レスラーノート

橋本真也

1965年7月3日
岐阜県土岐市出身
183cm 113〜135kg
血液型:AB型

通称
破壊王
タイトル歴
三冠ヘビー
IWGPヘビー
IWGPタッグ
得意技
DDT
垂直落下式DDT
水面蹴り(低空回転キック。トニー・ホームに連敗後、中国修行で編み出した)
袈裟斬りチョップ

通称「破壊王」。テーマ曲は「爆勝宣言」。父親と生き別れ、おばあちゃん子として育つ。梶原一騎の「空手バカ一代」に夢中になり、小1で空手道場に通う。中京商高では柔道で活躍。84年4月、新日本プロレスに入門。9月1日、東京都練馬区南部球場特設リングの後藤達俊戦でデビュー。腕十字固めに敗れた。 87年10月に海外遠征へ出発。カルガリーではハシフ・カーンの名で出場。相手をケガさせて、たびたび試合を干されていた。他にSHOGUNのリングネームでも活躍。

1989

89年4月24日、新日本プロレス初の東京ドーム大会に出場。IWGPヘビー級王座決定&闘強導夢杯トーナメントに参戦し、1回戦で長州力と対戦。3分41秒、サソリ固めにきたところをエビ固めで丸めこんでフォール勝ち。同日の準決勝でビクトル・ザンギエフと対戦。7分28秒、足4の字固めで勝利。同日の決勝でビッグバン・ベイダーと対戦。9分47秒、ラリアット2連発に敗れた。試合後に脳震盪を起こして担架で運ばれた。7月に凱旋帰国。武藤敬司蝶野正洋と共に闘魂三銃士として活躍した。8月10日、両国国技館大会でサルマン・ハシミコフと対戦。10分49秒、水車落としに敗れた。9月にはマサ斎藤と組みIWGPタッグ王座を獲得。

1990

90年7月より異種格闘技戦にも積極的に挑戦。9月14日、広島サンプラザ大会でベイダーと対戦。9分42秒、リングアウト勝ち。

1991

91年2月5日、札幌中島体育センター別館大会でトニー・ホームを相手に異種格闘技戦で対戦。3R2分4秒、KO負け。8月、第1回G1クライマックスに出場。8月7日、愛知県体育館大会でビガロと対戦。10分、DDTで勝利。8月9日、両国国技館大会で蝶野と対戦。30分時間切れの引き分け。8月10日、両国国技館大会で長州力と対戦。7分50秒、ニールキックを決めてフォール勝ち。2勝1引き分けで蝶野と並んで同点1位。8月11日、両国国技館大会で蝶野を相手に優勝戦進出決定戦。15分50秒、STFに敗れた。9月10日、大阪府立体育会館大会で越中と対戦。9分31秒、DDTで勝利。9月23日、横浜アリーナ大会でトニー・ホームを相手に異種格闘技戦で対戦。2連敗して3度目の対戦は、4R1分15秒、ニールキック、DDTからの腕ひしぎ逆十字固めで勝利した。

1992

92年1月4日、東京ドーム大会でビル・カズマイヤーと対戦。赤のパンタロンを履いて試合を行ない、8分37秒、ジャンピングDDTで勝利した。8月16日、福岡国際センター大会で蝶野正洋と組んでリック・スタイナー、スコット・スタイナー組のIWGPタッグ王座に挑戦。15分25秒、合体ブルドッギングヘッドロックをくらってリックに橋本がフォール負け。9月23日、横浜アリーナ大会でグレート・ムタのIWGPヘビー級王座とグレーテスト18クラブ王座に挑戦。14分59秒、ムーンサルトプレスに敗れた。10月8日から始まったSGタッグリーグ戦に長州力と組んで参戦し、優勝。11月22日、両国国技館大会でTNTと対戦。2分45秒、DDTで勝利。

