レスラーノート

ザ・グレート・サスケ

本名:村川政憲
1969年7月18日
岩手県盛岡市出身
180cm 90kg

通称
東北の英雄
タイトル歴
UWA&UWFインターコンチネンタルタッグ
UWA世界ウェルター
インディペンデント・ワールド・ジュニア
英連邦ジュニアヘビー
IWGPジュニア
ジュニア8冠
IWGPジュニアタッグ
NWA世界ミドル
東北ジュニア
千葉6人タッグ
UWA世界タッグ
得意技
ラ・ケブラーダ
トペ・コンヒーロ
サンダーファイヤー・パワーボム
サスケスペシャル1号(変型ラ・ケブラーダ)
サスケスペシャル2号(変型トペ・コンヒーロ)
ラム・ジャム(ダイビング・ダブル・エルボードロップ)

盛岡第三高校卒業後、新日本プロレス学校に入校。2年間トレーニングしたが新日本プロレスのテストで不合格。

1990

90年3月のユニバーサル・プロレス設立に参加。3月1日、後楽園ホールのモンキーマジック・ワキタ戦でデビュー。三度笠スタイルのMASAみちのくとして活躍。

1991

91年3月にメキシコ遠征へ出発。帰国後の11月14日、シリーズ最終戦の後楽園ホール大会でサスケスペシャル(側転して勢いをつけて場外にムーンサルトアタック)を初公開。その後、メキシコに遠征。

1992

92年8月の帰国を機にグレート・サスケに変身。11月20日にグラン浜田と組んでUWA&UWFインターコンチネンタルタッグ王座を獲得。

1993

93年3月、東北地方を本拠地とするみちのくプロレスを旗揚げ。デルフィン軍団を相手にみちのくプロレスのエースとして活躍。7月にスペル・デルフィンを破りUWA世界ウェルター級王座を獲得。10月にFMWとの共催「インディペンデント・ワールド・ジュニアヘビー級王座リーグ戦」で、超電戦士バトレンジャーを破って初代王者となった。

1994

94年4月16日、両国国技館での第1回スーパーJカップに出場。2回戦から登場し、エル・サムライと対戦。「ジュニアの巨人」サムライのパワーに苦戦したが、サスケスペシャル1号などで見せ場を作る。11分40秒、サムライのウラカン・ラナを半回転させてエビ固めで勝利。準決勝では獣神サンダーライガーと対戦。この大会で一番の人気カードが実現した。序盤は防戦一方だったが、ケブラーダ、トペ・コン・ヒーロ、サンダーファイヤー・パワーボムが炸裂。しかしライガーのカウンターの掌打で形勢逆転。高角度のライガーボムを2で返し、雪崩式フランケンシュタイナーは回転エビ固めで返した。投げっぱなしジャーマン、フィッシャーマンズ・バスターはいずれも2で返したが、ブレーンバスターで場外に投げ出された後、トップロープからのプランチャをくらってしまい場外で大の字。なんとかエプロンに上がったサスケは逆転のスワンダイブ式のウラカン・ラナをかけようとしたが、トップロープでバランスを崩しリングに落下。しかしすぐさま立ち上がり、18分9秒、勝利を確信したライガーに対してフランケンシュタイナーを決めて勝利した。決勝ではワイルド・ペガサスと対戦。ダイビングヘッドバットやパワーボムで、当時最強と謳われたペガサスに圧倒される。しかしローリングソバットで場外に落とした後「究極のトペコンヒーロ」サスケスペシャル2号を炸裂させる。場外へのブレーンバスターでペガサスを落としてから、ミサイルキックを放つが、高く飛びすぎたために受身に失敗。なんとかリングに戻り、ソバット、ラウンディングボディプレスを放つが、トップロープへ上がったところでペガサスにつかまってしまい、18分46秒、雪崩式サイド・スープレックスに敗れた。この大会で準優勝を収めたことにより全国区の人気を獲得した。10月30日、岩手産業文化センター屋外第1展示場大会で、大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流地雷爆破ダブルヘル時限爆弾デスマッチで対戦。最初に電流爆破を浴びたサスケだったが、有刺鉄線に振られたところを逆に振りかえして電流爆破させ、ニールキックで場外に転落させて地雷爆破。さらに場外の大仁田に有刺鉄線越えのサスケスペシャル2号を決め、リング上でジャーマンを決めたがカウント2。電流爆破と地雷爆破をくらい、最後は14分58秒、サンダーファイヤーパワーボムに敗れた。カウント3直後に時限爆弾が煙を噴きあげ大爆発した。

