中学2年の時からボディビルを始め、秋田工高でアマレスを始める。72年の和歌山国体の81キロ以上級で優勝。全国高校大会では75キロ以上級で4位。73年に卒業し、三井造船千葉造船所に入社。遠藤光男の千葉ボディビルセンターでボディビルを続ける。遠藤に相談し、79年4月に国際プロレスに入団。9月17日、福岡・九電記念体育館での
高杉正彦戦でデビュー。10分5秒、逆エビ固めで敗れた。前座で人気を得る。81年9月に国際プロレスが崩壊。10月に
マイティ井上を慕って全日本プロレスに参加。83年4月、若手のリーグ戦「
ルー・テーズ杯争奪リーグ」に出場し、
三沢に20分時間切れ引き分け、
川田に勝利するなど健闘したが、予選敗退した。84年6月、オーストリアのウィーン・トーナメントに参戦。12月に帰国。88年、リストラ要員となり全日本プロレスを解雇された。解雇後は同じくリストラされた
剛竜馬、高杉正彦とともにパイオニア戦志を結成した。89年、
北尾がプロレス入りを相談した相手が遠藤光男だった関係で、デビュー前の北尾のトレーニングパートナーを務めた。90年11月、SWSに入団。
鈴木みのると伝説に残る二人のスタイルが噛み合わない試合をした。11月10日、SWSの道場大会で
冬木と対戦。10分、判定勝ち。11月17日、SWSの道場大会で
佐野と対戦。4分57秒、ショルダースルーを着地した佐野が右足首を痛めたためレフリーストップ勝ち。11月22日、浜松アリーナ大会で畠中浩と対戦。4分31秒、バックフリップで勝利。12月1日、SWSの道場大会で北尾と対戦。3分、アバランシュホールドに敗れた。12月15日、SWSの道場大会で
北原と対戦。8分3秒、首固めでフォール勝ち。12月22日、SWSの道場大会で佐野と対戦。6分25秒、ソバットをくらって場外に転落し、リングアウト負け。91年2月22日、後楽園ホール大会で
ドン荒川と対戦。7分12秒、急所攻撃をされて反則勝ち。5月22日、草加市スポーツ健康都市記念体育館大会で山中鉄也と対戦。7分54秒、ブロックバスターで勝利。5月23日、後楽園ホール大会で
新倉史祐と対戦。9分29秒、首固めでフォール勝ち。6月11日、大阪府立体育館大会でドン荒川と対戦。7分5秒、首固めにフォール負け。7月8日、八戸市体育館大会で新倉と対戦。11分53秒、首固めにフォール負け。8月4日、長岡市厚生会館大会で山中と対戦。8分48秒、ブレーンバスターで勝利。8月5日、高崎中央体育館大会で
片山明と対戦。12分33秒、バックドロップで勝利。9月18日、長野市民体育館大会で
鶴見五郎と対戦。11分52秒、逆さ押さえ込みにフォール負け。92年3月14日、青森県営体育館大会で
阿修羅原と対戦。4分13秒、ラリアットに敗れた。3月16日、秋田県立体育館大会でドン荒川と対戦。7分8秒、ラリアットで勝利。3月18日、新潟市体育館大会で阿修羅原と対戦。4分15秒、ラリアットに敗れた。SWS崩壊後はNOWなど、インディ団体で活動。