1993

93年9月20日、愛知県体育館大会でグレート・ムタのIWGPヘビー級王座に挑戦。20分30秒、ジャンピングDDTで勝利。IWGPヘビー級王座を獲得した。

1994

94年1月4日、東京ドーム大会で蝶野正洋を相手に防衛戦。28分、ジャンピングDDTで勝利。4月4日、広島グリーンアリーナ大会で藤波を相手に防衛戦。14分55秒、グラウンドコブラにフォール負けして王座転落。5月1日、福岡ドーム大会で藤波辰爾のIWGPヘビー級王座に挑戦。6分4秒、DDTで勝利。IWGPヘビー級王座を奪回した。以後、歴代最多防衛記録V9を樹立。9月23日、横浜アリーナ大会でパワー・ウォリアーを相手に防衛戦。19分8秒、ジャングピングDDTで勝利。94年度のプロレス大賞でMVPを受賞した。

1995

95年1月4日、東京ドーム大会のメインで佐々木健介を相手に防衛戦。19分36秒、フィッシャーマンDDTで勝利。2月8日、仙台市体育館大会でスコット・ノートンと対戦。14分30秒、コーナー2段目からの雪崩式ブレーンバスターに敗れた。5月3日、福岡ドーム大会で武藤に敗れて王座転落。7月13日、札幌中島体育センター別館大会での王座決定戦で、平田と組んでスコット・ノートンマイク・イーノス組と対戦。16分46秒、橋本が垂直落下式ブレーンバスターでイーノスに勝利。IWGPタッグ王座を獲得した。10月9日、東京ドーム大会でのUWFインターとの対抗戦で中野龍雄と対戦。7分20秒、三角絞めで勝利。

1996

96年1月4日、東京ドーム大会で山崎一夫と対戦。9分18秒、垂直落下式DDTで勝利。4月29日、東京ドーム大会で高田延彦のIWGP王座に挑戦。12分53秒、垂直落下式DDTからの三角絞めで勝利。IWGPヘビー級王座を獲得した。9月11日、UWFインターの神宮球場大会で佐野友飛と対戦。11分43秒、垂直落下式DDTで勝利。9月19日、岡山県体育館大会で日米対抗スーパースターズ・トーナメントに参戦し、1回戦でマーカス・バグウェルと対戦。8分38秒、DDTで勝利。9月21日、後楽園ホール大会での2回戦でロード・スティーブン・リーガルと対戦。垂直落下式DDTをカウント2で返されたが、16分16秒、DDTで勝利。9月23日、横浜アリーナでの準決勝で越中と対戦。10分56秒、ヒップアタックに敗れた。10月13日から始まったSGタッグリーグ戦にスコット・ノートンと組んで参戦し、優勝。

1997

97年1月4日、東京ドーム大会のメインで長州を相手に防衛戦。18分4秒、垂直落下式DDTで勝利。4月12日、東京ドーム大会のメインでこの日がデビュー戦となった小川直也と対戦。9分25秒、スリーパーホールドに敗れた。5月3日、大阪ドーム大会で小川直也を相手に防衛戦。10分20秒、左ハイキックでTKO勝ち。小川は試合後に担架で運ばれた。8月31日、横浜アリーナ大会で佐々木健介を相手に防衛戦。16分54秒、ノーザンライトボムに敗れてIWGP王座から転落した。

1998

98年1月4日、東京ドーム大会でデニス“ハリケーン”レーンと異種格闘技戦(3分10R)。1R1分34秒、タックルを決めてレーンが左ヒザを負傷し、レフリーストップ勝ち。4月4日、東京ドーム大会で西村修と組んで武藤敬司、蝶野正洋組のIWGPタッグ王座に挑戦。18分23秒、蝶野の羽根折り固めに西村が敗れた。6月5日、日本武道館大会で藤波のIWGP王座に挑戦。20分38秒、裸締めに敗れた。8月には悲願のG1初優勝。8月8日、大阪ドーム大会で天龍源一郎のJ1王座に挑戦。14分12秒、パワーボムに敗れた。

