レスラーノート

ジェリー・ローラー

JERRY LAWLER

1950年11月29日
テネシー州メンフィス出身
185cm 115kg

通称
南部の帝王
タイトル歴
AWA世界ヘビー
WCWA世界ヘビー
USWA世界ヘビー
得意技
パンチ
フィストドロップ(倒れている相手に拳を落とす)

通称「南部の帝王」。テネシー州をほとんど出なかった地域密着型の活動、パンチを主体とした南部人好みのファイトスタイルで人気を誇った。71年にプロレス入り。テネシー地区のタイトルを総なめした。85年1月、全日本プロレスに初来日。88年5月、カート・へニングを破りAWA世界ヘビー級王座を獲得。88年12月13日、イリノイ州シカゴでWCWA世界ヘビー級王者ケリー・フォン・エリックを破り、王座統一。ローラーはUSWAユニファイド(統一)世界ヘビー級王者となる。しかし、AWAはこれを認めず89年1月、ローラーのAWA世界ヘビー級王座を剥奪。ローラーはその後もUSWA初代ヘビー級王者として活動した。USWA世界ヘビー級王座は通算27度も獲得。テネシー州を中心に97年11月のUSWA崩壊まで南部の帝王として君臨し続けた。 89年3月、新日本プロレスに来日。3月16日、横浜文化体育館大会で藤波辰巳のIWGP王座に挑戦。20分25秒に敗れた。 93年6月13日、WWFに登場。PPV「キング・オブ・ザ・リング」で、トーナメントに優勝したブレット・ハートのセレモニーに乱入して大乱闘。8月30日、PPV「サマースラム」でブレット・ハートと対戦。試合前にローラーが負傷を理由に試合放棄。代役のドインクとブレットが対戦し、シャープシューターでブレットが勝利。試合終了直後にローラーが乱入して暴行。急遽、対戦が始まった。6分32秒、シャープシューターにギブアップの意思表示をしたが、そのままレフリーの制止を無視してブレットが絞め続けため、反則勝ち。その後はWWFの毒舌解説者として活躍。インディ団体では選手として活躍。 97年8月17日、ECWのPPV「ハードコアヘブン」に登場し、トミー・ドリーマーと対戦。乱入したビューラのローブロー、ドリーマーのDDTをくらって敗れた。 02年6月1日、USAチャンピオンシップレスリングのテネシー州ナッシュビル大会でダスティ・ローデスと対戦。ロープに両足をかけてのエビ固めでフォール勝ち。 07年7月30日、キング・ブッカーを相手に新旧キング対決。5分19秒、キング・ブッカーがロープサイドで攻撃をやめなかったため反則勝ちに終わった。8月6日、キング・ブッカーと再戦。シザーズキックに敗れた。 10年11月29日のRAWの放送で、ミズのWWE王座にTLCマッチで挑戦し、敗れた。 11年2月20日、PPV「エリミネーション・チェンバー」で、ミズのWWE王座に挑戦。必殺のフィストドロップはロープに逃げられカウント2。最後はスカル・クラッシング・フィナーレに敗れた。4月3日、レッスルマニアでマイケル・コールと対戦。レッスルマニア初出場だった。アンクルロックで勝利。ゲストレフリーのストーンコールドとビールで勝利を祝っていたが、ストーンコールドが試合に介入したことを理由に、RAWのGMから反則負けを宣告された。5月22日、PPV「オーバー・ザ・リミット」でマイケル・コールを相手にキッス・マイ・フット・マッチで対戦。フィストドロップで圧勝。敗れたコールは足にキスするのを拒否してリングを降りたが、ブレット・ハートが立ちはだかり、リングに連れ戻してシャープシューター。ローラーは、苦しむコールの口に足の指をつっこんだ。 12年9月10日、カナダ・モントリオールで行われたRAWの大会でランディ・オートンと組んでCMパンク、ドルフ・ジグラーと対戦。6分45秒、オートンがRKOでジグラーに勝利。その後、解説席に座ったが、心臓発作を起こしてテーブルに倒れこんで昏倒。救急車で病院に搬送された。1週間後に退院。11月12日、RAWにコメンテーターとして復帰。 21年10月30日、SICWのイリノイ州ベルビル大会でコワルスキーと対戦。3分55秒、フィストドロップで勝利。