レスラーノート

高田延彦

本名:高田伸彦
1962年4月12日
神奈川県横浜市磯子区出身
183cm 98〜100kg
血液型:A型

通称
青春のエスペランサ
タイトル歴
IWGPヘビー
IWGPジュニアヘビー
IWGPタッグ
プロレスリング世界ヘビー(Uインター)
得意技
腕ひしぎ逆十字固め

中学生まで野球で活躍。リトルリーグではオール横浜に選ばれ捕手で活躍。80年3月に新日本プロレス入り。81年5月9日、静岡県焼津大会の保永戦でデビュー。10分32秒、逆エビ固めに敗れた。83年4月、前田と共にフロリダに遠征し、カール・ゴッチのもとで1ヶ月間、トレーニングを行った。8月に猪木のカナダ遠征に同行し現地でタイガーマスクの代打として出場する大抜擢を受けた。この1戦で注目を浴びジュニア戦線で頭角をあらわし、期待のホープとなるが、84年に藤原とともにUWFに移籍。 86年に新日本プロレスに復帰。5月19日、後楽園ホール大会で越中のIWGPジュニア王座に挑戦。13分32秒、ツームストンパイルドライバーで勝利してIWGPジュニア王座を獲得。5月27日、福岡国際センター大会で越中を相手に防衛戦。19分5秒、両者リングアウトの引き分け。6月17日、愛知県体育館大会でザ・コブラを相手に防衛戦。21分33秒、両者リングアウトの引き分け。7月19日、後楽園ホール大会で山田恵一を相手に防衛戦。17分26秒、羽根折り顔面絞めで勝利。8月5日、両国国技館大会で越中を相手に防衛戦。21分4秒、羽根折り顔面絞めで勝利。8月7日、霧橋スポーツセンター大会で山崎一夫を相手に防衛戦。17分29秒、三角絞めで勝利。8月29日、後楽園ホール大会でブラックタイガーを相手に防衛戦。17分4秒、ドラゴンスープレックスで勝利。9月19日、福岡スポーツセンター大会で越中を相手に防衛戦。18分31秒、回転足折り固めにフォール負け。IWGPジュニア王座から転落した。11月、ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦に越中と組んで参戦。出場をキャンセルしたブロディースヌーカ組の代役となる急造タッグだったが、リーグ戦を5連勝し、大活躍を見せた。86年度のプロレス大賞で越中と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。 87年2月5日、両国国技館大会で越中のIWGPジュニア王座に挑戦。21分24秒、脇固めに敗れた。3月26日、前田と組んでIWGPタッグ王座を獲得。 88年3月11日、愛知県体育館大会で馳浩のIWGPジュニア王座に挑戦。18分57秒、ノーザンライトスープレックスに敗れた。その後、再び新日本プロレスを離脱し、新生UWFに参加。9月24日、博多スターレーン大会でノーマン・スマイリーと対戦。6分47秒、ヒールホールドで勝利。11月10日、露橋スポーツセンター大会で前田日明と対戦。20分4秒、5度目のダウンを奪いTKO勝ち。前田からの初勝利を挙げた。 その後、UWFの分裂により91年5月、UWFインターナショナルを設立。5月10日、後楽園ホールで旗揚げ戦。全3試合の大会のメインでトム・バートンと対戦し、10分46秒、逆エビ固めで勝利した。ファッション雑誌や「笑っていいとも」などのテレビに出演し、従来のプロレスラー像を一新するスタイルのよさで好感度をアピール。12月22日、両国国技館大会でボクシングの元世界ヘビー級王者トレバー・バービックと対戦。1R2分52秒、ローキックでバービックが戦意喪失してリングを降りたため、勝利。 92年10月23日、日本武道館大会で北尾光司と3分5ラウンドで対戦。3R46秒、鮮やかな右のハイキック一発でKO勝ち。92年度のプロレス大賞でMVPを受賞した。 93年12月5日、神宮球場でベイダーと対戦。真冬の野外大会にもかかわらず46,187人を集めた。キックでペースをつかみたい高田に対し、ベイダーもボディスラム、フルネルソン、ネックロック、胴絞めスリーパーなどクラシカルな技で反撃。試合開始10分ごろにローキックの連打でベイダーをダウンさせる。14分23秒、最後は蹴りの連打からの腕ひしぎ逆十字固めで勝利した。 