レスラーノート

安生洋二

1967年3月28日
東京都杉並区出身
180cm 100kg 血液型:A型

通称
ミスター200%
タイトル歴
TWA世界タッグ
WAR認定6人タッグ
世界タッグ
得意技
変型足4の字固め
グーパンチ

幼少時代にニュージーランドで暮らす。そのため英語が堪能。藤原喜明の所へ押しかけて強引に旧UWFに入門。 85年7月8日、広島県立体育館大会での星名治戦でデビュー。出場予定だった神田秀宣が怪我で欠場したため代役として急遽決まった試合だった。10分49秒、羽折り式腕固めに敗れた。 88年には新生UWF設立に参加。UWF分裂後はUWFインターナショナルに参加。 94年に前田日明を挑発し、「200%勝てる!」と大口を叩いた。12月7日にロサンゼルスのグレイシー柔術の道場に殴りこみ、ヒクソン・グレイシーに顔面を殴られぼこぼこにされた。

1995

95年10月9日、新日本プロレスの東京ドーム大会で長州力と対戦。安生に対し東京ドーム6万7千人の観客から大ブーイング。キックなどでかく乱するが長州のナックルパートの連打で劣勢に。ミドルキックをキャッチされて、かつぎ上げられて前に落とされる。サソリ固めの体勢に入るところを膝十字固めで返すが、余裕でロープブレイクされる。直後にバックドロップを受け、リキラリアットで勝負あり。最後は4分45秒、完璧に決まったサソリ固めに敗れた。10月28日、UWFインターの国立代々木競技場第1体育館大会で蝶野正洋と対戦。ゴング前にハイキックでダウンさせ、8分17秒、変型足4の字固めで勝利。10月29日、新日本プロレスのマリンメッセ福岡大会のメインで佐々木健介と対戦、ラリアット、ノーザンライト・ボムから9分14秒、ストラングルホールドγに敗れた。その後は高山善廣、山本健一と「ゴールデン・カップス」を結成し活躍。

1996

96年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で冬木弘道と対戦。6分24秒、ラリアットに敗れた。8月17日、神宮球場大会のメインで高田延彦と対戦。11分26秒、左ハイキックをくらってKO負け。8月25日、東京プロレスのパシフィコ横浜大会で初代タイガーマスクと組んでアブドーラ・ザ・ブッチャー、大黒坊弁慶組のタッグ王座に挑戦。17分23秒、安生がワキ固めで弁慶に勝利。TWA世界タッグ王座を獲得した。9月11日、神宮球場大会でデイビッド・ベネトゥーと対戦。2分48秒、アキレス腱固めで勝利。10月8日、東京プロレスの大阪府立体育館大会で社長の座をかけて石川敬士と対戦。7分59秒、フィッシャーマンズ・スープレックスで勝利し「社長」に就任。11月17日、有明コロシアムでの金網総合格闘技イベント「U−JAPAN」でジアン・アルバレスと対戦。金網際でのこう着状態が長く続き、34分27秒、マウントパンチにギブアップ負け。12月7日、東京プロレスの両国国技館大会のメインで奥村茂雄と組んでターザン後藤、雁之助組と対戦。17分13秒、後藤のゴーストバスターで奥村がフォール負け。試合後にリング上で東京プロレス社長辞任を表明。この大会で東京プロレスは崩壊した。

1997

97年12月21日、横浜アリーナでの金網総合格闘技大会「アルティメット・ファイティング・チャンピオンシップ・イン・ジャパン」のトーナメントに出場。1回戦でタンク・アボットと対戦。相手のパワーに圧倒されて終始劣勢。12分時間切れの後、3分の延長戦でも決着がつかず3対0で判定負け。

1999

99年11月14日、UFC−Jの会場で前田に暴行を働き全治2週間のケガを負わせた。傷害罪で起訴され罰金を払った。Uインター崩壊後、キングダムを設立。キングダム崩壊後に全日本プロレスに参戦。

2001

01年7月14日、全日本プロレスの日本武道館大会で天龍源一郎と組んで太陽ケアジョニー・スミス組の世界タッグ王座に挑戦。22分58秒、安生がスパインバスターでスミスに勝利。世界タッグ王座を獲得した。8月26日、全日本プロレスの後楽園ホール大会で川田利明と対戦。11分57秒、顔面蹴りに敗れた。8月30日、真撃の日本武道館大会で高岩竜一と対戦。11分3秒、右ストレートでレフリーストップ勝ち。9月4日、武藤敬司、太陽ケア組を相手に防衛戦。20分15秒、太陽ケアへの天龍のノーザンライトボムで勝利。9月8日、全日本プロレスの日本武道館大会で武藤、ケア組を相手にタッグ王座の防衛戦。20分15秒、天龍がノーザンライトボムでケアに勝利。9月15日、ZERO1のディファ有明大会で崔りょうじと対戦。7分19秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。10月7日、全日本プロレスの後楽園ホール大会で田中将斗と対戦。16分32秒、グランドクロス200で勝利。10月8日、全日本プロレスの後楽園ホール大会で、天龍とアジアタッグ王者の北原と組んで、川田荒谷組、スミス、ハインズ組を相手に8人タッグマッチで両タッグ王座の防衛戦。15分30秒、安生が顔面ニーリフトで荒谷に勝利。10月22日、全日本プロレスの新潟市体育館大会で武藤、太陽ケア組を相手に防衛戦。19分51秒、ケアのハワイアンクラッシャーに安生が敗れて王座転落。10月27日、日本武道館大会でブッチャーと対戦。7分27秒、凶器パンチで勝利。11月24日から始まった世界最強タッグ決定リーグ戦にジョニー・スミスと組んで参戦。1勝5敗1引き分けでリーグ戦を終えた。プロレス業の他にも芸能事務所「有限会社アネットプロダクション」の社長を務めた。