1995

95年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で保永昇男のIWGPジュニア王座に挑戦。14分39秒、ラ・マヒストラルにフォール負け。夏に覆面ワールド・リーグ戦を開催。決勝でドス・カラスに敗れた。9月にステイビー・Jを破り、英連邦ジュニアヘビー級王座を獲得。12月14日、博多スターレーン大会で中島半蔵を相手に英連邦ジュニア王座の防衛戦。15分14秒、ラウンディング・ボディプレスで圧勝。

1996

96年4月29日、新日本プロレスの東京ドーム大会でライガーのIWGPジュニア王座に挑戦。19分27秒、サンダーファイアーパワーボムからのタイガースープレックスで勝利。IWGPジュニア王座を獲得した。6月17日、新日本プロレスの日本武道館大会で2代目ブラックタイガーを相手に防衛戦。16分54秒、片エビ固めでフォール勝ち。7月21日、矢巾町民体育館大会で獅龍を相手に防衛戦。15分44秒、片エビ固めでフォール勝ち。8月2日、両国国技館でのジュニア8冠王座決定トーナメント「J・CROWN」に参戦。1回戦でNWA世界ジュニア王者の茂木正淑とダブルタイトルマッチ。11分50秒、タイガースープレックスで勝利。NWA世界ジュニア王座を獲得。8月4日、準決勝でWWA世界ジュニアライト王者とWWF世界ライト王者のエル・サムライと対戦。16分25秒、サンダーファイヤーパワーボムで勝利。8月5日、決勝で4冠王者のウルティモ・ドラゴンと対戦。13分56秒、高角度後方回転エビ固めでフォール勝ち。8冠王座を獲得した。しかし、決勝戦での場外ダイブで着地失敗。勝つには勝ったが頭蓋骨亀裂骨折の重傷を負い、長期欠場。10月10日、みちのくプロレス両国国技館大会で復帰戦を行い、ミル・マスカラス初代タイガーマスクと組んで小林邦昭ダイナマイト・キッド、ドス・カラス組と対戦。15分30秒、ドス・カラスのライガーボムにサスケがフォール負け。10月11日、WARの大阪府立体育会館大会でウルティモ・ドラゴンを相手に8冠王座の防衛戦。13分43秒、ランニング・パワーボムに敗れて8冠王座から転落。12月11日、駒沢オリンピック公園体育館大会でハヤブサと対戦。ノータッチ・トペ・コンヒーロ、ファイヤーバード・スプラッシュなどで劣勢だったが、サスケペシャル、サンダーファイヤー・パワーボムで反撃。最後は19分12秒、コーナーに合掌してから登ったところをつかまってしまい、雪崩式ファルコンアローに敗れた。

1997

97年3月1日、大阪府立臨海スポーツセンター大会でメンズ・テイオーと対戦。15分27秒、ミラクルエクスタシー2連発に敗れた。4月12日、東京ドーム大会でライガーの8冠王座に挑戦。20分8秒、雪崩式垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。

1998

98年1月10日、ECWに登場。ペンシルベニア州フィラデルフィアのECWアリーナでジャスティン・クレディブルと対戦し、14分10秒、ツームストン・パイルドライバーに敗れた。1月に右ひざを負傷し6ヶ月欠場。7月の復帰戦で右肩を脱臼し欠場。8月8日、新日本プロレスの大阪ドーム大会でライガーと対戦。15分11秒、ウラカンラナで勝利。9月10日、大宮市民体育館大会でライガーのIWGPジュニア王座に挑戦。17分13秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。

1999

99年2月、闘龍門の横浜大会でマグナム・トーキョーを王座決定戦で破りNWA世界ミドル級王座を獲得。4月10日、新日本プロレスの東京ドーム大会でライガーと組んでケンドー・カシン、ドクトル・ワグナー・ジュニア組のIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。15分55秒、ライガーが雪崩式垂直落下ブレーンバスターでワグナー・ジュニアに勝利。IWGPジュニアタッグ王座を獲得した。

