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ベビー・フェース
BABY FACE


本名:ホセ・ガダールペ・フェンテス・オルチョア
1947年8月31日
メキシコ・コリマ州出身
170cm 98kg
タイトル歴:ナショナル・ライトヘビー
得意技:セントーン

70年にデビュー。UWAではペロ・アグアヨと並ぶ代表的ルードで、グラン浜田のライバル。79年2月に新日本プロレスに初来日。日本でも浜田との死闘を展開し、本場のルチャ・リブレを日本のファンに披露した。気性が非常に荒く、その荒っぽいファイト振りから現地では「メキシコの大砲」と呼ばれていた。 81年12月27日、アルフォンソ・ダンテスを破りナショナル・ライトヘビー級王座を獲得。 84年8月に全日本プロレスに登場し、ラ・フィエラフィッシュマンと共に三沢タイガーと連日のように対戦。80年代半ばにメキシコで起こった6人タッグ・ブームの際にはスコルピオ、ルイス・マリスカルとのトリオ「ロス・ティグレス・デル・リング」(リングの虎)で活躍した。引退後はメキシコシティで飲食店を経営。
(スポーツ報知 2019年10月10日12時【ヒロ斉藤40周年ヒストリー】(10)「必殺技セントーンとの出会い」より)
「ベビー・フェイスっていう選手と毎日のように試合をしていたんですが、こいつに毎回毎回、セントーンを食らっていたんです。あの技は、やられると息ができなくなるぐらい苦しいんですよ、本当に。あばら骨を折ったこともありますし、それであんまり自分がやられたんであいつに同じことしてやろうって思って見よう見まねでやり始めたんです。練習なんかしませんでした。試合でぶっつけ本番で出しました」
 ベビー・フェイスは、新日本プロレス参戦経験もあるメキシコマットのトップ選手で身長170センチ、体重98キロとヒロと同じように小柄な体を存分に使った「セントーン」が得意技だった。
「ベビー・フェイスは、体が小さかったんですけど、太っていたからセントーンをやられると痛かったんです。ジャンプして空中で体を丸めてそのまま落ちてくるんです。(エル)カネックもセントーンをやってましたけど、やり方が違うんですね。カネックは身長も180センチを超えて体重の100キロありましたから、体を丸めないでそのまま寝るような感じで背中を落としていました。自分は、カネックじゃなくてベビー・フェイスのやり方を真似てやりました。そしたらお客さんに受けたんですね。そこからやり続けていって今に至るって感じです」

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