2002

02年3月23日から始まった全日本プロレスのチャンピオンカーニバルに参戦。3月24日、後楽園ホール大会でマイク・バートンと対戦。19分49秒、パワーボムに敗れた。3月27日、岡山・卸センターオレンジホール大会でジム・スティールと対戦。14分7秒、ターボドロップ2に敗れた。3月28日、呉市体育館大会で長井満也と対戦。30分時間切れ引き分け。4月3日、気仙沼市総合体育館大会で嵐と対戦。9分45秒、グランドクロス200で勝利。4月4日、八戸市体育館大会で小島聡と対戦。18分25秒、ラリアットに敗れた。4月8日、釧路市鳥取ドーム大会でザ・セッドマンと対戦。7分39秒、グランドクロス200で勝利。リーグ戦は2勝3敗1引き分け(1不戦勝含む)に終わった。11月23日から始まった全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦に長井満也と組んで参戦。12月1日、後楽園ホール大会で保坂秀樹と対戦。8分35秒、アッパー200で勝利。12月4日から長井が頚椎捻挫により長期欠場。その後のリーグ戦の2試合は不戦敗。1勝4敗2引き分けに終わった。

2003

03年3月1日、横浜アリーナで行われたWJプロレスの旗揚げ戦で谷津嘉章と対戦。11分24秒、首決め監獄固めに敗れた。以後、WJプロレスに参戦。3月15日、後楽園ホール大会で石井智宏と対戦。8分8秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。3月16日、宮城県スポーツセンター大会で大森隆男と対戦。10分1秒、アックスボンバーに敗れた。3月18日、太田市民体育館大会で宇和野貴史と対戦。8分20秒、エルボースマッシュで勝利。3月19日、草加市スポーツ健康都市記念体育館大会で高智政光と対戦。8分38秒、裏拳で勝利。3月20日、流山市総合体育館大会で鈴木健想と対戦。7分8秒、葉隠れに敗れた。3月22日から始まった全日本プロレスのチャンピオンカーニバルに参戦し、1回戦でギガンテスと対戦。9分18秒、チョークスラムに敗れた。4月29日、米子産業体育館大会で佐々木健介と対戦。12分20秒、ノーザンライトボムに敗れた。4月30日、岡山武道館大会で矢口壹琅と対戦。12分13秒、アッパー200で勝利。5月2日、愛知県武道館大会でレックス・メイヤーと対戦。12分1秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。5月4日、神戸ワールド記念ホール大会で宇和野貴史と対戦。14分6秒、エルボースマッシュで勝利。5月5日、周南市総合スポーツセンター大会でダン・ボビッシュと対戦。5分33秒、アルゼンチン・バックブリーカーに敗れた。5月22日、後楽園ホール大会で大森隆男と対戦。4分13秒、アックスギロチンドライバーに敗れた。8月1日、熊谷市民体育館大会で佐々木健介と対戦。10分15秒、ストラングルホールドγに敗れた。8月3日、駒沢オリンピック公園体育館大会で長州力と対戦。5分16秒、ラリアットに敗れた。8月21日、大阪府立体育会館大会で矢口壹琅と組んでWMGタッグ王者決定トーナメントに準決勝から参戦し、越中詩郎、新崎人生組と対戦。12分32秒、越中のコーナーからのヒップアタックに矢口が敗れた。8月25日、西海町スポーツガーデン大会で越中詩郎と対戦。9分23秒、パワーボムに敗れた。8月26日、東広島運動公園体育館サブアリーナ大会でレックス・メイヤーと対戦。14分6秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。8月30日、柳井市体育館大会でレックス・メイヤーと対戦。11分35秒、フィッシャーマンバスターで勝利。9月9日、酒田市営体育館大会で松崎駿馬と対戦。10分7秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。9月23日、キラメッセぬまづ大会で木村浩一郎と対戦。13分、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。9月25日、富山産業展示会館テクノホール大会でホセ・マキシモと対戦。11分57秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。9月28日、三重県営サンアリーナサブアリーナ大会でレックス・メイヤーと対戦。12分4秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。9月30日、長野運動公園総合体育館サブアリーナ大会で石井智宏と対戦。13分12秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。10月20日、秋田市立体育館サブアリーナ大会で松崎駿馬と対戦。11分9秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。10月25日、白河市国体記念体育館大会でジョエル・マキシモと対戦。8分56秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。11月2日、ツインメッセ静岡大会で石井智宏と対戦。12分13秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。11月4日、古川町農業者トレーニングセンター大会で天龍源一郎と対戦。8分58秒、ラリアットに敗れた。

