ダークロHP / レスラーノート

ビッグ・ジョン・ノード
BIG JOHN NORD


1959年10月18日
モンタナ州ボーズマン出身
198cm 138kg
得意技:カウンター・ハイキック ニードロップ バイキング・クラッチ(キャメル・クラッチ)

モンタナ州立大学ではアマレスで活躍し全米選手権4位の実績。プロフットボールチームのニュージャージー・ジェネラルズに入団。84年にAWAでデビュー。デビュー当時はジョン・ノードを名のる。85年から86年の間、ノード・ザ・バーバリアンに改名。85年11月、新日本プロレスに初来日。87年にWCCWに登場し、ケビン・フォン・エリックと抗争。89年にユーコン・ジョンの名でAWAに再登場。91年の春、WWFに進出。WWFではバーザーカーとして活躍した。入場時には角の生えたヘルメットと剣と盾を身につけ、バイキングの格好をしていた。ファイトスタイルはブロディーのような長髪、ヒゲ、シューズで、ブロディーのようなラフファイトだったが、大きな活躍はなかった。92年1月4日、SWSの静岡産業館大会でザ・グレート・カブキと対戦。4分44秒、ゴリラプレスで勝利。1月8日、SWSの大阪府立体育会館大会で新倉史祐と対戦。4分49秒、ゴリラプレスで勝利。93年2月にWWFを離脱。94年1月に全日本プロレスに登場。ハンセンのパートナー候補として活躍が期待されたが、アピールを無駄にくり返すドタバタした試合内容で精彩を欠いた。コーナー最上段まで登るのに30秒近くかかったこともある。3月5日の武道館大会ではセミファイナルでスティーブ・ウイリアムスと対戦。無駄なアピールをくり返し、大凡戦を展開。最後はダイビングニードロップをかわされた後にバックドロップでフォール負け。試合後にレフリーを突き飛ばした勢いでよろめき、頭から場外に転落して醜態をさらした。同年春にチャンピオンカーニバルに出場したが、3勝8敗に終わった。97年から98年にかけてWCWで活躍。引退後の仕事は中古車のディーラー。時おりアルバイトで地元ミネアポリスのインディー団体に出場。

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