュプリ、ゾディアック組と対戦。10分20秒、武藤がムーンサルトプレスでデュプリに勝利。

2014

14年3月2日、W−1として初の両国国技館大会を開催。太陽ケア、ロブ・テリーと組んでサモア・ジョー、デュプリ、河野組と対戦。13分34秒、武藤がシャイニングウィザードでデュプリに勝利。11月1日、両国国技館でデビュー30周年記念大会を開催。メインで河野のW−1王座に挑戦。18分20秒、ムーンサルトプレス、シャイニングウィザード、低空ドロップキック、逆回転ドラゴンスクリュー、ドラゴンスクリューからの足4の字固めで勝利。W−1王座を獲得した。12月22日、後楽園ホール大会のメインで真田を相手に防衛戦。21分24秒、ドラゴンスクリューからの足4の字固めで勝利。

2015

15年1月30日、後楽園ホール大会のメインで征矢学を相手に防衛戦。19分31秒、ドラゴンスクリューからの足4の字固めで勝利。3月8日、後楽園ホール大会のメインでKAIを相手に防衛戦。19分13秒、スプラッシュプランチャ3連発に敗れて王座転落。6月18日、後楽園ホール大会で黒潮と対戦。相手への大声援に圧倒されつつも、13分29秒、シャイニングウィザードからのムーンサルトプレスで勝利。

2017

17年2月8日、後楽園ホールでプロデュース興行「プロレスリング・マスターズ」を開催。メインで長州、藤波、ライガーと組んで平成維震軍の越中、カブキAKIRA、齋藤、セコンドの青柳政司組と対戦。15分23秒、武藤がムーンサルトプレスでAKIRAに勝利。4月、W−1の会長に就任。10月27日、ドラディションの後楽園ホール大会でマスカラス、藤波と組んでKAZMA、人生、カブキ組と対戦。12分40秒、マスカラスがフライングボディアタックでKAZMAに勝利。

2018

18年2月19日、都内のW−1事務所で会見し、両膝に人工関節を入れる手術を3月末に行うことを発表した。「必ず(リングに)帰って試合をするつもりなんですが、一つ(復帰する)条件がある。やったらだめな技に一つあるのが、ムーンサルトプレス。復帰してもムーンサルトはできません。なので3月14日には、おれのプロレス生活最後のムーンサルトを披露したいと思ってます」と語った。3月14日、後楽園ホール大会でSUSHI宮本和志と組んで河野、大和中之上、KAI組と対戦。19分8秒、武藤がムーンサルトプレスでに勝利。3月25日、DDTの両国国技館大会でムタとして出場し、佐々木大輔、遠藤哲哉と組んで男色ディーノ石井慧介、大家健組と対戦。20分9秒、ムタがムーンサルトプレスで石井に勝利。この試合後、長期欠場。3月30日、都内の病院で両膝を人工関節にする手術を3時間行なった。8月21日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで馳、太陽ケア、人生、大谷組のセコンドについて越中、AKIRA、青柳、齋藤彰俊組と対戦。 21分9秒、武藤がシャイニングウィザードをAKIRAに決めて、馳がノーザンライトスープレックスでAKIRAに勝利。

2019

19年4月6日、HOGのニューヨーク・NYCアリーナ大会でムタとして復帰。TAJIRI、ペンタゴン・ジュニアと組んでロウ・キー、LAX(サンタナ、オルティス)組と対戦し、勝利。同日、ニューヨーク州のマディソン・スクエア・ガーデンでのROHと新日本プロレスの合同大会で30人参加の時間差バトルロイヤルにムタとして出場した。6月26日、後楽園ホールでの長州力の引退興行で武藤として復帰。藤波、真壁と組んで長州、越中、石井智宏組と対戦。石井へフラッシングエルボー、ドラゴンスクリューからの足4の字固めを決め、長州にはシャイニングウィザードを決めるなど、華麗な動きで復活を超満員のファンにアピールした。17分29秒、真壁がダイビング・ニードロップ4連発で長州に勝利した。

2020

20年2月28日、コロナウィルスで各地のイベントが中止となる中、マスターズの後楽園ホール大会を開催。全席完売していたが8割の入りとなった。メインで蝶野をセコンドにスーパーJと組んで藤波辰爾、藤原喜明組と対戦。13分8秒、藤波のドラゴンスリーパーにスーパーJが敗れた。2月29日、GSPメディアセンターで社長のカズ・ハヤシと共に会見に出席し、4月1日の大会を最後にW−1が活動休止することを発表。4月1日、後楽園ホールでのW−1の最終興行(新型コロナウィルスの影響により無観客試合)でハヤシ、近藤、河野と組んで芦野、土肥、稲葉羆嵐組と対戦。19分51秒、羆嵐のダイビング・セントーンにハヤシが敗れた。8月10日、ノアの横浜文化体育館大会で清宮海斗と対戦。27分7秒、足4の字固めで勝利。11月22日、ノアの横浜武道館大会で谷口周平と対戦。13分51秒、シャイニングウィザードで勝利。

