中学、高校では柔道で活躍。74年7月に全日本プロレスに入門。75年1月15日、鹿児島県名瀬大会での渕正信戦でデビュー。78年4月に東南アジアに短期間遠征。79年9月に石川孝志と共にプエルトリコに遠征。プエルトリコ地区認定のノースアメリカンタッグ王座を獲得した。その後、アメリカに遠征。ミツ・イシカワ(石川孝志)とコンビを組んだ後、テキサス州ダラスに転戦。ザ・グレート・カブキと組んでマスクマンのマジック・ドラゴンとして活躍。オール・アジアン・タッグ(オリエンタル・タッグ)王座を獲得した。帰国後も馬場の付き人を務め、コーチにも就任して若手レスラーを指導した。85年6月5日、小林邦昭とマスカラ・コントラ・カベジュラ(お互いの覆面と髪の毛をかけた試合)で対戦。12分18秒、回転エビ固めに敗れてマジック・ドラゴンのマスクをはがされた。87年11月28日、新婚旅行を兼ねた南アフリカ遠征に向かう途中、飛行機の墜落事故により死去。
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