レスラーノート

新倉史祐

1957年8月23日
神奈川県横浜市出身
186cm 108kg

タイトル歴
インターナショナルタッグ(カルガリー版)
得意技
ジャーマンスープレックス
カンガルーキック

高校時代は野球で活躍。卒業後にボディビルで身体を鍛え、80年に新日本プロレスに入門。81年1月10日、後楽園ホールの斎藤弘幸戦でデビュー。前座で活躍するが長州力のジャパンプロ旗揚げに参加し全日本プロレスのリングに上がる。86年には後輩の馳浩とともにプエルトリコに遠征。カナダではマスクをかぶってのベトコン・エクスプレスで活躍。新倉がベトコン・エクスプレス1号、馳が2号だった。10月3日、カルガリーで2号と組んでインターナショナル・タッグ王座を獲得。その後、体調を壊して現役を退いていたが、パイオニア戦志で復帰。

1990

90年にSWSにフリー参戦。10月19日、SWSの横浜アリーナ大会でジェフ・ウイラーと対戦。8分44秒、三角絞めで勝利。11月22日、浜松アリーナ大会で大矢と対戦。11分24秒、変型キャメルクラッチで勝利。12月1日、SWSの道場大会で冬木と対戦。7分14秒、サムソンクラッチにフォール負け。12月6日、姫路市厚生会館大会でジュニアヘビー級トーナメントに参戦し、1回戦で仲野信市と対戦。10分26秒、首固めにフォール負け。12月15日、SWSの道場大会で片山明と対戦。6分32秒、地獄固めで勝利。12月22日、SWSの道場大会で冬木と対戦。7分12秒、首固めにフォール負け。

1991

91年2月5日、熊本市体育館大会でドン荒川と対戦。5分50秒、首固めでフォール勝ち。2月22日、後楽園ホール大会で高野俊二と対戦。6分24秒、トップロープからのダブルニードロップに敗れた。4月1日、神戸ワールド記念ホール大会で藤原喜明と対戦。9分42秒、足絡み腕固めに敗れた。4月23日、上越リージョンプラザ大会で船木誠勝と対戦。7分56秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。5月22日、草加市スポーツ健康都市記念体育館大会でロチェスター・ロードブロックと対戦。7分27秒、アトミックドロップに敗れた。5月23日、後楽園ホール大会でアポロ菅原と対戦。9分29秒、首固めにフォール負け。7月8日、八戸市体育館大会でアポロ菅原と対戦。11分53秒、首固めでフォール勝ち。9月17日、富山市体育館大会でグレッグ・バレンタインと対戦。8分57秒、エルボードロップに敗れた。

1992

92年1月4日、静岡産業館大会で片山と対戦。11分36秒、パワーボムで勝利。1月8日、大阪府立体育会館大会でバーザーカーと対戦。4分49秒、ゴリラプレスに敗れた。3月16日、秋田県立体育館大会で石川敬士と対戦。7分52秒、サソリ固めに敗れた。SWS解散後にNOWの旗揚げに参加したが、しばらくして首を故障。

1993〜

93年3月15日に後楽園ホール大会で川畑を相手に引退試合。逆さ押さえ込みに敗れた。00年4月21日、小林邦昭の引退セレモニーに来賓として参加。01年10月7日、仲野信市の引退セレモニーに出席して花束を贈呈。03年、日本橋で創作系の割烹居酒屋を開店。04年9月、東京都渋谷区に居酒屋ダイニング「巨門星(こもんせい)」を開店。
スクラップブック
35歳で現役引退した元プロレスラー コロナ禍にもめげない実業家の現在地
(2021年1月25日20:00配信 ENCOUNTより)
 新倉史祐。1980年に新日本プロレスに入門し、ジャパンプロレス、全日本プロレス、SWSなどで活躍したプロレスラー。ヤングライオン時代に初代タイガーマスク(佐山聡)の練習相手を務め、全日マットで二代目タイガーマスク(三沢光晴)や川田利明と好ファイトを展開した。93年に35歳で引退している。
 日本に滞在した「プロレスの神様」故カール・ゴッチさんに3週間、密着したこともある。「毎日、ほぼ丸一日、運転手も兼ねて一緒にいたね。いろいろとお話を聞かせてもらった。俺の得意技カンガルーキック、実はゴッチさんの直伝だよ」と懐かしむ顔は、本当に楽しそうだ。
 35歳の引退には、マット界のあちこちから惜しむ声が上がったものだ。新倉氏も「坂口(征二)さんや天龍(源一郎)さんから、声をかけてもらったんだ」と振り返る。
 若くして第二の人生に舵を切ったのは実業家としての夢を実現するためだった。東京・渋谷に居酒屋ダイニング「巨門星(こもんせい)」をオープンした。ベトコンエキスプレスとしてコンビを組み、プエルトリコなど海外マットでともに暴れた馳浩(現・衆院議員)はじめ、多くのレスラーらが常連の人気店だったが、2015年に閉店している。
 19年には神奈川・横浜市の太田町にクラブ「巨門星」を開店させた。ところが、ママさんの家族に不幸があり、新型コロナウイルス禍も重なって20年3月に撤退した。「今は、知人の仕事を手伝っている。力仕事は任せとけ、だよね」と笑うが、志半ばだったクラブ経営復活の準備も着々と進めている。
 ターゲットは銀座。コロナ禍が終息したら、すぐにでもスタートできるように店舗選び、従業員候補などとの交渉を始めている。新倉氏は誰とでもうまく付き合える、人付き合いの天才と評判。「知り合いが多いんだよ」と多彩な人脈を持っている。プロレス界一の信用度を誇る坂口征二氏に「代々の付き人の中で、お前が一番、信用できた」と、太鼓判を押された人柄は変わらない。

ヤングライオン時代は財産「貴重な出会いもたくさんあった」

 現在のプロレスは「アクロバットのようですごい。自分たちとは違うプロレスだよね」ととらえている。35歳で引退したことは、ちょっとばかり後悔している。「集中的にトレーニングすれば、体は少しは戻るかも知れない」と自信ありげ。ただし、たとえエキシビションでも復帰する気はない。「もう63歳だよ」と苦笑い。
「寝て、食って、練習すれば良かった、新日本道場のヤングライオン時代が何よりもの財産。練習は厳しかったけど、本当に楽しかったし、一般のサラリーマンではありえない貴重な出会いもたくさんあった」と、プロレスラーとしての13年間を肥やしにして、今の自分があるという。
 もちろん代償も大きい。「首、腰、膝、肘・・・全身痛いよ。親指も痛い。若い時はこれくらい大丈夫だ、と甘く考えていたし、鍛えているから平気だ、とタカをくくっていたけど、年取るとあちこち出てくるよね」と体のメンテナンスは欠かせない。
 今の若い選手に「けがや不調を軽く考えないで、その時その時しっかりケアした方が良い」とアドバイス。経験者は語る。実際に経験した人の言葉は貴重だ。
 プロレス界とはOBが集まる親睦会に顔を出している。いろいろな人と連絡はいつでも取れるという。あの人とはダメ、あの人とは会いたくないなどNGの多い世界だが、新倉氏には壁はないようだ。
 プロレスラーそして実業家として活躍してきた新倉氏の話は貴重なエピソードばかり。新倉塾。ぜひとも考えてほしい。