2001

01年8月7日、本荘市民体育館大会でサイキックと対戦。9分47秒、セントーン・アトミコで勝利。8月11日、むつ市民体育館大会でペンタゴン・ブラック、カレーマン、アパッチェ組を相手にエイペック・オブ・トライアングル王座の防衛戦。19分43秒、4代目タイガーマスクが飛びつき式首固めでアパッチェにフォール勝ち。8月12日、青森県民体育館大会でアパッチェと対戦。11分16秒、ジプシーウェイで勝利。8月19日、ニューワールド仙台野外駐車場大会で4代目タイガーマスクと組んで邪道、外道組のIWGPジュニアタッグ王座に挑戦。18分17秒、外道のコンプリートショットにサスケが敗れた。9月13日、黒石市中央スポーツ館大会でつぼ原人と対戦。8分40秒、首固めでフォール勝ち。9月16日、名取スポーツパーク・ナスパ大会で石井智宏を相手に防衛戦。16分56秒、ウラカンラナで勝利。9月22日、名古屋市久屋大通公園エンゼルパーク大会で折原、西田、パンプ組を相手にエイペック・オブ・トライアングル王座の防衛戦。21分39秒、サスケがサンダーファイアー・パワーボムでパンプに勝利。9月23日、名古屋市久屋大通公園エンゼルパーク大会でサイキックと対戦。7分54秒、セントーン・アトミコで勝利。10月19日から始まった「みちのくふたり旅」に折原昌夫と組んで参戦。3勝2引き分け1無効試合でリーグ戦を突破。11月2日、アメニティパーク倶楽部ハウス大会での優勝決定戦でディック東郷、外道組と対戦。21分21秒、東郷のアンクルホールドに折原が敗れた。11月23日、FMWの横浜文化体育館大会で金村キンタローのWEWシングル王座に挑戦。15分48秒、サンダーファイアー・パワーボム2連発に敗れた。11月26日、大分県立荷揚町体育館大会で東郷、カレーマン、サンダーバード・コモ組を相手にエイペック・オブ・トライアングル王座の防衛戦。18分18秒、サスケがセントーン・アトミコでコモに勝利。11月29日、北九州市立小倉北体育館大会でサンダーバード・コモと対戦。10分1秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。12月1日、倉敷市倉敷体育館大会でカレーマンを相手に防衛戦。15分5秒、ウラカンラナを切り返してのエビ固めでフォール勝ち。12月3日、バトラーツの浜名湖競艇場サンホール大会で湯浅和也と対戦。10分38秒、セントーン・アトミコで勝利。12月22日、後楽園ホール大会でサスケ・ザ・グレートと組んでディック東郷、外道組のインターコンチネンタルタッグ王座に挑戦。21分18秒、サスケ・ザ・グレートがライガーボムで東郷に勝利。インターコンチネンタルタッグ王座を獲得した。12月23日、桂スタジオ大会でディック東郷、外道、石井智宏組を相手にエイペック・オブ・トライアングル王座の防衛戦。17分20秒、4代目タイガーマスクがコーナー最上段からの雪崩式ダブルアームスープレックスで石井に勝利。

