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マイティ井上本名:井上末雄1949年4月12日 大阪府大阪市福島区出身 175cm 105kg |
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通称
和製マットの魔術師
タイトル歴
IWA世界ヘビー
IWA世界タッグ 世界ジュニア(全日本プロレス) NWAインターナショナルジュニア アジアタッグ 得意技
サマーソルトドロップ
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大阪学院高校では柔道部(柔道2段)。大阪のボディビルジムで体を鍛える。67年春の高校卒業と同時に国際プロレスに入団。7月21日、名古屋市金山体育館の仙台強戦でデビュー。13分27秒、逆さ押さえ込みで敗れた。
70年8月、小林と共にヨーロッパに遠征。ミッキー井上の名で活躍。
71年2月にいったん帰国し、3月に再渡欧。
72年4月にカナダにも遠征。10月に帰国。10月28日、佐野市民体育館大会で凱旋帰国試合。レッド・バスチェンと3本勝負で対戦し、1対1から時間切れ引き分け。
74年10月7日、越谷市体育館でIWA世界ヘビー級王者のビリー・グラハムと対戦。3本勝負で行われた試合は、1本目が12分4秒、逆さ押さえ込みで井上が勝利。2本目は6分15秒、カナダ式背骨折りでグラハムが勝利。3本目は3分48秒、逆さ押さえ込みで井上が勝利。IWA世界ヘビー級王座を獲得した。
国際プロレスのエースとして活躍が期待されたが、75年4月、マッドドッグ・バションに敗れて王座転落。6月8日、グレート草津と組んでIWA世界タッグ王座を獲得。12月2日、グレート草津と組んでIWA世界タッグ王座を獲得。12月11日、全日本プロレスの日本武道館大会(力道山13回忌大会)でヒロ・マツダのNWAジュニア王座に挑戦し、2対1で敗れた。
76年6月11日、グレート草津と組んでIWA世界タッグ王座を獲得。
77年4月に2度目のカナダ遠征。8月に帰国。11月6日、後楽園ホール大会でアニマル浜口と組んで小鹿、大熊組を破りアジアタッグ王座を獲得。12月に女優の西尾三枝子と結婚(80年4月に離婚)。
78年11月3日から始まった日本リーグ争覇戦に参戦。3勝2敗2引き分けでリーグ戦を突破。11月25日、蔵前国技館大会での決勝トーナメント1回戦でジャンボ鶴田と対戦。16分38秒、回転エビ固めにフォール負け。
79年2月23日、アニマル浜口と組んでIWA世界タッグ王座を獲得。
80年7月15日、アニマル浜口と組んでIWA世界タッグ王座を獲得。
81年5月16日、後楽園ホール大会で阿修羅原と組んでIWA世界タッグ王座を獲得。8月の国際プロレス崩壊後、10月に全日本プロレスに正式入団。10月9日、後楽園ホール大会でミル・マスカラスのIWA王座に挑戦。9分15秒に敗れた。11月1日、後楽園ホール大会で阿修羅原と組んで佐藤、石川組のアジアタッグ王座に挑戦し、2対1で敗れた。その後は中堅選手として活躍。
82年9月にヨーロッパ遠征。西ドイツのハノーバートーナメントに出場。
83年2月に阿修羅原と組んで佐藤、石川組を破りアジアタッグ王座を獲得。
84年2月にチャボ・ゲレロを破りNWAインターナショナルジュニア王座を獲得。8月に行われた世界最強ジュニアタッグリーグ戦ではグラン浜田と組んで優勝。
85年10月31日、石川と組んでアジアタッグ王座を獲得。
87年7月30日、石川と組んでアジアタッグ王座を獲得。
89年1月25日、大阪府立体育会館でジョー・マレンコを破り世界ジュニアヘビー級王座を獲得。3月8日、日本武道館大会で渕正信を相手に防衛戦。首固めを首固めに切り返されてフォール負けし、王座転落。
98年6月に引退。8月にレフェリーになる。
00年にノアの旗揚げにレフェリーとして参加。
09年12月31日、後楽園ホールでの大日本、DDT、KAIENTAIの共催興業「天下三分の計 大晦日年越しスペシャル」でグレート小鹿、タイガー戸口、鶴見五郎、グラン浜田と組んでTAKAみちのく、アブドーラ小林、高木三四郎、ポイズン澤田JULIE、MEN’Sテイオー組とイリミネーションマッチで対戦。11分30秒 サムソンクラッチで小林にフォール勝ちするなど活躍し、チームの勝利に貢献した。12月31日でノアとのレフリー契約を解除された。
10年2月に宮崎県都城市に転居。5月22日、ノアの後楽園ホール大会でレフリー引退興行が開催され、メインイベントでレフリーとして登場。試合後に引退セレモニーが行われ、「レスラーとして31年、レフリーとして12年、43年間このリングに立ってきました。本当に素晴らしい、夢のような時間でした。私が生きたこの時代に、プロレスという素晴らしいスポーツがあったことに感謝します。プロレス、ありがとう」とマイクで挨拶し、リング上で選手たちに胴上げされた。
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