レスラーノート

ブラソ・デ・プラタ

本名:ホセ・ルイス・アルバラド・ニーブル
1963年3月19日
メキシコ・メキシコシティ出身
171cm 135kg

通称
スペル・ポルキー
タイトル歴
CMLL世界ヘビー
CMLL世界トリオ
UWA世界トリオ
UWA世界タッグ
得意技
トペ・スイシーダ

リングネームは銀の腕という意味。左腕に銀色の手袋をつけていた。父は元レスラー、シャディト・クルスで、プラタは三男。14歳でチャリト・クロスの名で非公式にデビュー。プラネタに変身。15歳の時にはオカマスタイルで試合をしたこともあった。77年3月からメキシコに遠征してきた藤波を慕い、彼と共にトレーニングをしていた。長男オロとのコンビで活躍後、3兄弟でトリオ結成。81年8月、新日本プロレスにオロと初来日。84年7月にはルード(悪役)に転向。全日本プロレスには85年1月にオロと来日。87年には新設されたUWA世界トリオ王座を獲得した。88年10月にビシャノスに敗れて素顔になるが、愛嬌のある風貌に人気が集まった。日本でもユニバーサルで人気だった。デビューからどんどん体重が増えていき、最終的に135キロに。ポルキー(子豚ちゃん)の愛称で親しまれた。91年3月10日、ユニバーサルプロレスの後楽園ホール大会でオロと組んでUWA世界タッグ王座決定トーナメントに出場。決勝戦でグラン浜田ペロ・アグアヨ組に勝利してUWA世界タッグ王座を獲得。6月7日、ユニバーサルプロレスの後楽園ホール大会で浜田、アグアヨ組を相手にUWA世界タッグ王座の防衛戦。19分58秒、プラタのボディプレスで浜田にフォール勝ち。6月13日、後楽園ホール大会で浜田、アグアヨ組を相手に防衛戦。マスカラ・コントラ・カベジェラでの試合となった。15分51秒、浜田のジャーマンスープレックスにオロがフォール負け。オロとプラタはマスクを脱いだ。6月にリンピオ(正統派)としてEMLLに移籍。93年4月にインフェルナレスからCMLL世界トリオ王座を獲得。6月27日にブラック・マジックを破りCMLL世界ヘビー級王座を獲得。 96年7月、オロと共に東京プロレスに来日。その後、AAAに移籍してスペル・ポルキーの名で活躍。 03年5月5日にはDEEPの後楽園大会に来日して骨法の矢野卓見とバーリ・トゥードのルールで対戦。試合開始後、なかなかパンチを当てることができなかったが、全体重を乗せたネックロック。さらにパンチを叩きこんで鼻から大流血させ、思いもよらぬ大攻勢。2Rになってヒールホールドを決められ、24秒にタップして敗れた。試合後は共に健闘を称えあった。 05年9月9日、ドラゴンドアの後楽園ホール大会でブラソ・デ・オロと組んで初代タイガーマスク、グラン浜田組と対戦。10分7秒、タイガーマスクの回転エビ固めにオロがフォール負け。同年にWWEに登場。 06年にCMLLに移籍。その後、AAAに登場。 09年10月にCMLLに移籍。 10年5月29日、アレナ・メヒコでの「ドラゴマニア」でマスカラス藤波ウルティモ・ドラゴンと組んでパルンボ、アトランティス、ブカネロ、アルカンヘル組と対戦。18分46秒、マスカラスのダイビングボディアタックでアルカンヘルに勝利。12年5月12日、アレナメヒコでの「ドラゴマニア」でと組んでレイ・ブカネロ、ロコ・マックス、アルカンヘル・デ・ラ・ムエルテ組と対戦。7分7秒、プラタのボディプレスから曙がボディプレスを決めて、ブカネロとアルカンヘルを同時にフォールして勝利。11月7日、後楽園ホールでのウルティモ・ドラゴン主催の「ルチャ・フェスタ」に来日。ブラソ・デ・ボノ(曙)、ミラニートコレクションa.t.と組んでNOSAWA論外MAZADA、ベアー福田組と対戦。11分50秒、ブラソ・デ・ボノが3人まとめてのボディプレスを決め、さらにプラタがダイビングボディプレスで3人同時にフォール勝ち。サイコ・クラウンやマキシモなど、子供たちも活躍した。 21年7月26日、心臓発作のため死去。