1999

99年1月4日、東京ドーム大会で小川直也と対戦。セメントマッチをしかけられて戦意喪失。6分58秒、無効試合。その後、5カ月間リングを離れたが、6月に天龍を相手に復帰。8月28日、 神宮球場大会で蝶野正洋と対戦。15分45秒、腕決め原形STFにレフリーストップ負け。10月11日、東京ドーム大会で小川直也のNWA世界ヘビー級王座に挑戦。13分10秒、キックの連打をくらって戦闘不能となり、猪木に試合をストップされて敗れた。

2000

00年1月4日、東京ドームでのUFOとのタッグ対決で破壊王復活を見せつけた。4月7日、東京ドーム大会で引退をかけて小川直也と最終決戦。15分9秒、STOをくらってKO負け。新日本プロレスに辞表を提出したが、ファンの復帰嘆願運動で引退撤回を表明。10月9日、東京ドーム大会で藤波辰爾を相手に第1試合で復帰戦。14分18秒、チキンウイング・アームロックで勝利。試合後に独立を宣言。11月13日付で新日本プロレスを解雇され新団体「ZERO−ONE」を設立。12月にノア・マット初参戦。12月31日、大阪ドームでの「INOKI BOM―BA―YE」でゲーリー・グッドリッジと対戦。9分4秒、逆片エビ固めで勝利。

2001

01年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で、長州力との遺恨決着のため試合を行うがドラゴンストップ(藤波がリングに入り中止させた)で決着はつかず。3月の旗揚げ戦では永田と組んで三沢秋山組と対決。4月には新日本プロレスに参戦し、佐々木健介との一騎打ちに勝利した。9月8日、Zepp Tokyo大会で藤原喜明と対戦。9分55秒、ランニングしての左ミドルキックで勝利。10月25日、真撃の日本武道館大会のメインでジェラルド・ゴルドーと対戦。8分51秒、逆片エビ固めで勝利。12月9日から宿敵の小川直也とタッグを組み「OH砲」として活躍。12月15日、ペンシルベニア州マッキーズポートでNWA世界ヘビー級王座を獲得。

2002

02年1月6日、後楽園ホール大会でネイサン・ジョーンズを相手に防衛戦。13分17秒、延髄斬りで勝利。3月2日、両国国技館大会で田中将斗と対戦。12分32秒、垂直落下式DDTで勝利。3月9日、後楽園ホール大会でダン・スバーンを相手に防衛戦。9分32秒、ジャーマンスープレックスに敗れて王座転落。4月27日、大阪市中央体育館大会でザ・プレデターと対戦。13分45秒、チェーンによる首絞めで反則勝ち。5月2日、新日本プロレスの東京ドーム大会で小川直也と組んで天山広吉、スコット・ノートン組と対戦。12分2秒、俺ごと刈れ!(バックドロップ&STO)を決めて橋本がノートンにフォール勝ち。5月23日、後楽園ホール大会でホットスタッフ・ヘルナンデスのNWAナショナルヘビー級王座に挑戦。4分43秒、DDTで勝利。NWAの世界王座を求めていたためナショナル王座を拒否した。7月7日、両国国技館大会で小笠原和彦と異種格闘技戦。8分44秒、三角絞めでレフリーストップ勝ち。10月20日、後楽園ホール大会でケイジ・サコダと対戦。8分46秒、DDTで勝利。10月26日、大阪府立臨海スポーツセンター大会で小川直也と組んでネイサン・ジョーンズ、ジョン・ヘンデンリッチ組のタッグ王座に挑戦。10分32秒、俺ごと刈れを決めて小川がヘンデンリッチにフォール勝ち。NWAインターコンチネンタルタッグ王座を獲得した。11月17日、横浜アリーナで行われた「WRESTLE−1」でジョー・デンプシーと対戦。8分1秒、三角絞めで勝利。11月24日、北九州市小倉西日本総合展示場大会でプレデター、ジミー・スヌーカ・ジュニア組を相手にタッグ王座の防衛戦。12分21秒、俺ごと刈れを決めて小川がスヌーカ・ジュニアにフォール勝ち。11月26日、後楽園ホール大会でスティーブ・コリノと対戦。12分42秒、垂直落下式DDTで勝利。12月15日、両国国技館大会のメインでマット・ガファリ、トム・ハワード組を相手にタッグ王座の防衛戦。12分33秒、ガファリのガファリプレスに小川が敗れて王座転落。12月29日、後楽園ホール大会のメインで金村キンタローと対戦。7分50秒、ジャンピングDDTで勝利。

