学生時代はレスリング、フットボール、ウェイトリフティング、陸上に熱中。ボディビルではミスター・セントラル・フロリダに輝いた。
スティーブ・カーンのコーチを受け、92年に
サンダー&ライトニングのライトニングとしてデビュー。サンダーは従兄弟。フロリダの独立団体IWFに出場し、後のスモーキン・ガンズとなるロングライダースと抗争。IWF崩壊後は93年7月よりWCW所属となり、8月、サンダーと共に全日本プロレスに初来日。チーム解散後の95年にコブラと改名したが実績なし。96年9月、
ホーガンの誘いを受けNWOスティングに変身。97年3月に新日本プロレスに登場。NWOジャパンの貴重な戦力として活躍。98年2月15日、新日本プロレスの日本武道館大会で
西村修と対戦。9分54秒、ノーザンスープレックスにフォール負け。3月9日、京都府立体育館大会で
橋本真也と対戦。10分16秒、左ミドルキックにフォール負け。3月13日、水戸市民体育館大会で西村と再戦。10分27秒、ダイビング・ラリアットで勝利。99年5月、
蝶野が結成したT2000の一員となる。同年11月より素顔に戻りスーパーJと改名した。00年11月の「第2回G1タッグリーグ戦」ではマスクマンのT2000マシン1号として出場。01年暮れに
ノートンとのコンビでG1タッグに出場したが、02年3月に仲間割れし、新日本本隊サイドについた。
18年2月16日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズのメインで蝶野をセコンドに
天山、
ヒロ斉藤、
AKIRAと組んで
藤波、
長州、
ライガー、
武藤組と対戦。15分10秒、天山がアナコンダバイスでライガーに勝利。
19年2月15日、プロレスリング・マスターズの後楽園ホール大会で天山、
小島、ヒロ斉藤と組んで(セコンドに蝶野)、
ドン・フライ、
人生、
大谷、
ケア組(セコンドに武藤)と対戦。フライが裏切ってケアにイス攻撃。17分24秒、小島がラリアットでケアに勝利。
20年2月28日、マスターズの後楽園ホール大会で武藤敬司と組んで藤波辰爾、
藤原喜明組と対戦。13分8秒、藤波のドラゴンスリーパーにスーパーJが敗れた。