レスラーノート

高杉正彦

1955年6月17日
神奈川県平塚市出身
172〜175cm 90〜100kg

得意技
X固め
フライング・クロスチョップ

高校時代は陸上で活躍。100メートル11秒5の記録を持つ。日本大学でアメフト部に1年在籍。アメフト部退部の後、横浜の金子武雄のジムに通った。「ジャパン・アクション・クラブ」で半年間スタントマンをしたこともあった。77年3月の国際プロレスの第2回新人公募に合格。5月に中退して国際プロレスに入門。グレート草津の付き人になる。9月4日、後楽園ホールのスネーク奄美戦でデビュー。6分36秒、逆エビ固めに敗れた。81年の国際プロレス崩壊をうけて単身メキシコに遠征。ローカル団体で活動を続ける。 82年7月2日、マスクマンのウルトラセブンに変身し、全日本プロレスに凱旋帰国。7月9日、熊本市水前寺体育館大会で大仁田厚のNWAインターナショナル・ジュニア王座に挑戦。サンダーファイヤーパワーボムに敗れた。ジュニア戦線でなんとか活躍。84年11月、冬木と共にメキシコ遠征。UWAに素顔で出場した。85年5月に帰国して素顔に戻り、ラッシャー木村、鶴見五郎剛竜馬アポロ菅原の「国際血盟軍」に加入。 86年3月、剛竜馬、アポロ菅原と共に全日本プロレスから解雇された。88年11月15日、剛竜馬、アポロ菅原と共にパイオニア戦志を設立、89年4月30日、パイオニア戦志の旗揚げ戦。90年12月にパイオニア戦志が崩壊。その後はインディーをわたり歩いた。鶴見五郎の興行に参加。鶴見と共にレスリングユニオンを設立するが、95年に活動停止。地元の平塚にボディビルジムを開設。IWA湘南を経て、96年に湘南プロレスを設立。その後はマスクマンのウルトラセブンとしてIWAジャパンに前座で出場。08年5月12日、後楽園ホールでの「昭和プロレス」で鶴見五郎と組んでザ・グレート・カブキDNA(ザ・グレート・サスケ)、グレート小鹿DNA(谷口裕一) と対戦。11分55秒、サスケのミサイルキックに鶴見がフォール負け。09年7月19日、IWAジャパンの新宿FACE大会でブラックセブン(板倉広)と対戦。5分38秒、リバース・スプラッシュで勝利。12年10月7日、頑固プロレスの西調布格闘技アリーナ大会で、長男の高杉祐希と組んで松崎和彦、ドラゴンユウキ組と対戦。15分54秒、松崎のジャンピングネックブリーカーに高杉祐希が敗れた。15年6月27日、湘南プロレスの横浜ラジアントホール大会で「デビュー40周年記念カウントダウンスペシャル」と銘打ち、大仁田厚、高杉祐希と組んで矢口壹琅、松崎和彦、バッファロー組と有刺鉄線ボードストリートファイトトルネード6人タッグデスマッチで対戦。3人がかりのパワーボムを決めて祐希がバッファローに勝利した。16年2月14日、BumB東京スポーツ文化館でのBumBプロレスフェスティバルでウルトラセブンとして登場し、ワイルドセブンと対戦。11分29秒、エックス固めで勝利。 18年2月16日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズでウルトラセブンとして出場し、獅龍と組んでブラックタイガー75代目ブラックタイガー組と対戦。10分55秒、セブンがリバース・プレスで5代目ブラックタイガーに勝利。 20年8月22日、湘南プロレスの横浜ラジアントホール大会でウルトラセブンとしてドリュー・パーカーと組んで松崎和彦、ロッキー川村組と対戦。10分15秒、ウルトラセブンがX固めで川村に勝利。 21年6月26日、全日本プロレスの大田区総合体育館大会で渕正信越中詩郎土方隆司と組んで仲野信市西村修SUSHI組と対戦。9分44秒、越中がジャンピング・ヒップアタックで力に勝利。 22年8月11日、湘南プロレスの保土ケ谷公会堂大会で高杉正彦45周年&高杉祐希10周年記念試合。雷神矢口、高杉祐希と組んで将軍KYワカマツ、松崎和彦、マシンセブン組と対戦。15分19秒、高杉祐希がラリアットでセブンに勝利。