2003

03年1月5日、後楽園ホールでの「ZERO−ONE★U$A」のメインでハシフ・カーンに変身し、ジェイソン・アルカトラスと対戦。10分6秒、フライング・ニールキックで勝利。1月6日、後楽園ホールでの「ZERO−ONE★U$A 2nd」でSHOGUNに変身して坂田亘と組んでトム・ハワード、ロウ・キー組と対戦。18分56秒、SHOGUNが垂直落下式DDTでロウ・キーに勝利。1月19日、東京ドームで行われた「WRESTLE−1」でジョー・サンと対戦。5分34秒、逆エビ固めで勝利。2月23日、全日本プロレス日本武道館で三冠王者のグレート・ムタに挑戦。20分9秒、垂直落下式DDTで勝利し、三冠ヘビー級王座を獲得。4月12日、全日本プロレスの日本武道館大会で嵐を相手に防衛戦。17分4秒、三角絞めでレフリーストップ勝ち。4月29日、名古屋国際会議場イベントホール大会で小川直也と組んでマット・ガファリ、トム・ハワード組のタッグ王座に挑戦。14分3秒、俺ごと刈れを決めて橋本がハワードにフォール勝ち。NWAインターコンチネンタルタッグ王座を奪回した。5月5日、WEWの川崎球場大会のメインで金村キンタローとノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ。8分41秒、垂直落下式DDTで勝利。5月31日、KBSホール大会でジョン・ヘンデンリッチと対戦。10分24秒、三角絞めで勝利。6月5日、後楽園ホール大会で横井宏考と対戦。12分42秒、腹固めで勝利。6月13日、全日本プロレスの愛知県体育館大会で小島聡を相手に防衛戦。21分54秒、垂直落下式DDTで勝利。7月6日、両国国技館大会で小川直也と組んで武藤敬司、川田利明組と対戦。19分45秒、橋本がヒザ十字固めで川田にTKO勝ち。8月16日、三冠王座をケガのため返上した。11月7日、後楽園ホール大会で田中将斗と対戦。16分6秒、三角絞めでレフリーストップ勝ち。12月14日、両国国技館大会のメインで長州軍対ZERO−ONEのシングルマッチによる勝ち抜き戦に出場。最後に高岩をラリアットで下した長州と対戦。右下腿ヒラメ筋不全断裂の重傷を負っていた長州にミドルキックやDDTをたたきこみ、14分26秒、ひざ十字固めでレフリーストップ勝ちの圧勝。12月24日、後楽園ホール大会のメインで大谷晋二郎と対戦。19分54秒、右肩脱臼のためレフリーストップ負け。