2004

04年から「ハッスル」で、高田モンスター軍のアン・ジョー司令長官として活躍。9月10日、みちのくプロレスの後楽園ホール大会でアン・ジョーとしてサスケと対戦。7分53秒、飛びつき式エビ固めでフォール勝ち。9月26日、みちのくプロレスの安比高原スキー場ザイラーゲレンデ特設リング大会でアン・ジョー指令長官として湯浅“ケッパレY”和也と対戦。7分33秒、右ハイキックで勝利。10月23日、ハッスルの愛知県体育館大会でアン・ジョー之助の名で坂田亘と対戦。8分、ナックルパンチで勝利。12月31日、PRIDEのさいたまスーパーアリーナ大会でハイアン・グレイシーと対戦。1R8分33秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。12月31日、PRIDEのさいたまスーパーアリーナ大会でハイアン・グレイシーと対戦。1R8分33秒、腕ひしぎ十字固めに敗れた。この試合を最後に総合格闘技の試合から撤退。

2005

05年10月8日、新日本プロレスの東京ドーム大会で川田利明と組んで中邑真輔、棚橋弘至組と対戦。18分11秒、棚橋のドラゴンスープレックスに安生が敗れた。

2006

06年4月20日、ハッスルの大阪府立体育会館大会でハッスル軍対高田モンスター軍5対5サバイバルマッチにモンスター軍の副将として出場し、大将のHGと対戦。5分42秒、69ドライバーに敗れた。サバイバルマッチはモンスター軍の勝利に終わった。

2007

07年4月21日、ハッスルの大阪府立体育会館大会でアン・ジョー之助として崔領二と対戦。6分29秒、シドマスに敗れた。8月18日、ハッスルの愛知県体育館大会でアン・ジョー司令長官としてRGと対戦。5分25秒、キャメルクラッチで勝利。

2008

08年3月17日、ハッスルの後楽園ホール大会でジャイアント・バボと対戦。7分32秒、ビクトル式300%クラッチで勝利。7月27日、ハッスルの横浜文化体育館大会でハッスルGPに参戦し、1回戦で長尾銀牙と対戦。10分18秒、クロスボディ・オブ・長尾に敗れた。9月17日、ハッスルの後楽園ホール大会でゼウスと対戦。6分43秒、No.19(ダイビング・ボディプレス)に敗れた。12月30日、有明コロシアムでのハッスルマニアでタレントの泰葉と対戦。7分10秒、回転海老名固めに敗れた。

2009

09年7月に高田総統が離脱してからも、10月の最後の大会までハッスルに出場し続けた。

2015

15年3月19日、後楽園ホールで引退興行を開催。ゴールデン・カップスの高山、山本と組んで鈴木みのる船木誠勝、菊田組と3本勝負で対戦。1本目は13分19秒、船木のアンクルホールドに安生が敗れた。2本目は16分47秒、船木のアキレス腱固めに安生が敗れた。試合後、「今日は3本勝負だろ、無制限の。おい、次の1本はジャンプアップチャンス!次を獲れば3本分だよ。おまえら、それぐらいつき合えよ」と安生が呼びかけ3本目が開始。23分3秒、鈴木のゴッチ式パイルドライバーに安生が敗れた。引退セレモニーには桜庭和志、長州力が登場し、花束で激励。「もうなにも残ってねえ、0%だよ。ほんと今日、30年間やってきてよかった。本当にプロレス黄金期に戻ったみたいな熱気がすごくうれしくて、古くからのファン、新しいファン、応援してくれた関係者たち、みなさん、本当にありがとうございました。みなさん、また会いましょう!焼き鳥屋として」と挨拶した。



スクラップブック
―― 今になって振り返っても、あの安生の道場破りは無謀でしたね。
「(中略)高田さんはもちろん、Uインターの全員が、“安生なら勝てる!”と思っていたよ。その頃、田村とスパーリングをやっても安生は全部取っちゃうくらいの強さがあったから。身体のどこも壊れていなかったしね。でも、あの道場破りはまったくの誤算。リング上での殴り込み宣言は話題作りのスタートであって、外国人招聘の責任者でもある安ちゃんが契約書類を持って直接交渉に行ったというのが本当のところだから。試合をやらせちゃったのは、一緒にいたウチのアメリカのエージェントの笹崎(伸司)さんのミスだよ。もし安ちゃんに試合させるつもりだったら、宮戸ちゃんが一緒に行ってるから。普通に考えたって、非公開の道場でやるよりも興業として成り立たせなきゃもったいないでしょ。そこでやっちゃう安ちゃんは、やっぱり“選手”なんだよね」
―― 経営的な部分でのダメージも大きかったと思います。
「あれは痛かった。そこからチケットの売り上げが落ちたよね。でも結果論かもしれないけど、その後の格闘技ブームや『PRIDE』は、Uインターのああいったアクションがなかったら生まれていなかったはずだよ」
(Gスピリッツ Vol.26 鈴木健(元UWFインターナショナル取締役)のインタビューより)