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テンタ
TENTA


本名:ジョン・テンタ
1963年6月22日
カナダ・ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー出身
196cm 158kg
タイトル歴:UWAカナディアンヘビー WWF世界タッグ
得意技:ヒップドロップ

ルイジアナ州立大学時代はアマレスの強豪。83年のロスでのジュニアワールドチャンピオンシップの決勝ではゲーリー・オブライトと対戦して勝利。オブライトとのアマレスの通算戦績はテンタの2勝1敗。85年10月大学を中退し大相撲入り。琴天山の四股名で活躍。序の口、序二段、三段目と無敗の快進撃。史上3人目の3場所連続優勝となった。幕下43枚目まで進むが場所前に突如失踪し廃業。大いに話題となった。相撲社会についていけなかったのが理由。失踪騒ぎの後、新日本と全日本を訪問。前代未聞の両団体の公開争奪戦となる。86年7月に全日本プロレスに入団。デビュー前のトレーニングで180キロから160キロに減量。5月1日、後楽園ホール大会でデビュー。馬場と組んでラッシャー木村鶴見五郎組と対戦。きれいなフロントスープレックスを見せるなど、そつのない試合運びを見せた。終盤で鶴見をカナディアンバックブリーカーで持ち上げていたが、試合は場外で馬場と乱闘していたラッシャー木村のリングアウト負けに終わった。その後、バンクーバー地区のUWAマットに出場。UWAカナディアンヘビー級王座を獲得。10月に全日本プロレスに登場。87年にカブキと組んで世界最強タッグ決定リーグ戦に出場。87年度のプロレス大賞で新人賞を受賞した。88年に高野俊二と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦に出場。89年秋にWWFに入りアースクエイクを名乗る。ホーガンと抗争。91年3月、当時WWFと提携していたSWSに来日。北尾との対戦が有名。2連戦の第1試合で北尾は技のミスを連発しテンタが勝利。2日後の第2戦、北尾はスポット破りの脇固め、膝を狙う蹴り、喉輪などで威嚇し、目潰しのポーズまで見せた。テンタは全くひるまなかったので、北尾はレフリーに暴行。反則負けの裁定の後、北尾は「八百長野郎!」と場外のマイクで叫んだ。プロレスに対して「八百長」発言はタブーだったため、北尾はSWSを解雇された。92年7月、タイフーンと組みWWFタッグ王座を獲得。93年にWWF離脱。94年にWCWに入りシャークと名乗る。日本ではWAR、新日本、Uインターにも来日。98年5月にWWFに復帰。覆面レスラーのゴルガを名乗る。99年5月に離脱。その後は欧州などを転戦。01年4月1日、WWFのレッスルマニアでのギミックバトルロイヤルに出場。01年にイギリスに遠征したが、契約時の報酬を払ってもらえず、レスラー業を嫌になり引退を決意。トラックを買って運送業を営む。02年の全日本プロレスの最強タッグ決定リーグ戦に天龍のパートナーとして参戦。ブランクのせいか、場外に落とされたまま上がってこれずにリングアウト負けになった試合もあった。デビュー戦のシューズ、コスチュームをプレゼントしてくれたのは天龍であり、これで来日が最後だとしても悔いはないとのこと。03年2月8日、後楽園ホール大会のメインで小島聡のMLW世界ヘビー級王座に挑戦。9分19秒、ラリアットに敗れた。3月22日、全日本プロレス後楽園ホール大会でのチャンピオンカーニバル1回戦でザ・グラジエーターと対戦し、13分40秒、ランニングボディプレスで勝利。3月25日、岩手県営体育館大会での2回戦で武藤敬司と対戦し、12分21秒、シャイニング・ウィザードに敗れた。06年6月7日、フロリダで膀胱ガンのため死去。

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