2004〜

04年1月から7月まで「ハッスル」の第1回〜4回大会まで出場。ハッスル・キングとして活躍した。1月4日、ハッスルのさいたまスーパーアリーナ大会でベイダーと対戦。9分59秒、場外でのDDTでリングアウト勝ち。1月31日、ディファ有明大会(ZERO1・USAツアー最終戦)でハシフ・カーンとしてマグマ・ザ・キラウェアと対戦。7分42秒、三角絞めで勝利。2月22日、全日本プロレスの日本武道館大会で川田利明の三冠王座に挑戦。右肩を痛めつけられて、19分57秒、ストレッチプラムにTKO負け。2月29日、ZERO−ONEの両国国技館大会のメインで長州と対戦。負傷していた右肩を悪化させたが、11分8秒、ミドルキックを決めてフォール勝ち。3月19日、後楽園ホールでの冬木軍プロの冬木弘道一周忌興行のメインで黒田哲広と対戦。14分12秒、ジャンピングDDTで勝利。5月5日、冬木軍プロの川崎球場大会でマンモス佐々木と対戦。9分2秒、三角絞めで勝利。6月8日、茂原市民体育館大会で横井宏考と組んで大森隆男、越中詩郎組のNWAインターコンチネンタルタッグ王座に挑戦。18分13秒、大森のアックスボンバーに横井が敗れた。6月17日、宮城県スポーツセンター大会で藤原喜明と組んで大森、越中組のタッグ王座に挑戦。14分4秒、橋本がDDTで越中に勝利。NWAインターコンチネンタルタッグ王座を獲得した。6月28日、ハッスルの後楽園ホール大会でKATAKARIと対戦。8分24秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。7月2日、ツインメッセ静岡大会でスティーブ・コリノ、シンプソン組を相手にタッグ王座の防衛戦。15分51秒、橋本がDDTでコリノに勝利。7月9日、後楽園ホール大会で田中将斗、黒田哲広組を相手に金網マッチでの防衛戦。14分48秒、橋本が腕固めで田中に勝利。7月25日、ハッスルの横浜アリーナ大会でガマ大王と対戦。10分24秒、三角絞めで勝利。8月1日、後楽園ホール大会で長州と組んでスティーブ・コリノ、ジェイソン・ザ・レジェンド組と対戦。8分、橋本のDDTでコリノにフォール勝ち。試合後に右肩手術のため長期欠場を表明。8月15日、後楽園ホール大会で佐藤耕平、横井宏考組を相手にタッグ王座の防衛戦。15分14秒、橋本が三角絞めで横井に勝利。8月31日、岩手県営体育館大会で大谷、大森組を相手に防衛戦。16分30秒、大谷のキングコブラホールドに藤原がレフリーストップ負けして王座転落。この試合を最後に右肩手術のため長期欠場。右肩関節不安定症、全右肩腱板断裂(完全断裂)と診断され、5キロの荷物を持っただけでも脱臼するほどの重傷だった。11月25日、右肩の負傷によるレスラーとしての限界と会社の経営不振を理由にZERO−ONEは活動停止。 05年7月11日、脳幹出血のため死去。



スクラップブック
ライガーが明かす橋本真也さん破天荒秘話「生きていたらいろんなアイデアを出していたと思う」
(2022年7月11日6:15配信 東スポWebより)
橋本選手といえばやっぱりIWGPヘビー級王者で、団体を支えている人間というイメージが一番強いよね。ベルトとハチマキを巻いてコーナーに立ってるイメージ。新日本の強さの象徴だった。その人間とシングルで試合ができたことは、僕は誇りに思ってますし、真正面から来て僕を潰してくれた・・・やっぱり橋本真也だよね。
 あの姿がバトルライガーと言われたけど、僕の奥の奥の奥の手だから。いらないものを省いて、身軽になって、真正面からぶつかっていかなきゃダメでしょって。姑息(こそく)なことはしたくなかったしね。
 プライベート?あ、プライベートは最低(キッパリ)。道場にあったスーパー・ストロング・マシンのプロテクターみたいなのを着けて多摩川の土手に行って、暴走族を警備するって・・・やめろ、危ねえんだから(笑い)。デタラメなんだから、本当。
 高枝切りバサミ買ってきては、刃の部分にゴムを当てて一生懸命作ってんだよ。「ゴム当てたら枝切れないやん」って言ったら、「枝を切るんじゃなくてマムシを取りに行くんだ」って。それでマムシ酒を造るって・・・賢いんだか、バカなんだか分からないよ。そういうかわいらしい一面があるから人が集まるんだよ。普通そんなバカなことばっかりやってたら離れていくはずなのに、離れていかない。みんなが「次の橋本、なにやるんだろう」って。ある意味で(アントニオ)猪木さんみたいなところもあるんだよね。得な性格だよ〜。