2021

21年2月12日、ノアでは10年2ヶ月ぶりとなった日本武道館大会のメインで潮崎豪のGHC王座に挑戦。ドラゴンスクリュー、足4の字固めなどで潮崎の右足を徹底攻撃し、シャイニングウィザードの連発、エメラルドフロウジョンで追いこみ、封印していたムーンサルトプレスを解禁しようとしたが、発射までに時間がかかり阻止される。逆に豪腕ラリアット、ゴーフラッシャー、ムーンサルトプレスなどの猛反撃にあうが、29分32秒、フランケンシュタイナーで勝利。GHCヘビー級王座を獲得した。この試合で21年度のプロレス大賞のベストバウトを受賞した。2月15日、ノアに入団。3月14日、福岡国際センター大会で清宮海斗を相手に防衛戦。32分7秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。4月29日、名古屋国際会議場イベントホール大会でマサ北宮を相手に防衛戦。22分53秒、シャイニングウィザードで勝利。6月6日、さいたまスーパーアリーナでのCyberFightのメインで丸藤正道を相手に防衛戦。シャイニングウイザードの連発からエメラルドフロウジョン。さらに封印していたムーサルトプレスを決めて客席からどよめきを起こすも、ダメージが深くカバーが遅れ、カウント2。両膝をマットに強打してしまったため完全に窮地に。丸藤のトラースキック、トラースキック、虎王、トラースキック、虎王、リストクラッチ式虎王はカウント2で返したが、最後は23分30秒、真・虎王からの虎王・零に敗れて王座転落。9月12日から始まったN−1 VICTORYに参戦。開幕戦の後楽園ホール大会で杉浦貴と対戦。30分時間切れ引き分け。9月19日、TVマッチで征矢学と対戦。17分37秒、足4の字固めで勝利。9月26日、後楽園ホール大会で清宮海斗と対戦。30分時間切れ引き分け。リーグ戦は1勝2引き分けに終わった。11月13日、横浜武道館大会で丸藤正道と組んで清宮海斗、マサ北宮組のGHCタッグ王座に挑戦。30分27秒、武藤がシャイニングウィザードで北宮に勝利。GHCタッグ王座を獲得した。12月7日、後楽園ホール大会で望月成晃と対戦。10分15秒、シャイニングウィザードで勝利。

2022

22年1月1日、日本武道館大会(同会場での元旦開催はプロレスで初)で田中将斗、望月成晃組を相手にタッグ王座の防衛戦。20分50秒、武藤が足4の字固めで望月に勝利。1月8日、新日本プロレスの横浜アリーナ大会(新日本プロレスとの全面対抗戦)のメインで清宮海斗と組んでオカダ・カズチカ、棚橋弘至組と対戦。25分34秒、オカダのレインメーカーに清宮が敗れた。1月16日、仙台サンプラザホール大会で拳王、征矢学組を相手にタッグ王座の防衛戦。20分55秒、武藤がフランケンシュタイナーで征矢に勝利。2月8日、都内で記者会見し、左股関節唇損傷により長期欠場することを発表。GHCタッグ王座を返上した。5月21日、大田区総合体育館大会で復帰し、メインで小島聡、丸藤正道と組んで潮崎豪、清宮海斗、田中将斗組と対戦。23分46秒、潮崎のラリアットに小島が敗れた。試合後のバックステージで「正直さ、相手の技を受けるじゃなくて自分の技をしかける時に痛みが走ったりするからよ。やっぱり気持ちが、気持ちが落ちるよ」、「近々に近々に近々に報告することがあります。以上」と語った。6月12日、さいたまスーパーアリーナで行われた「サイバーファイトフェスティバル」のセミファイナル前にリングに登場。「武藤です。さいたまスーパーアリーナ、たくさんの来場ありがとうございます。かつて、プロレスはゴールのないマラソンと言った自分ですが、来年の春までに引退します。あと数試合はするつもりです。ご声援お願いします」と引退を宣言した。7月16日、日本武道館大会で清宮海斗と対戦。26分28秒、足4の字固めに敗れた。試合後のインタビューで「おれに勝ったご褒美としてドラゴンスクリュー、4の字、シャイニングウィザード、あいつに譲るよ」と語った。7月30日、ドラゴンゲートの神戸ワールド記念ホール大会でXとしてサプライズ登場し、このまま市川と対戦。3分2秒、シャイニングウィザードで勝利。

