レスラーノート

シルバー・キング

SILVER KING

本名:セザール・ゴンザレス
1968年1月9日
メキシコ・コアウィラ州トレオン出身
173〜176cm 98〜108kg

タイトル歴
CMLL世界ヘビー
CMLL世界タッグ
UWA世界ライトヘビー
WWA世界タッグ
世界ジュニア(全日本プロレス)
IWRGインターコンチネンタルヘビー
AAA世界タッグ
得意技
ムーンサルトプレス
三角跳び式トペスイシーダ
三角跳び式プランチャ
トラースキック

往年の名レスラー、ドクトル・ワグナーの次男。兄はドクトル・ワグナー・ジュニア。父からルチャの英才教育を受け、85年11月にモンテレイでマスクマンとしてデビュー。 87年10月にドクトル・ワグナー・ジュニアの名で白覆面をかぶり全日本プロレスに初来日。アンヘル・ブランコ・ジュニア(後のレイ・ソロモン)と共に本場のルチャ・リブレを披露した。 88年6月にティファナでエル・イホ・デル・サントに敗れてマスクを剥がされた。エル・テハノと「ロス・カウボーイズ」を結成し、テンガロンハットに皮ジャンというカウボーイスタイルで活躍。 91年5月には初代WWA世界タッグ王者となる。 92年1月にユニバーサルプロレス後楽園大会でグラン浜田、ケンドー組を破りUWA世界タッグ王座を獲得した。同王座は6月にメキシコのナウカルパンでカンナムコネクション(ダグ・ファーナスダニー・クロファット)に王座を奪われたが、7月にマスクを剥いでいる。 93年10月31日にナウカルパンでエル・テハノを破り、UWA世界ライトヘビー級王座を獲得。 コンビ解消後、94年1月にEMLLへ移籍。7月、CMLL世界ヘビー級王座を獲得。12月にテハノとのコンビを復活しCMLL世界タッグ王座を獲得。 97年2月には兄のドクトル・ワグナー・ジュニアと組んで同王座に返り咲く。6月より米国WCWにも進出した。

2001

01年1月に新日本プロレスに初参戦。2月3日に兄と組んで金本浩二田中稔組の持つIWGPジュニアタッグ王座に挑戦し敗退。5月5日の福岡ドーム大会で、兄と組んで獣神サンダーライガーエル・サムライ組の持つIWGPジュニア・タッグ王座に挑戦し敗退。5月18日から6月4日までベスト・オブ・ザ・スーパー・ジュニアに出場。クリス・キャンディード井上亘愚乱・浪花に勝利し、ライガー、エル・サムライに敗れてAブロックの2位に終わった。その後、3代目のブラックタイガーに変身。6月15日、アレナ・メヒコにおける6人タッグマッチでブラックタイガーとしてデビュー。2週続けてドクトル・ワグナー・ジュニアとタッグで対戦した。当初はテクニコ(正当派)として活躍したが、8月からルード(悪役)に転身。11月16日から始まった新日本プロレスのG1ジュニアタッグリーグに3代目ブラックタイガーに変身し、ケンドー・カシンと組んで参戦。リーグ戦は2勝3敗に終わった。11月26日、富士見市立市民総合体育館大会で竹村豪氏と対戦。7分2秒、デスバレーボムで勝利。12月2日、愛知県体育館大会でケンドー・カシンと組んで邪道、外道組のIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。7分40秒、外道のスーパーフライにカシンが敗れた。

2002

02年3月にT2000入り。3月16日、ビッグローズ福山大会で柴田勝頼と対戦。10分41秒、デスバレーボムで勝利。3月20日、新田町総合体育館大会でエル・サムライと対戦。8分5秒、デスバレーボムで勝利。3月24日、尼崎市総合記念公園体育館大会で新日本対T2000の5対5勝ち抜き戦で次鋒として出場し、成瀬昌由と対戦。7分59秒、デスバレーボムで勝利。中堅の垣原賢人と対戦。3分56秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。4月18日、秩父市民体育館大会でエル・サムライと対戦。10分57秒、ローリングキックで勝利。4月19日、諏訪湖スポーツセンター大会で成瀬昌由と対戦。9分31秒、ローリングキックで勝利。4月25日、徳山市総合スポーツセンター大会で垣原賢人と対戦。8分14秒、デスバレーボムで勝利。4月26日、久留米県立体育館大会で田中稔のIWGPジュニア王座に挑戦。13分54秒、ミノルスペシャルに敗れた。5月2日の東京ドーム大会でエル・サムライと組んで3代目タイガーマスク、4代目タイガーマスクと対戦し、敗れた。5月18日から始まったベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに参戦。5月19日、津市体育館大会で柴田勝頼と対戦。8分20秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。5月20日、岩出町立町民総合体育館大会で邪道と対戦。5分、足ばさみ式首固めでフォール勝ち。5月23日、キラメッセぬまづ大会で金本浩二と対戦。13分35秒、足ばさみ首固めでフォール勝ち。5月24日、後楽園ホール大会でカレーマンと対戦。8分46秒、前方回転エビ固めにフォール負け。5月26日、ビッグパレットふくしま大会でライガーと対戦。13分30秒、高角度前方回転エビ固めにフォール負け。5月30日、宮古市総合体育館シーアリーナ大会で垣原賢人と対戦。8分20秒、首固めでフォール勝ち。リーグ戦は3勝3敗に終わった。

2003

03年10月に兄と共に全日本プロレスに登場。10月26日、日本武道館大会でロウ・キーとシングルで対戦し、お互いの持ち味を活かした好勝負を展開。13分33秒、フェニックス・スプラッシュに敗れた。

