ダークロHP / レスラーノート

ニック・ボックウィンクル
NICK BOCKWINKEL


1934年12月6日
ミズーリ州セントルイス出身
188p 120kg
タイトル歴:AWA世界ヘビー AWA世界タッグ NWAジョージア・ヘビー 太平洋岸ヘビー パシフィック・ノースウェスト・タッグ NWA世界タッグ(テキサス版) WWAインターナショナル・テレビジョン・タッグ NWAハワイ・タッグ AWA南部ヘビー フロリダ・タッグ NWA世界タッグ(サンフランシスコ版) NWAハワイ・ヘビー USヘビー(ハワイ版)
得意技:フィギュア4レッグロック

AWAの最盛期に王者として君臨した名レスラー。父のウォーレン・ボックウィンクルのコーチを受け、50年、16歳でルー・テーズを相手に破格のデビューを飾る。インディアナの全寮制の高校を卒業後、フットボール奨学金をもらってオクラホマ大学に進学。2年後にカリフォルニアのUCLAに転学。50年代後半に陸軍に徴兵されてサンディエゴの駐屯地に配属された。その後はフルタイムのレスラーに転向。長くハワイとカリフォルニアを主戦場にする。58年4月、カリフォルニア州でディック・ウォーレンの名でラモン・トーレスと組んでNWA世界タッグ王座(サンフランシスコ版)を獲得。60年12月にカリフォルニア州ロングビーチでロード・ブレアースと組んでWWAインターナショナル・テレビジョン・タッグ王座を獲得。61年1月にもロサンゼルスで同王座をエドワード・カーペンティアと共に獲得している。62年にハワイでUSヘビー級王座(ハワイ版)を獲得。64年3月にニック・コザックと組んでパシフィック・ノースウェスト・タッグ王座を獲得。7月、日本プロレスに初来日。11月にハワイ・ホノルルでNWAハワイ・ヘビー級王座を獲得。68年4月、リッキー・ロメロと組んでNWA世界タッグ王座(テキサス版)を獲得。69年3月、ホノルルでボビー・シェーンと組んでリッパー・コリンズルーク・グラハム組を破りNWAハワイ・タッグ王座を獲得。70年4月にアトランタでNWAジョージア・ヘビー級王座を獲得。7月17日にポール・デマルコに敗れて王座を失うが、24日に奪回。9月5日にバディ・コルトに敗れて王座を失った。9月の日本プロレス「第1回NWAタッグリーグ戦」ではジョニー・クインとのコンビで出場し、決勝進出。11月5日の猪木星野組との3本勝負の決勝戦では、両チーム1本ずつ取りあっての60分時間切れの引き分け。延長戦の12分9秒、猪木の卍固めにニックが敗れた。何度も挑戦したが、結局はNWA世界ヘビー級王座を一度も獲得することなく、同年にAWAに移籍。72年1月、レイ・スチーブンスとのコンビでAWA世界タッグ王座を獲得。7月20日にフロリダ州でレイ・スチーブンスと組んでヒロ・マツダ、ティム・ウッズ組を破りフロリダ・タッグ王座を獲得。75年11月8日にはボビー・ヒーナンをマネージャーにつけバーン・ガニアを破って念願のシングル世界王者を獲得し、4年8ヵ月に渡って王座を守った。以後、AWA世界王座を通算4回獲得し、のべ7年半に渡り防衛した。AWA王者時代には反則防衛(反則負けだと規定により王座移動がなかった)が多く「ダーティチャンプ」と呼ばれた。国際プロレスにAWAのシングル、タッグ王者時代にそれぞれ来日した。全日本プロレスには78年11月に初登場。全日本プロレスに通算7回来日。日本でも常に職人芸のような技術を披露し、80年12月のビル・ロビンソンとの30分時間切れ引き分けの試合は名勝負とされている。79年2月14日、ハワイ・ホノルルでジャンボ鶴田を相手にAWA王座の防衛戦。1本目は31分28秒、足4の字固めで勝利。2本目は17分52秒、コブラツイストに敗れた。勝負をかけた3本目は4分55秒、コブラツイストを決められたが、レフリーを暴行したため反則負け。規定により王座防衛に成功した。3月25日にカナダ・トロントでWWF王者のボブ・バックランドと統一戦で対戦し、引き分け。80年7月18日、シカゴでガニアに敗れて王座転落。81年5月に王者のまま引退したガニアの指名により、ニックが第30代AWA王者に返り咲いた。82年8月にセントポールでオットー・ワンツに破れたが、同年10月9日にシカゴで奪回。10月11日にはテネシー州メンフィスでジェリー・ローラーを破りAWA南部ヘビー級王座を獲得し、11月8日にジェリー・ローラーに敗れて王座転落。AWA世界ヘビー級王座には、84年2月23日に東京・蔵前国技館でジャンボ鶴田に敗れるまで君臨した。86年6月28日、タイトルマッチを欠席したスタン・ハンセンの代わりとしてAWA世界ヘビー級王座に指名される。87年5月2日にカート・へニングに敗れて王座転落。同年にWWFにコメンテイターとして引き抜かれAWAを離脱。92年5月8日、UWFインターナショナルの横浜アリーナ大会でビル・ロビンソンを相手にエキシビションマッチで対戦。10分時間切れの引き分けに終わった。94年にWCWのコミッショナー役として活躍した。06年1月にゼロワンMAXのAWA世界王座戦となる、大谷スティーブ・コリノ戦の立会人として来日。「AWAのベルトを勇敢な2選手が争ってくれて光栄」と両者を称えた。15年11月14日、死去。

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