94年4月から95年3月まで、フジテレビの「スポーツWAVE」のメインキャスターとして毎週土曜日にテレビ出演。同年には女優の向井亜紀と結婚した。 95年7月、「さわやか新党」代表として参院選に立候補したが落選した。 10月9日、東京ドームでの「新日本vsUWFインターナショナル〜全面戦争〜」大会に出場。観客数は67,000人、外野席も埋めつくしたこの大会のメインイベントで、IWGPヘビー級王者の武藤敬司と対戦。序盤はグラウンドの展開。5分過ぎに武藤がヘッドバット、ストンピング、ローリングソバット。ムーンサルトプレスはかわしたが、投げっぱなしジャーマンをくらう。高田もミドルキックでダウンを奪い、腕ひしぎ十字固め、バックドロップなどで反撃。勢いにのって右ミドルを出したところをキャッチされ、ドラゴン・スクリューをくらう。足を痛めてしまったところに足四の字固め、ドラゴン・スクリューをくらい、高田もキックの連打で武藤をダウンさせるが、最後は16分16秒、足四の字固めで敗れた。 96年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で武藤と再戦。17分57秒、腕ひしぎ十字固めで勝利してIWGPヘビー級王座を獲得。4月29日、新日本プロレスの東京ドーム来会で橋本真也を相手に防衛戦。12分33秒、垂直落下式DDTからの三角絞めに敗れて王座転落。5月27日、日本武道館大会で藤原喜明と対戦。9分46秒、KO勝ち。8月17日、神宮球場大会のメインで安生洋二と対戦。11分26秒、左ハイキックを決めてKO勝ち。9月11日、神宮球場で天龍源一郎と対戦。両者とも気迫あふれる真っ向勝負を展開。グーパンチとキックの応酬を繰り広げ、19分30秒、腕折り固めでギブアップ勝利。この試合でプロレス大賞のベストバウトを獲得した。12月21日、UWFインターナショナルの東京・世田谷の団体事務所に所属選手を招集。全体会議の席上で、興行団体としての活動を停止する旨を通達した。UWFインターナショナルの崩壊後は、設立されたばかりの格闘技大会「PRIDE」の中心選手として格闘技路線に打って出るが、ヒクソン・グレイシーに2連敗。PRIDE戦績は、97年10月の第1回東京ドーム大会から参戦し3勝6敗1分け。 98年に高田道場を設立。 01年11月3日、PRIDEの東京ドーム大会でミルコ・クロコップと特別ルールで勝利。3分3Rを戦い、引き分け。延長戦としてさらに2Rを戦い、引き分け。特別ルールにより判定なしの引き分けに終わった。12月31日、さいたまスーパーアリーナでの猪木祭りでマイク・ベルナルドと3分3Rで対戦。3R引き分けに終わった。 02年11月24日、PRIDEの東京ドーム大会で田村潔司と対戦(1R10分、2&3R5分)。2R1分、右フックをくらってKO負け。この試合で引退。引退後はPRIDE統括本部長に就任。 04年、ハッスルのリングに高田総統として出現。高田モンスター軍を率いて、小川直也率いるハッスル軍と抗争を開始。「ビターン!」のかけ声でモンスター軍の仲間を増やし、小川以上の存在感を示すようになる。 06年6月17日、さいたまスーパーアリーナでのハッスル・エイド2006で、ザ・エスペランサーとしてリングに復帰。4分44秒、右ハイキックでTAJIRIに勝利した。11月23日、ハッスルの横浜アリーナ大会のメインでHGと対戦。圧倒的な強さを誇るエスペランサーは地獄突き一発でHGを吹っ飛ばし強烈な膝蹴り。衝撃波を狙うが、弱点であるニューリン様のオカリナの音色が響き反撃を許す。アン・ジョーとジャイアント・バボがニューリン様からオカリナを奪いとったことで息を吹き返し、衝撃波でニューリン様を撃ち抜いた。10分9秒、右ハイキックで勝利。 07年11月25日、ハッスルの横浜アリーナ大会でザ・エスペランサーとして坂田亘と対戦。12分34秒、スーパーキックに敗れた。 08年12月30日、ハッスルマニアでのメインでエスペランサー・ザ・グレートとして途中出場し、ムタ、ボノちゃん(曙)組と対戦。レーザービターンなどファンタジーファイトを展開し、試合途中でムタに花道奥の「魔界」に引きずりこまれて退場。 09年7月26日、両国国技館大会を最後に高田総統としての活動を終えた。