ルイス・カナレス、ディアブロ・ベラスコにコーチを受けて85年にデビュー。93年にFMWに初来日。WAR、みちのくプロレスにも登場。メキシコのプロモ・アステカではマッチメーカーとしても活躍した。95年12月13日、両国国技館でのスーパーJカップ2に出場。1回戦で愚乱・浪花と対戦し、長州、天龍、三沢、ホーガンらのモノマネで笑いをとったが、「ムタ!」と叫んでのムーンサルトプレスをかわされ、6分36秒、ウラカン・ラナにフォール負け。97年3月にWCWに進出。しかし翌年解雇された。00年8月と01年1月にハロウィンを連れて全日本プロレスに登場。01年3月にX−LAWの旗揚げに参加。サブゥーとデスマッチで対戦。ロスのXPWでニチョ(シコシス)とハロウィンでファミリア・デ・ティファナを結成。11月にファミリア・デ・ティファナのメンバーとしてEMLLに進出。06年7月27日、後楽園ホールでのWARの最終興行に来日し、超電戦士バトレンジャーと組んで愚乱・浪花、ドス・カラス組と対戦。7分59秒、ドスのウラカンラナにダミアンがフォール負けしたが、観客の「大仁田」コールに応えてマイクを握り、絶叫と水噴きパフォーマンスを見せた。08年5月11日、アレナ・メヒコでの闘龍門自主興行「ドラゴマニア3」で、UWA世界タッグ王座決定戦に出場。テリブレと組んでパワー・ウォリアー、アニマル・ウォリアー組と対戦。1分50秒、ダブルインパクトでテリブレがフォールを取られた。12月6日、メキシコシティでペロ・アグアヨ・ジュニア、ミステル・アギラと共に新団体「ロス・ペロス・デル・マール」を旗揚げ。
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