レスラーノート

冬木弘道

1960年5月11日
東京都江東区出身
181cm 110kg
通称
理不尽大王
タイトル歴
アジアタッグ
WAR世界6人タッグ
WEWシングル
得意技
地団太ラリアット
冬木スペシャル

横浜育ち。横浜商科大付属高校を卒業後、横浜駅西口の金子武雄主宰のボディビルジムで体を鍛える。79年5月に国際プロレスに入門。 80年5月4日、紋別スポーツセンターの米村勉戦でデビュー。 81年8月の国際プロレス崩壊後はマイティ井上らとともに全日本プロレスに移籍。 84年11月に海外初遠征。メキシコ、プエルトリコ、テキサス州サンアントニオで「リキ・フユキ」のリングネームで活躍。 85年12月に帰国後、サムソン冬木に改名し天龍同盟に参加。川田とのコンビ「フットルース」を結成。 88年3月9日、横浜文化体育館大会でマイティ井上石川敬士組を破りアジアタッグ王座を獲得。9月9日、千葉公園体育館大会で仲野信市、高野俊二組に敗れて王座転落。9月15日、後楽園ホール大会で川田利明と組んで仲野信市、高野俊二組を破りタッグ王座を奪回。12月16日、日本武道館大会で渕正信と対戦。15分45秒、両者リングアウト。 89年4月18日、大田区体育館大会でトム・ジンク、ダニー・クロファット組を相手にタッグ王座の防衛戦。13分17秒、川田が回転十字固めでクロファットにフォール勝ち。6月5日、日本武道館大会でダニー・クロファット、ダグ・ファーナス組を相手にタッグ王座の防衛戦。19分35秒、クロファットのタイガードライバーに川田が敗れて王座転落。9月2日、日本武道館大会で川田利明と組んでダニー・クロファット、ダグ・ファーナス組のアジアタッグ王座に挑戦。19分56秒、ファーナスのカナディアン・バックブリーカーに冬木が敗れた。10月20日、愛知県体育館大会で川田利明と組んでダニー・クロファット、ダグ・ファーナス組を破りアジアタッグ王座を獲得。 90年7月、全日本プロレスを離脱しSWSに移籍。11月10日、SWSの道場大会でアポロ菅原と対戦。10分、判定負け。11月17日、SWSの道場大会で畠中浩と対戦。1分39秒、フィッシャーマンズスープレックスで勝利。同大会で片山明と対戦。フェイスクラッシャーで勝利。12月1日、SWSの道場大会で新倉史祐と対戦。7分14秒、サムソンクラッチでフォール勝ち。12月15日、SWSの道場大会で大矢と対戦。7分10秒、裏十字固めで勝利。12月22日、SWSの道場大会で新倉と対戦。7分12秒、首固めでフォール勝ち。 91年2月22日、後楽園ホール大会で北原と対戦。11分35秒、サムソンクラッチでフォール勝ち。3月9日、函館市民体育館大会で佐野と対戦。14分14秒、DDTに敗れた。4月1日、神戸ワールド記念ホール大会で北原と対戦。10分56秒、変型エビ固めでフォール勝ち。5月23日、後楽園ホール大会で佐野と対戦。16分7秒、逆エビ固めをエビ固めに切り返されてフォール負け。6月10日、愛知県体育館大会で大矢と対戦。10分58秒、ダイビング・ヒッププレスで勝利。9月16日、福井市体育館大会でデイビーボーイ・スミスと対戦。11分49秒、オクラホマスタンピードに敗れた。 92年6月のSWS崩壊後はWARに移籍。ここでリングネームを本名に戻す。 93年8月3日、両国国技館で新日本プロレスのG1クライマックスに参戦。1回戦で飯塚と対戦し、12分10秒、バックドロップホールドで勝利。8月5日、同会場での2回戦で蝶野正洋と対戦。19分4秒、STFに敗れた。 94年4月21日、邪道外道と冬木軍を結成。理不尽大王を自称し人気爆発。6月30日、WAR世界6人タッグ王座を獲得。 95年10月29日、後楽園ホール大会で天龍と対戦。パンチをくらって動きが止まり、13分20秒、延髄斬りからのパワーボムに完敗。精彩を欠いた試合内容となった。