ダークロHP / レスラーノート

ミスターレスリング
Mr. WRESTLING


本名:ティム・ウッズ
1934年7月28日
ニューヨーク州ユーティカ出身
188p 120kg
タイトル歴:ジョージア・ヘビー フロリダTV CWFサザン・ヘビー フロリダ・ヘビー フロリダ・タッグ ミッドアトランティック・タッグ ミッドアトランティックTV ジョージア・タッグ

オクラホマ州立大学でアマレスのAAU大会のライト・ヘビー級部門で3連覇を果たした。ローマオリンピックで6位。オリンピック出場の翌年、61年にジョージアでデビュー。4年間は本名と素顔で試合をした。その後、白覆面の正統派としてミスターレスリングに変身。66年にジョージア・ヘビー級王座を獲得。NWA世界王者時代のジン・キニスキーとは60分フルタイム引き分けの好試合もした。72年にフロリダTV王座とCWFサザン・ヘビー級王座を獲得。73年にフロリダ・ヘビー級王座と同タッグ王座(パートナーはビッグ・バッド・ジョン)を獲得。74年4月に全日本プロレスに初来日。第2回チャンピオンカーニバルに出場し、トーナメントで杉山鶴田を破り決勝進出。5月11日、前橋・群馬県スポーツセンターでの決勝で馬場と対戦。1本目はドロップキック、エルボードロップとたたみかけ、8分30秒、馬場の巨体をブレーンバスターでたたきつけて勝利。2本目は2分45秒、32文ドロップキックにフォール負け。3本目はダイビングボディプレスを両ヒザを立てられて防がれてしまい、3分5秒にフォール負け。試合後、負けたレスリングは覆面を自ら脱いで、馬場と握手した。75年の第3回チャンピオンカーニバルにも出場。クツワダ、鶴田を破り、決勝リーグ戦に進出。決勝リーグ戦では馬場、キニスキー、デストロイヤーに敗れ全敗だった。 12月に全日本プロレスのオープン選手権に出場。12月6日、足立区体育館大会でマイティ井上と対戦。業師同士のテクニック合戦を繰り広げ、エキサイトする井上をなだめて握手するなどベテランのインサイドワークを発揮したが、井上のボディアタックをくらって両者場外に転落。リングアウトの引き分けに終わった。5戦出場して1勝もすることなく、この選手権を棄権して帰国した。 この頃アメリカではミッドアトランティック・タッグ王座(パートナーはディノ・ブラボー)、ミッドアトランティックTV王座を獲得。80年にはジョージアに戻り、ミスターレスリング2号(ジョニー・ウォーカー)とジョージア・タッグ王座を獲得した。飛び入りの客を相手にした際に、左手の薬指を第二関節まで食いちぎられた惨事も有名。83年に引退。02年11月30日、シャーロッテの自宅で心臓発作で死去。

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