レスラーノート

ダグ・ファーナス

DOUG FURNAS

本名:ドワイト・ダグラス・ファーナス
1962年12月11日
オクラホマ州コマース出身
181cm 115kg

通称
筋肉獣
タイトル歴
USヘビー
アジアタッグ
ECWタッグ
得意技
フランケンシュタイナー
バク宙ドロップキック

バック宙ドロップキックやフランケンシュタイナーなど、驚異の跳躍力で活躍。15歳の時に交通事故で両足、両膝を複雑骨折。1年間のリハビリを経て、留学生としてコマース高校に復学。1年後、ノースイースト・オクラホマA&M大学に進学。82年、テネシー大学に転学。テネシー大学時代はフットボールで活躍。83年、パワーリフティング全米選手権に出場。トータル2073ポンド(スクワット882ポンド、デッドリフト766ポンド、ベンチプレス425ポンド)の学生記録を樹立。同年、NFLのデンバー・ブロンコスの春季キャンプに参加。キャンプ中に大腿部裏を負傷してシーズン契約を断念。86年、ノックスビルのジムで知り合ったケビン・サリバンからプロレス入りを薦められる。テネシー州ノックスビルのCCWでデビュー。プロレス入りしてからもパワーリフティングを続ける。スクワット443キロ、ベンチプレス278キロ、デッドリフト377キロ。84年から87年までの4年間で29の世界記録(19説あり)を作った。アラバマ、テネシーなどの南部地区をサーキット。アラバマではUSヘビー級王座を獲得。 88年10月に全日本プロレスに初来日。同じく来日していたダニー・クロファットとカンナム・エキスプレスを結成。フランケンシュタイナーと流麗なバク宙ドロップキックで観客を魅了。 89年4月18日、大田区体育館大会で天龍源一郎と対戦。7分1秒、パワーボムを返したがラリアットに敗れた。6月5日、日本武道館大会でダニー・クロファットと組んでサムソン冬木、川田利明組のアジアタッグ王座に挑戦。19分35秒、クロファットがタイガードライバーで川田に勝利。アジアタッグ王座を獲得した。9月2日、日本武道館大会でサムソン冬木、川田利明組を相手にタッグ王座の防衛戦。19分56秒、ファーナスがカナディアン・バックブリーカーで冬木に勝利。10月11日、横浜文化体育館大会でジョー・マレンコ、小橋健太組を相手にタッグ王座の防衛戦。23分20秒、クロファットがジャックナイフ式エビ固めでジョーにフォール勝ち。 91年11月17日、富士市立富士体育館大会で三沢光晴と対戦。7分54秒、フェイスロックに敗れた。 94年3月のチャンピオンカーニバルでは、フランケンシュタイナーがまともに決まり、三沢光晴を欠場に追いやったこともある。 95年7月20日、新潟市体育館大会でクロファットと組んで川田田上組の世界タッグ王座に挑戦。23分25秒、田上の大車輪のど輪落としにクロファットが敗れた。 96年5月の46回目の来日が最後。6月7日、日本武道館大会で井上雅央と対戦。7分29秒、ジャーマンスープレックスで勝利。9月14日、クロファットと共にECWに登場。ECWアリーナでサブゥーロブ・バン・ダム組と対戦し、30分時間切れ引き分け。同年秋にクロファットに誘われてWWF入り。その後、ECWに登場。 97年12月5日、FBI(リトル・グイドー、トレイシー・スマザース)を破りECWタッグ王座を獲得。12月6日、クリス・キャンディードランス・ストーム組、ラットン、マホーニー組と3WAYダンスで対戦。ラファン(クロファット)がマホーニーにフォールを取られて王座転落。試合はダブルでの雪崩式ブレーンバスターを決めたキャンディード組がマホーニーにフォール勝ちし、ECWタッグ王座を獲得した。 98年3月1日、ニュージャージー州アズベリーパークでのECWのPPV「リヴィング・デンジャラスリー」で、田中将斗と対戦。4分20秒、ローリングエルボーに敗れた。その後はクロファットと別れてテネシー地区のインディー団体に出場。40歳で引退。ソーシャルワーカー(社会福祉士)の資格を取得。 04年、パーキンソン病の診断を受ける。その後は治療に専念。12年3月2日、アリゾナ州ツーソンの自宅で遺体で発見された。死後数日が経過した状態だった。パーキンソン病による高血圧性心血管疾患とアテローム性動脈硬化症の合併症のため、睡眠中に心臓発作を起こしたと検視局が推定した。