フロリダでの高校時代からアマレスをはじめる。187ポンド級でフロリダ王者となった。ボディビルでも活躍し、ミスターUSA、ミスターフロリダ、ミスターマイアミに輝く。レスラーのタイリー・プライドのスカウトを受けて、マレンコ道場でグレート・マレンコ、ディーン・マレンコ、ジョー・マレンコのコーチを8ヶ月間受ける。カール・ゴッチの指導も受けていた。86年にフロリダのウェスト・パームビーチのインディ団体でデビュー。ウルフマン・ジャックと対戦し、フライング・ボディアタックで勝利した。88年6月、ゴッチの娘婿のミスター空中からオファーを受け、第2次UWFに初来日。6月11日の札幌中島体育センター大会での来日第1戦で山崎一夫と対戦。15分30秒、脇固めで敗れたが、健闘を見せた。8月13日の有明コロシアム大会で安生洋二と対戦し、18分46秒 腕ひしぎ逆十字固めで勝利した。9月24日、博多スターレーン大会で高田延彦と対戦。6分47秒、ヒールホールドに敗れた。その後もUWFで活躍。UWFのスタイルに適応し「黒い藤原」と呼ばれた。91年にはフロリダからメキシコに活動の場を移し「ブラック・マジック」と改名。ルードとして活躍した。92年11月20日にはラヨ・デ・ハリスコ・ジュニアを破り、CMLL世界ヘビー級王座を獲得した。95年から96年にかけてECWなどのアメリカのインディ団体にも参戦。97年にWCWに登場。ハードコア王座を2回獲得した。WCW崩壊後はNWA−TNAなどのアメリカのインディ団体を転戦。08年7月、WWEの2軍団体FCWのトレーナーになる。
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