2023

23年2月21日、東京ドーム大会のメインで引退試合を行ない内藤哲也と対戦。ドラゴンスクリューからの足4の字固めや、蝶野のSTF、橋本の袈裟斬りチョップとDDT、三沢のエメラルドフロウジョンを決めて会場を沸かせたが、後頭部へのシャイニングウィザード、正面へのシャイニングウィザードをくらい、28分58秒、デスティーノに敗れた。試合後、マイクを持つと「武藤敬司のプロレス人生最高に幸せでした。みなさんのおかげです。自分がいなくなっても、プロレス界はばく進していきます」と絶叫。「自分の足で帰れるし、エネルギーも残ってるし、まだ灰にもなってねぇや。どうしても一つだけやりたいことがあるんだよな。蝶野。おれと戦え」と放送席の蝶野を最後の相手にサプライズ指名した。1分37秒、サミング、シャイニングケンカキックからのSTFに敗れた。



スクラップブック
武藤敬司が考えるアレンジの重要性
シャイニング・ウィザードとの出会い
(2020年6月7日10:10配信 スポーツナビより)
シャイニング・ウィザードも考えすぎずに出た技だった。
 2001年の1月かな、まだ新日本プロレスに籍を置きながら全日本の東京ドーム大会にゲスト参戦した時のこと。相手は太陽ケアって聞いたけど、全然知らない選手だった。最初は「嫌だよ、俺」なんて拒んでたから。結果的には久しぶりにレスリングの面白さを再確認させてくれた選手だったから、そこから全日本への興味も芽生えたんだけどね。
 俺って技の仕掛けが早いんだよ。ドラゴンスクリューの後、ちょっと間が空いた時があってさ。あいつがモタモタしてるから、「あーもう面倒くせーなー」と思って蹴りあげたのがシャイニング・ウィザードなんだ。
 ヒザ蹴りかましたのはとっさの閃きだった。でもその時、すごく会場が盛り上がった。技の名前なんてなかったけど。それで「これ行けるな」って直感したんだ。
 あの技が2000年代以降、俺の代名詞になってくれた。今ではWWEのレスラーも、アニメの「名探偵コナン」も使ってるくらいだから。
 ケアが、ふにゃっという形でヒザ立ちしていたから、そこに向かっていっただけのこと。シャイニングだって道場で練習したことはないよ。ついでに俺にとって良かったのは、右ヒザを当てるんだけどそっちの方が悪いヒザなんだよ。でもバンデージをガチガチに巻いてるから、相手に当てるだけだったら俺の衝撃は少ないし、相手への威力は大きい。それで連発することもできた。思いがけなく、いい技が生まれたよ。


【武藤敬司連載#34】股関節って治んねえんだ それに大谷晋二郎の事故で怖くなっちまった
(2023年2月17日17:01配信 東スポWEBより)
 2021年11月に丸藤正道と組んでGHCタッグ王座を取った。これで新日本、全日本、ノアのシングル、タッグの6タイトル完全制覇を達成した。でも秋には両股関節が悪くなり始めた。GHCタッグの時には違和感があり、22年元日の日本武道館大会と1月8日の新日本・横浜アリーナ大会の前には痛み止めの注射を打っていたんだよ。
 18年に両ヒザの手術を受けた時、全体的にMRIで検査をしたんだ。その時に先生から「股関節の隙間が狭いよ」と。ただ、その後は痛みもなかったから気にも留めていなかった。むしろヒジとか頸椎の方が症状が出ていたから「まさか股関節が」と思ったよ。
 で、横浜の試合から1週間後の16日に仙台で拳王と征矢学を迎えたGHCタッグのV2戦があったんだよ。勝ったけど試合前から「しんどいな」ってね。検査を受けたら左股関節唇損傷と診断された。両股関節に炎症が起きていたんだ。
 これは治しようがなかった。動かなければ炎症が収まって痛くなくなる。ただ、無理すると炎症で痛くなるんだよ。放っておいてもヒザと同じで骨が変形していくから、いずれ人工関節にすべきだけど、股関節の人工関節はヒザに比べてジョイントが浅いから、すぐ外れちゃうんだって。だから手術したらプロレスは完璧にできなくなる。
 診断を受けた後、俺はGHCタッグのベルトを返上して長期欠場することにした。このころには引退で心が決まっていた。だって治んねえんだもん。そこに大谷晋二郎の事故があってね。俺自身、だんだん年を取ってガタがきているから、こういうことが自分に起きる可能性もあるだろうって思ったら怖くなっちまった。
 あとは(21年度の東京スポーツ新聞社制定「プロレス大賞」で)ベストバウトを58歳で取り、やり切った感も少しあった。唯一の心残りはグレート・ムタにもGHCヘビー級王座を取らせてやりたかったことかな。
 そうやって引退に傾いていったけど、それでも痛みが和らぐと「まだできるかな」って悩んだりね。それで「もう辞めよう」という気持ちが7割くらいで5月21日の大田区総合体育館大会で復帰してね。でも自分が攻めている時に痛みが出て、完全に決断したよ。
 正式な引退発表は6月12日のサイバーファイトフェスティバル。でも俺って人間があまのじゃくだから。会場のさいたまスーパーアリーナに行く時も、リングに上がる時も一瞬でも悟られたくない。一生懸命コンディション良さそうに走ったり入場したらロープに飛んで、それから引退発表したんだ(笑い)。