バック宙ドロップキックやフランケンシュタイナーなど、驚異の跳躍力で活躍。15歳の時に交通事故で両足、両膝を複雑骨折。1年間のリハビリを経て、留学生としてコマース高校に復学。1年後、ノースイースト・オクラホマA&M大学に進学。82年、テネシー大学に転学。テネシー大学時代はフットボールで活躍。83年、パワーリフティング全米選手権に出場。トータル2073ポンド(スクワット882ポンド、デッドリフト766ポンド、ベンチプレス425ポンド)の学生記録を樹立。同年、NFLのデンバー・ブロンコスの春季キャンプに参加。キャンプ中に大腿部裏を負傷してシーズン契約を断念。86年、ノックスビルのジムで知り合ったケビン・サリバンからプロレス入りを薦められる。テネシー州ノックスビルのCCWでデビュー。プロレス入りしてからもパワーリフティングを続ける。スクワット443キロ、ベンチプレス278キロ、デッドリフト377キロ。84年から87年までの4年間で29の世界記録(19説あり)を作った。アラバマ、テネシーなどの南部地区をサーキット。アラバマではUSヘビー級王座を獲得。88年10月に全日本プロレスに初来日。同じく来日していたダニー・クロファットとカンナム・エキスプレスを結成。フランケンシュタイナーと流麗なバク宙ドロップキックで観客を魅了。90年6月にアジアタッグ王座を獲得。同王座は計5回獲得した。91年11月17日、富士市立富士体育館大会で三沢光晴と対戦。7分54秒、フェイスロックに敗れた。94年3月のチャンピオンカーニバルでは、フランケンシュタイナーがまともに決まり、三沢光晴を欠場に追いやったこともある。95年7月20日、新潟市体育館大会でクロファットと組んで川田、田上組の世界タッグ王座に挑戦。23分25秒、田上の大車輪のど輪落としにクロファットが敗れた。96年5月の46回目の来日が最後。9月14日、クロファットと共にECWに登場。ECWアリーナでサブゥー、ロブ・バン・ダム組と対戦し、30分時間切れ引き分け。同年秋にクロファットに誘われてWWF入り。その後、ECWに登場。97年12月5日、FBI(リトル・グイドー、トレイシー・スマザース)を破りECWタッグ王座を獲得。12月6日、クリス・キャンディード、ランス・ストーム組、ラットン、マホーニー組と3WAYダンスで対戦。ラファン(クロファット)がマホーニーにフォールを取られて王座転落。試合はダブルでの雪崩式ブレーンバスターを決めたキャンディード組がマホーニーにフォール勝ちし、ECWタッグ王座を獲得した。98年3月1日、ニュージャージー州アズベリーパークでのECWのPPV「リヴィング・デンジャラスリー」で、田中将斗と対戦。4分20秒、ローリングエルボーに敗れた。その後はクロファットと別れてテネシー地区のインディー団体に出場。40歳で引退。ソーシャルワーカー(社会福祉士)の資格を取得。04年、パーキンソン病の診断を受ける。その後は治療に専念。12年3月2日、アリゾナ州ツーソンの自宅で遺体で発見された。死後数日が経過した状態だった。パーキンソン病による高血圧性心血管疾患とアテローム性動脈硬化症の合併症のため、睡眠中に心臓発作を起こしたと検視局が推定した。
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