レスラーノート

ブラソ・デ・オロ

BRAZO DE ORO

本名:へへス・アルバラード・ニエベス
1959年
メキシコ・メキシコシティ出身
170cm 98kg

タイトル歴
UWA世界トリオ
UWA世界タッグ
得意技
プランチャ

リングネームは金の腕という意味。右腕に金色の手袋をつけていた。父は元レスラー、シャディト・クルスで、オロは長男。シャディト・クルスはアレナ・デポルティボ・メヒコのプロモーターであり、エル・トレオやパラシオ・デ・ロス・デポルテスのレフリーも務めていた。77年デビュー。1年後にデビューした三男のプラタとロス・ブラソスを結成。タッグで売り出す。その後、次男のエル・ブラソと共に3兄弟でトリオ結成。81年8月、新日本プロレスにプラタと初来日。全日本プロレスには85年1月にプラタと来日。グラン浜田と対戦した。87年には新設されたUWA世界トリオ王座を獲得した。91年3月10日、ユニバーサルプロレスの後楽園ホール大会でプラタと組んでUWA世界タッグ王座決定トーナメントに出場。決勝戦でグラン浜田、ペロ・アグアヨ組に勝利してUWA世界タッグ王座を獲得。6月7日、ユニバーサルプロレスの後楽園ホール大会で浜田、アグアヨ組を相手にUWA世界タッグ王座の防衛戦。19分58秒、プラタのボディプレスで浜田にフォール勝ち。6月13日、後楽園ホール大会で浜田、アグアヨ組を相手に防衛戦。マスカラ・コントラ・カベジェラでの試合となった。15分51秒、浜田のジャーマンスープレックスにオロがフォール負け。オロとプラタはマスクを脱いだ。 96年7月、プラタと共に東京プロレスに来日。 05年9月9日、ドラゴンドアの後楽園ホール大会でブラソ・デ・プラタと組んで初代タイガーマスク、グラン浜田組と対戦。10分7秒、タイガーマスクの回転エビ固めにオロがフォール負け。11月13日、デルフィンアリーナでの新間事務所主催興行に来日し、エル・ブラソ、マルセラと組んでMAZADA、NOSAWA論外、アマポーラ組と対戦。13分46秒、MAZADAにオロが、NOSAWAにブラソが回転十字固めに同時にフォール負け。11月15日、新間事務所の久留米リサーチパーク大会でマルセラ、エル・ブラソと組んでアマポーラ、MAZADA、NOSAWA論外組と対戦。18分30秒、MAZADAにブラソが、論外にオロが鬼倉ッチにフォール負け。11月16日、新間事務所の長崎・シーハットおおむらサブアリーナ大会でエル・ブラソ、アメージング・コングと組んでNOSAWA論外、MASADA、アマポーラ組と対戦。17分8秒、コングが鬼倉プレスでアマポーラに勝利。同日、新間事務所の長崎・諫早市体育館大会でエル・ブラソ、ブラソ・デ・プラティーノと組んでグラン浜田、アジャ・コング、レベッカ・ノックス組と対戦。6分38秒、浜田のウラカンラナにプラティーノがフォール負け。11月19日、新間事務所の新宿FACE大会でエル・ブラソ、アメージング・コングと組んでNOSAWA論外、MASADA、アマポーラ組と対戦。16分28秒、コングが鬼倉プレスで3人同時にフォール勝ち。 06年10月12日、後楽園ホールでのウルティモ・ドラゴン主催興行でブラソ・デ・プラティーノ、パッション長谷川と組んでNOSAWA論外、MAZADA、竹村豪氏組と対戦。21分16秒、プラティーノのセントーン・アトミコからオロがMAZADAにフォール勝ち。10月31日、無我のZepp Sendai大会でエル・ブラソと組んで藤波正田組と対戦。10分54秒、藤波のドラゴンスリーパーにオロが敗れた。11月2日、無我の福島市国体記念体育館サブアリーナ大会でエル・ブラソと組んで正田、竹村組と対戦。12分31秒、オロがサソリ固めで正田に勝利。同大会でブラソ・デ・プラティーノ、ブラソと組んで吉江、正田、竹村組と対戦。12分4秒、プラティーノがトペ・アトミコで竹村に勝利。11月5日、無我の大阪府立体育会館・第2競技場大会でプラティーノと組んで竹村、正田組と対戦。8分21秒、竹村の腕決めエビ固めにオロがフォール負け。同大会でプラティーノ、ブラソと組んでヒロ斉藤、竹村、正田組と対戦。16分24秒、斉藤のダイビングセントーンにブラソが敗れた。 09年3月、ドラディションに来日。3月9日、小倉北体育館大会でブラソ・デ・プラティーノと組んで大原はじめ、アミーゴ鈴木組と対戦。12分6秒、プラティーノがモルタルプラティーナで鈴木に勝利。3月10日、テクスポート今治大会でプラティーノ、ウルティモ・ドラゴンと組んで梶原慧、大原はじめ、ベアー福田組と対戦。16分59秒、プラティーノがモルタルプラティーナで梶原に勝利。3月11日、佐土原中央体育館大会でプラティーノ、ウルティモ・ドラゴンと組んで大原はじめ、藤田峰雄男盛組と対戦。16分21秒、プラティーノがモルタルプラティーナで男盛に勝利。3月12日、鹿児島市民体育館大会でプラティーノ、ウルティモ・ドラゴンと組んで大原はじめ、アステカ、男盛組と対戦。12分59秒、プラティーノがモルタルプラティーナで男盛に勝利。3月14日、博多スターレーン大会でプラティーノ、ウルティモ・ドラゴンと組んで大原はじめ、アミーゴ鈴木、男盛組と対戦。13分52秒、プラティーノがモルタルプラティーナで男盛に勝利。3月20日、Zepp Tokyoでのルチャ・フィエスタ2009(ウルティモ・ドラゴンプロデュース興行)で、ブラソ・デ・プラティーノ、パッション長谷川と組んでNOSAWA、MAZADA、バラモンシュウ組と対戦。17分52秒 プラティーノのボルタルプラティノ(トペ・アトミコ)からオロが3人まとめてカバーしてフォール勝ち。息子はラ・マスカラの名で活躍。 17年4月28日、呼吸不全のため死去。