アマレスでの活躍をハーリー・レイスに認められ84年1月にプロレス入り。デビュー当時はトニー・ロジャーズとアップダウン・ボーイズで活躍。84年6月にロジャーズと組んでセントラルステーツ・タッグ王座を獲得。85年8月、全日本プロレスに初来日。9月にアイオワ州でミスター・ポーゴを破りセントラルステーツ・ヘビー級王座を獲得。86年春にAWAでショーン・マイケルズとミッドナイト・ロッカーズを結成。5月にマイケルズと組んでセントラルステーツ・タッグ王座を獲得。87年1月、セントルイスでAWA世界タッグ王座を獲得。10月にテネシー州メンフィスで南部タッグ王座を獲得。11月にも南部タッグ王座を獲得。12月にAWA世界タッグ王座を獲得。88年にロッカーズとしてマイケルズと共にWWFに進出。91年1月4日、SWSの東京ベイNKホール大会でマイケルズと組んでサムソン冬木、北原組と対戦。合体フィストドロップからジャネッティが冬木にフォール勝ち。1月8日、SWSの露橋スポーツセンター大会でマイケルズと組んで佐野、ジェフ・ジャレット組と対戦。13分37秒、マイケルズがフライング・ボディアタックでジャレットに勝利。3月30日、SWSの東京ドーム大会でマイケルズと組んでブレット・ハート、ジム・ナイドハート組と対戦。14分40秒、マイケルズのダイビングボディアタックをブレットに片エビ固めで切り返されてフォール負け。6月7日、SWSの両国国技館大会でマイケルズと組んでハーキュリーズ、ポール・ローマ組と対戦。12分44秒、マイケルズがフライングボディアタックでローマに勝利。6月10日、SWSの愛知県体育館大会でマイケルズと組んでハーキュリーズ、ポール・ローマ組と対戦。10分29秒、ローマにマイケルズが足をすくわれてハーキュリーズにフォール負け。6月11日、SWSの大阪府立体育館大会でマイケルズと組んで冬木、仲野組と対戦。12分20秒、マイケルズがフライング・エルボーバットで仲野に勝利。92年2月9日、SWSの伊勢崎市民体育館大会で佐野直喜のSWSジュニアヘビー級王座に挑戦。7分18秒、メキシコ式高角度回転エビ固めにフォール負け。2月10日、SWSの会津体育館大会で畠中と対戦。8分35秒、ロッカードロッパーで勝利。2月12日、SWSの後楽園ホール大会で折原と対戦。9分37秒、ロッカードロッパーで勝利。同年11月にマイケルズと仲間割れしてチーム解散。ショーン・マイケルズと抗争。一時、WWFを離脱。92年秋からWWFに復帰。93年5月17日にショーン・マイケルズを破りWWFインターコンチネンタル王座を獲得。6月6日にマイケルズに王座を奪還された。94年1月に123キッドと組んでWWF世界タッグ王座を獲得。その後、WCWに登場。WCWを離脱した後はインディ団体に出場。
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