レスラーノート

アントン・ヘーシンク

ANTONE GEESINK
1934年4月6日
オランダ・ユトレヒト出身
198p 140kg

13歳から柔道を始め、49年にオランダチャンピオンとなる。61年、パリでの柔道世界選手権で無差別級に出場し、優勝。64年の東京オリンピックに出場。決勝で神永昭夫と対戦し、9分22秒、袈裟固めで一本勝ち。金メダルを獲得した。65年、リオデジャネイロでの柔道世界選手権で80kg超級に出場し、優勝。73年9月に全日本プロレスに入団。ファンクスの指導のもと、73年10月20日、テキサス州アマリロのTVスタジオにおけるM・フォーリー戦でデビュー。11月24日、蔵前大会で馬場と組んでサンマルチノC・ハリケーン組と凱旋試合。アルゼンチン・バックブリーカーを披露した。以後、全日本プロレス創生期の日本側レスラーとして活躍した。74年6月13日、G・モンスーンと柔道ジャケットマッチを初敢行。 78年2月5日、後楽園ホール大会でジャンボ鶴田のUN王座に挑戦。17分5秒に反則負けに終わった。この試合を最後に全日本プロレスを退団。 オランダに帰国。国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任。97年10月、国際柔道連盟から十段位を授与された。08年の北京オリンピックでは、女子柔道の表彰式でメダルのプレゼンターとして登場。10年8月27日、オランダ・ユトレヒトの病院で死去。