2004

04年3月、全日本プロレスに来日。3月28日、木更津倉形ドーム大会でドクトル・ワグナー・ジュニアと組んでグレート・コスケ、獅龍組のアジアタッグ王座に挑戦。18分4秒、獅龍のファイナルカットにシルバー・キングが敗れた。

2005

05年から地元のトレオンで兄、姉と「プロモーショネス・ワグナー」を設立し、プロモーターとしても活躍。05年に新日本プロレスで4代目ブラックタイガーが現れたのを機にCMLLではブランコというマスクマンに変身したが、その後もインディ団体でブラックタイガーとして活躍した。

2006

06年2月4日、地元トレオンで、ラ・パークに敗れてブラックタイガーのマスクを脱ぐ。

2007

07年9月に全日本プロレスに来日。9月20日、福井市体育館大会でT28と対戦。8分55秒、デスバレーボムで勝利。9月23日、豊岡市民体育館大会でエル・ノサワ・メンドーサと対戦。8分55秒、デスバレーボムで勝利。9月24日、熊本市流通情報会館大会で真田聖也と対戦。7分35秒、デスバレーボムで勝利。9月28日、鹿児島市民体育館大会でT28と対戦。8分54秒、デスバレーボムで勝利。10月8日、後楽園ホール大会で土方隆司と対戦。8分8秒、デスバレーボムで勝利。10月18日、国立代々木競技場第2体育館大会で、世界ジュニア王者の中嶋勝彦に挑戦。中嶋の横入り式回転エビ固めでレフリーはカウント3をたたいたが、シルバーキングの足はロープにかかっていたため、客席からは一斉に大ブーイング。観客の声を聞きつけたPWF会長の馳浩は「ロープが足にかかっていたため再試合にします」と会長権限で再試合を宣言。再試合はかみ合わない展開となり、キングが投げっぱなしのジャーマンをかけたところで両者ダウン。両者KOの引き分けに終わった。場内が騒然とする中、近藤修司が乱入し、ベルトを強奪して逃走したため、さらに混乱が起こった。馳会長は「今日の試合はノーコンテスト。ベルトは私預かりとし、混乱した状況のため日を改めて再試合とします」と発表したが「金返せ」コールが起こるなど、試合への不満に場内が騒然となった。

2008

08年3月1日、全日本プロレスの両国国技館大会で中嶋勝彦と再戦。12分29秒、ムーンサルトプレスからのデスバレーボムで圧勝し、世界ジュニア王座を獲得した。3月12日から全日本プロレスのジュニア・タッグリーグ戦に近藤修司と組んで参戦。リーグ戦は2勝2敗1引き分けに終わり、6チーム中3位の成績に終わった。4月24日、全日本プロレスの高松市総合体育館大会でT28と対戦。11分10秒、デスバレーボムで勝利。4月29日、愛知県体育館大会で土方隆司を相手に防衛戦。重い攻撃で王者として抜群の安定感を見せたが、デスバレーボムを切りかえされて、17分41秒、腕十字からの変形腕固めに敗れて王座転落。6月13日、AAAのビッグイベント「トリプレマニア」に登場し、セミファイナルでラ・パルカ、チェスマンと組んで鈴木健想ラシュリー、エレクトロ・ショック組と対戦。健想の急所攻撃でパルカが敗れた。7月20日から始まったジュニアヘビー級リーグ戦に参戦。7月24日、北見市立体育センター大会でTAKEMURAと対戦。14分3秒、デスバレーボムで勝利。7月27日、札幌テイセンホール大会でカズ・ハヤシと対戦。14分20秒、飛びつき十字固めにフォール負け。7月29日、函館市民体育館大会でフィル・アトラスと対戦。11分33秒、デスバレーボムで勝利。8月1日、水戸市民体育館大会でT28と対戦。10分10秒、デスバレーボムで勝利。3勝1敗でリーグ戦を突破。同日の優勝決定戦でKAIと対戦。13分、LAT(変型みちのくドライバー)に敗れた。

2010

10年6月6日、メキシコ・シティで行われたAAAの年間最大の大会「トリプレマニア」に出場し、ウルティモ・グラディアドールと組んでタッグ王者の潮崎青木組、ビアマネーインク、ニチョ・エル・ミジョナリオ、ジョー・リーダー組を相手に4WAYマッチで王座戦。5分58秒、ジョー・リーダーが変形バックブリーカーで潮崎にフォール勝ち。その後、9分59秒にジェームス・ストームがイス攻撃からリーダーにフォール勝ち。最後は13分15秒、シルバー・キングがデスバレーボムでジェームス・ストームにフォール勝ち。AAA世界タッグ王座を獲得した。6月24日、IWRGのナウカルパン大会でマスカラ・アニョ・ドスミル・ジュニアを破り、IWRGインターコンチネンタルヘビー級王座を獲得。10月1日、AAAのシウダ・マデロ大会でワグナー・ジュニアのメガ王座に挑戦したが敗退した。

2011

11年3月21日、ジャック・エバンス、エクストリーム・タイガー組に敗れてAAA世界タッグ王座から転落。

2017

17年10月1日、ヌエボ・レオン州モンテレイでのMDAルチャリブレの大会でイホ・デル・サント、アルベルト・エル・パトロンと3WAYマッチ。サントのカバージョにシルバー・キングが敗れた。

2019

19年3月14日、後楽園ホールで行われた「エストレージャ・フィエスタ」に来日。フェルサ・ゲレーラ、ディアマンテと組んでエル・イホ・デル・サント、ウルティモ・ドラゴン獅龍組と対戦。20分11秒、サントのカバージョにゲレーラが敗れた。5月11日、ロンドンでフベントゥ・ゲレーラとの試合中に心筋梗塞で死去。