ダークロHP / レスラーノート

スーパー・デストロイヤー
SUPER DESTROYER


本名:サニー・クーパー
1940年(35年説あり)3月24日
カナダ・ニューブランズウィック州モンクトン出身(ケベック州モントリオール説あり)
190〜3cm 125〜8kg
タイトル歴:ジョージア・ヘビー NWAトライステートタッグ
得意技:ダイビング・エルボー・バット ブレーン・クロー

元カーニバルレスラー。55年ごろにプロレス入り。デビュー当時のリングネームはサニー・クーパー。63年7月、ドン・ジャーディンの名で日本プロレスに初来日。64年にロス地区でブッチャーに改名。65年にザ・ブッチャーの名で日本プロレスに来日。10月22日、富山市体育館大会でジャイアント馬場と対戦。1本目は21分24秒、ニースタンプの連発からフォール勝ち。2本目は21分16秒、脳天チョップにフォール負け。3本目は激しい殴り合いの末、時間切れ引き分けに終わった。東京で再戦が予定されていたが、24日に交通事故によりケガを負い帰国した。67年にテキサスでマスクマンのザ・スポイラーに変身。69年にはザ・ブッチャーの名で日本プロレスに来日し、8月10日に田園コロシアム大会でジャイアント馬場のインター王座に挑戦し敗れた。71年、マスクマンのスポイラー1号に変身し、スポイラー2号(バディ・ウォルフ)と組んでNWAトライステートタッグ王座を獲得した。73年5月、ノースカロライナ州シャーロッテ地区でスーパーデストロイヤーに再変身。75年11月27日、ジョージア州でマスクマンのザ・スポイラーとしてミスター・レスリング2号を破り、ジョージア・ヘビー級王座を獲得。76年1月2日にボブ・アームストロングとの試合でタイトルが剥奪されたが、同月での再戦で王座を再び獲得。1月30日にダスティ・ローデスに敗れて王座転落。2月6日にローデスから奪回したが、8月20日にディック・スレーターに敗れて王座転落。8月28日、全日本プロレスの日大講堂大会でスーパー・デストロイヤーとして来日し、ザ・デストロイヤーの覆面10番勝負の最終戦として、覆面剥ぎマッチで対戦。日本初のマスカラ・コントラ・マスカラとなったこの試合で、1本目は17分35秒にスーパーデストロイヤーが勝利。2本目は2分50秒にデストロイヤーが勝利。3本目は8分2秒、足四の字固めでデストロイヤーが勝利。敗れたスーパーデストロイヤーは試合後に抵抗したが、デストロイヤーにマスクを脱がされた。現役時代はロープを駆け登り各種の技を繰り出した。ルーキー時代のジ・アンダーテイカーにオールドスクール(ロープ歩き)を伝授した。93年から94年にかけてフロリダ州タンパでインディ団体を運営。この団体で引退試合を行い、引退後はカナダ・アルバータ州ウェタスキウィンで生活。洗車業のマネージャーとして働き、ボランティアで幼い子供たちに読み書きを教えていた。06年12月16日にカナダ・アルバータ州ウェタスキウィンで白血病のため死去。

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