レスラーノート

アルティメット・ウォリアー

ULTIMATE WARRIOR
本名:ジム・ヘルウィッグ
1961年6月16日
カリフォルニア州オークランド出身
190cm 130kg

通称
超合金戦士
タイトル歴
WWFヘビー
WWFインターコンチネンタル
得意技
ディンゴ・ボンバー(ラリアット)
リフトアップスラムからのボディプレス

超合金戦士。顔のペイント、異常に鍛えられた肉体、圧倒的に2分ほどで勝利するスタイルで人気となった。試合内容はワンパターンで、入場ゲートから全速力でダッシュしてリングインし、ロープをつかんで上下に激しく揺らし、ポストに登って筋肉アピール。ディンゴ・ボンバー、フライング・ショルダータックル、リフトアップスラム、ボディプレス(リック・ルードに膝を立てられて返されてから、背中へのボディプレスに変更)でピンフォール。デビュー前は全米各地のボディビル大会で優勝。ゴールド・ジムのインストラクターを務めるかたわら80年にレッド・バスチェンのレスリング道場に入門。85年にデビュー。スティングとはジムでの知り合いでプロレス入りが同期だった。スティーブ・ボーデン(スティング)とフリーダム・ファイターズを結成してテネシー地区で活躍。86年にコンビ解消。ダラスのWCCWに入り、ディンゴ・ザ・ウォリアーに改名。87年6月にポスト・ホーガンの有力候補としてWWFに入る。88年8月、MSGでホンキー・トンクマンを破りインターコンチネンタル王座を獲得。90年4月1日、カナダ・トロントでの「レッスルマニア6」で、WWF王者のホーガンとダブルタイトルマッチで対戦。リフトアップスラムからのボディプレスというフルコースにも耐えぬいたホーガンはビッグブーツを食らわせて必殺のレッグドロップを狙うが、ウォリアーにかわされる。最後は仰向けに倒れたホーガンに対しボディプレスを落としてウォリアーが勝利。WWFヘビー級王座を獲得した。90年4月、東京ドームでのWWFと全日本の合同興行「日米レスリングサミット」に来日し、6分12秒でテッド・デビアスに勝利。91年1月19日、フロリダ州マイアミでの「ロイヤル・ランブル91」でサージェント・スローターに敗れて王座転落。3月24日の「レッスルマニア7」では敗者引退マッチでランディ・サベージと対戦。マッチョマン必殺のフライング・エルボーを5連発されてもフォールを返し、反撃。ディンゴ・ボンバー3連発、リフトアップスラムからのボディプレスで勝負あったかに見えたがマッチョマンが返す。フォールを返されたウォリアーは見上げたまましばらく天に向かって問い続け、その隙をついたマッチョマンにリングから落とされる。サベージのトップロープからのダブルアックスハンドルをかわした後、最後はフライングフライング・ショルダータックルの3連発。1発ごとにリング下に転落したサベージを引き上げ、最後は足で踏みつけてフォール勝ちした(試合時間は20分48秒)。3月30日にSWSの東京ドーム大会に来日し、7分14秒でサージェント・スローターに勝利。8月、WWFを解雇される。92年4月5日の「レッスルマニア8」で復帰したが、同年11月、再びWWFを解雇される。96年3月31日のレッスル・マニア12で復帰し、ハンター・ハースト・ヘルムスリー(後のHHH)に1分48秒で勝利。11月に離脱。98年にWCWで復帰したが短期間で離脱。08年6月25日、スペインの団体NWEのバルセロナ大会で突如復帰し、オーランド・ジョーダンと対戦。全盛期の動きではなかったが、トップロープに上ったジョーダンを雪崩式ブレーンバスターでたたきつけてからロープに飛んでタックル、ラリアットを決めて、最後はフライングショルダーアタックで勝利した。NWE世界ヘビー級王座を獲得したが返上した。14年4月5日、WWEの殿堂入りセレモニーに出席。4月7日、WWEのRAWに登場。4月8日、アリゾナ州のホテルの外を妻と歩いている時に心臓発作を起こし、病院に搬送されたが、死去。検死の結果、アテローム性動脈硬化症を患っていたことが明らかになった。