ダークロHP / レスラーノート

ドン・レオ・ジョナサン
DON LEO JONATHAN


本名:ドン・ヒートン
1932年4月29日
ユタ州ソルトレイクシティ出身
196p 140kg
タイトル歴:テキサスヘビー オマハ版AWA CWA世界ヘビー
得意技:ハイジャックバックブリーカー(背中に担いだ相手を豪快にスピンさせる)

「人間台風」と呼ばれた大型レスラー。「モルモンの殺人者」と呼ばれたブラザー・ジョナサンの息子に生まれ、少年時代から父の指導でレスリングの手ほどきを受ける。49年(50年説あり)にプロレス入り。58年に日本プロレスに初来日。10月2日、蔵前国技館大会で力道山のインターヘビー級王座に挑戦。1本目は39分49秒、ドロップキックをかわされたジョナサンがロープに股間を強打しダウン。そのまま力道山が体固めで勝利。2本目は時間切れ引き分け。10月31日、東京都体育館大会で再戦。1本目は力道山に投げられたジョナサンがコーナーの鉄柱に頭部を強打。そのまま場外に転落し21分34秒、リングアウト負け。2本目は負傷したジョナサンが試合放棄となった。61年2月にドクターX(B・ミラー)を破りオマハ版AWA王者になる。3月にドクターXに奪回されるが4月に返り咲き。9月にバーン・ガニアに敗れて転落。63年にカリフォルニア地区で馬場とタッグを組む。70年、日本プロレスでのワールドリーグ戦に出場し決勝で馬場に敗れる。日本プロレスでは通算3度来日し、その後国際プロレスを経て、73年に全日本プロレスに登場。全日本プロレスには通算4回来日した。77年9月1日、南アフリカのヨハネスブルグでCWA世界ヘビー級王座を獲得。80年に引退。ハイジャックバックブリーカーで対戦相手を次々と失神させ、猛威を振るった。隠れた実力者として知られ、最強のレスラーに挙げられることも多い。現役時代から地元のバンクーバーでダイビングの会社を経営していた。カメラが好きで日本滞在中にもいろいろな場所で撮影していた。18年10月13日、カナダ・ラングリーの病院で死去。

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