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パット・オコーナー
PAT O’CONNOR


本名:パトリック・オコーナー
1927年(24年説、25年説あり)8月22日
ニュージーランド・ライティヒ出身(ウェリントン出身説やオークランド出身説あり)
183〜185p 112kg
タイトル歴:NWA世界ヘビー セントラルステーツ・タッグ NWA世界タッグ(シカゴ版) 大英帝国ヘビー(トロント版) NWAカナディアン・オープンタッグ AWA世界タッグ セントラルステーツ・ヘビー
得意技:ローリングクラッチホールド ドロップキック

「魔術師」の異名。「スカイロケット」と言われたドロップキック、「オコーナー・ロールアップ」と言われた後方回転エビ固めの名手だった。49年と50年にアマレスでヘビー級のニュージーランド王者になった。50年、イギリスの大英帝国競技会にニュージーランドのアマレス代表として参加。ヘビー級で出場し、銀メダルを獲得した。10月に渡米し、12月にデビュー。55年3月19日、イリノイ州モリーンでロイ・マクラリティと組んでNWA世界タッグ王座(シカゴ版)を獲得。その後、カナダのトロントに渡る。56年3月29日、トロントで大英帝国ヘビー級王座(トロント版)を獲得。57年5月2日、ジン・キニスキーに敗れて王座転落。5月9日、ホイッパー・ビリー・ワトソンと組んでNWAカナディアン・オープンタッグ王座を獲得。10月31日、ジン・キニスキーフリッツ・フォン・エリック組に敗れて王座転落。59年1月9日、セントルイスでディック・ハットンを破りNWA世界ヘビー級王者となる。その後、61年6月30日にシカゴでバディ・ロジャースに敗れるまで2年5ヶ月にわたって王座に君臨。62年10月と11月にセントラルステーツ・ヘビー級王座を獲得。現役を続けながら、NWA会長サム・マソニックの片腕としてセントルイス・レスリングクラブのマッチメイカーとして活躍。63年3月、日本プロレスに初来日。4月24日、大阪府立体育館大会で力道山のインター王座に挑戦。1本目は13分18秒、エビ固めにフォール負け。2本目は9分58秒、トゥーホールド(片足固め)で勝利。3本目は3分1秒、空手チョップにフォール負け。67年11月10日、イリノイ州シカゴでウィルバー・スナイダーと組んでAWA世界タッグ王座を獲得。12月2日、シカゴでミツ荒川、ドクター・モト組に敗れて王座転落。69年、セントラルステーツ・ヘビー級王座を獲得。80年6月にボブ・ブラウンと組んでNWAセントラルステーツ・タッグ王座を獲得。82年1月にサム・マソニックが引退した後、ボブ・ガイゲルハーリー・レイスバーン・ガニアと共にセントルイスの興行権を買収。引退後はカンザスシティー、セントルイスのプロモーターとして活躍した。全日本プロレスには6回来日。86年には全日本プロレスに入団した輪島をコーチするために来日した。90年8月16日にセントルイスの自宅で肝臓ガンにより死去。

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