通称「スーパースター・ビリー・グラハム」。鎧のような筋肉を身につけ圧倒的な怪力殺法でヒールとして活躍。69年にカナダ・カルガリーのスタンピードレスリングでデビュー。デビュー当時のリングネームはウェイン・コールマン。その後、70年にフロリダに移動。怪力ジェリー・グラハムと組み、グラハム兄弟の末弟を称し、ビリー・グラハムに改名。その後、AWAで活躍した。74年8月、コロラド州デンバーでビル・ロビンソンを破って国際プロレスのIWA世界ヘビー級王座を獲得。9月に国際プロレスに初来日。日本で防衛戦を行い、10月にマイティ井上にタイトルを奪取された。その後、75年12月にWWWFに進出。76年8月に新日本プロレスに登場した。77年4月30日、メアリーランド州ボルティモアでWWWF世界ヘビー級王者のブルーノ・サンマルチノと対戦。13分43秒、ロープに足をかけての反則のエビ固めでWWWF世界ヘビー級王座を獲得。その後、サンマルチノ、ダスティ・ローデス、ミル・マスカラスらを相手に防衛を重ねた。NWA王者ハーリー・レイスとダブルタイトルマッチを行ったこともある。78年2月には王者として新日本プロレスに来日し、8日の日本武道館大会で坂口征二に勝利してタイトルを防衛した。2月20日にボブ・バックランドのアトミックドロップに敗れてWWWF王座から転落。79年4月21日、国際プロレスの高岡市民体育館大会でIWA王者のラッシャー木村に金網デスマッチで挑戦。12分50秒、逆エビ固めに敗れた。87年にステロイドの使用により体を壊し引退。その薬害を全米に暴露しWWFと絶縁した。
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