11月28日、新潟市体育館大会で北尾と対戦。10分39秒、ラリアットに敗れた。 96年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で安生洋二と対戦。6分24秒、ラリアットで勝利。10月にWAR離脱。その後はFMWで活躍。 97年に邪道、外道と共に冬木プロモーションを設立。4月に岐阜県大垣市で冬木軍の旗揚げ戦を開催。12月22日、冬木軍の伊勢崎市民体育館大会でポーゴと対戦。ビッグファイアーを間一髪で避けたが、灯油をかけられたところで邪道、外道が乱入して大乱闘。8分27秒、ノーコンテストに終わった。 98年2月19日、冬木軍の後楽園ホール大会でハヤブサを相手にランバージャックデスマッチで対戦。16分17秒、裏拳でフォール勝ち。11月20日、横浜文化体育館大会でハヤブサを破りFMW2冠統一王座を獲得。 99年に冬木軍を解散。 00年2月、FMWの東京大会で行われたWEWタッグ選手権で女子レスラーの井上京子とタッグを組んで、雁之助組を破り、王座を獲得。9月26日、FMWの後楽園ホール大会でハヤブサと60分のアイアンマンマッチで対戦。3対3の引き分けに終わった。 01年8月11日、駒沢オリンピック公園体育館大会で“バイオモンスター”DNAと対戦。3分25秒、バイオキック(ビッグブーツ)に敗れた。10月9日、後楽園ホール大会で“バイオモンスター”DNAと対戦。3分1秒、ラリアットで勝利。10月にFMWを退団し全日本プロレスに参戦。10月27日、全日本プロレスの日本武道館大会で川田とシングルで対戦。18分5秒、ジャンピング・ハイキックからの顔面蹴りに敗れた。11月24日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦に天龍源一郎と組んで参戦。11月25日、FMWの高山マウントエース大会でリッキー・フジと対戦。10分50秒、ラリアットで勝利。5勝2敗でリーグ戦を突破。12月7日、日本武道館大会での決勝トーナメント1回戦(準決勝)で武藤敬司太陽ケア組と対戦。14分30秒、冬木のパワーボムを武藤にフランケンシュタイナーで切りかえされてフォール負け。12月21日、FMWの後楽園ホール大会で山崎直彦の引退試合の対戦相手として出場。3分25秒、ラリアットで勝利。 02年1月6日、FMWの後楽園ホール大会で金村キンタローのWEWシングル王座に挑戦。18分11秒、ラリアットで勝利。WEWシングル王座を獲得した。2月4日、FMWの後楽園ホール大会でサンドマンと組んで黒田哲広、サブゥー組を相手にWEWタッグ王座決定戦。16分54秒、冬木がラリアットで黒田に勝利。WEWタッグ王座を獲得した。2月15日、FMWが倒産。3月、新団体のWEWを設立。3月10日、3月14日、3月15日、3月24日、3月30日、3月31日、冬木軍プロモーション興行を開催。4月7日、ノアの有明コロシアム大会で三沢とシングル戦。19年ぶりとなった両者の対戦。冬木は試合の途中から椅子攻撃や場外乱闘、セコンドの金村の介入など、いつもの理不尽攻撃をしかけた。筋肉バスターで見せ場は作ったが、三沢のタイガードライバー、左右のエルボーをくらってしまう。15分43秒、最後はランニングエルボーパッドからの片エビ固めで敗れた。4月9日、冬木軍主催興行の試合後に大腸ガンのため引退を表明。友人の三沢は冬木の病状を聞き、急遽引退興行をディファ有明で開催した。4月14日、ディファ有明での冬木軍主催興行で引退試合。三沢光晴、小川良成と組んで田上明、菊地毅、井上雅央組と対戦。16分41秒、冬木がラリアットで菊地に勝利。その後、5月5日に川崎球場でWEWの旗揚げ戦を行った。WEWではプロデューサーとして活躍。 03年3月19日、ガンのため死去。5月5日の川崎球場で橋本と電流爆破マッチを行う予定だった。