通称“ジャンピング”ジム・ブランゼル。73年にAWAのレスリングキャンプに参加してプロレス入り。地元カンサスでマイク・ジョージとのコンビで売り出す。73年10月にマイク・ジョージと組んでセントラルステーツ・タッグ王座を獲得。74年にも同王座を獲得している。74年3月にボブ・ブランゼルの名で国際プロレスに初来日。その後AWAでグレッグ・ガニアとハイ・フライヤーズを結成してAWA世界タッグ王座を獲得。79年9月にNWAミッドアトランティックヘビー級王座を獲得。80年1月にも同王座を獲得している。全日本プロレスには80年に、ニック・ボックウインクルのパートナーとして最強タッグ決定リーグ戦に参加。82年5月に全日本プロレスに2度目の来日。グレッグ・ガニアと組んで、大仁田、スティムボードと対戦し、AWA世界タッグ王座を防衛。84年4月26日、全日本プロレスの大宮スケートセンター大会のメインででジャンボ鶴田のAWA世界ヘビー級王座に挑戦。14分40秒、パイルドライバーをリバーススープレックスに切り返されての体固めに敗れた。85年から88年までWWFで活躍した。WWFではブライアン・ブレアーとのコンビ「キラー・ビーズ」で活躍。黄色と黒の横縞模様のパンツで活躍。その後はインディ団体を転戦。引退後はファイナンシャルプランナーとして活動。
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