2002

02年1月14日、Zepp Sendai大会で外道を相手に防衛戦。25分14秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。2月3日、大日本プロレスの後楽園ホール大会で伊東竜二と対戦。9分31秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。3月3日、ツインメッセ静岡大会でリッキー・フジを相手に防衛戦。13分9秒、セントーン・アトミコで勝利。3月17日、矢巾町民総合体育館大会で折原昌夫を相手に防衛戦。22分35秒、ファーイーストコネクションの乱入により反則勝ち。5月6日、岩手県営体育館大会でディック東郷と対戦。16分29秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。7月6日、メビウスの越谷桂スタジオ大会で折原昌夫、ディック東郷組を相手にエイペックス・オブ・トライアングル王座の防衛戦。16分13秒、折原のムーンサルトプレスにサスケが敗れて王座転落。7月20日から始まった東北ジュニアヘビー級初代王座決定リーグ戦に参戦。開幕戦の矢巾町民総合体育館大会でメタルマスターと対戦。10分18秒、雪崩式バックドロップに敗れた。7月21日、ビッグパレットふくしま大会で愚乱・浪花と対戦。13分42秒、旋回式ドクターボムに敗れた。7月23日、ジョディ・フラッシュ戦は不戦勝。7月26日、釜石市民体育館大会で石井智宏と対戦。12分51秒、セントーン・アトミコで勝利。7月28日、河北町民体育館大会で日高郁人と対戦。13分48秒、ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ・ホールドでフォール勝ち。8月1日、二戸ショッピングセンターニコア屋上駐車場大会でつぼ原人と対戦。9分59秒、腕ひしぎ逆十字固めをエビ固めに切り返してフォール勝ち。8月3日、弘前市河西体育センター大会で西田ヒデキと対戦。9分34秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。8月4日、秋田市立茨島体育館大会で北海珍念と対戦。2分、ロメロスペシャルで勝利。8月10日、古川市総合体育館大会で4代目タイガーマスクと対戦。10分、首固めでフォール勝ち。8月11日、青森県民体育館サブアリーナ大会で湯浅和也と対戦。14分59秒、セントーン・アトミコで勝利。8月14日、米沢市営体育館大会でカレーマンと対戦。20分時間切れ引き分け。8月15日、新潟フェイズ大会でディック東郷と対戦。14分20秒、DDTに敗れた。8月17日、福島市国体記念体育館サブアリーナ大会で折原昌夫と対戦。10分54秒、ムーンサルトプレスに敗れた。8月22日、むつ市民体育館大会でマッチョ・パンプと対戦。9分58秒、セントーン・アトミコで勝利。8月24日、ウエルサンピア山形大会でペンタゴン・ブラックと対戦。6分54秒、両者リングアウト。リーグ戦は9勝4敗2引き分けに終わった。10月5日から始まった「みちのくふたり旅」にTAKAみちのくと組んで参戦。10月16日、戸沢村中央公民館体育館大会でヨネ原人と対戦。9分15秒、どよまんスープレックスで勝利。リーグ戦は5勝2引き分けで終了。10月20日、青森県民体育館サブアリーナ大会でカレーマン、ハヤシライスマン組、新崎人生、湯浅和也組を相手に優勝決定巴戦を行い、惜しくも優勝を逃した。12月9日、戸田競艇場イベントホール大会でヤス・ウラノと対戦。8分8秒、卍固めで勝利。同日のメインでザ・?と対戦。8分14秒、セントーン・アトミコで勝利。

2003

03年1月13日、Zepp Sendai大会でディック東郷の東北ジュニアに挑戦。18分、ダイビング・セントーンに敗れた。3月2日、後楽園ホール大会でMIKAMIと対戦。16分41秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。3月8日、南国市立市民体育館大会でメタルマスターを相手に防衛戦。14分12秒、セントーン・アトミコで勝利。3月15日、岩手県営体育館大会でTAKAみちのくと対戦。16分36秒、ジャスト・フェイスロックに敗れた。3月18日、横手平鹿広域圏民体育館大会でミッシェル・スターと対戦。17分12秒、卍固めで勝利。3月20日、江刺市体育文化会館大会でディスコ・フューリーと対戦。14分46秒、グラウンド卍固めで勝利。3月21日、福島市体育館大会で池田くんと対戦。20分48秒、セントーン・アトミコで勝利。3月22日、鹿島台町鎌田記念ホール大会でつぼ原人と対戦。10分45秒、卍固めで勝利。3月26日、三川町民体育館大会でミッシェル・スターと対戦。20分45秒、卍固めで勝利。4月13日、岩手県議員選挙でトップ当選。覆面レスラー議員として活躍。4月26日、矢巾町民総合体育館大会で池田くんと対戦。7分5秒、セントーン・アトミコで勝利。同日から始まったみちのくトリオリーグにサス原人に変身し、フジ原人(リッキー・フジ)、つぼ原人と組んで参戦。4月28日、矢板市農業者トレーニングセンター大会で池田くんと対戦。11分30秒、セントーン・アトミコで勝利。トリオリーグは4敗1引き分けに終わった。5月5日、ニューワールド仙台テニスクラブ大会でウルティモ・ドラゴンを相手に防衛戦。19分10秒、ドラゴンスリーパーに敗れて王座転落。30度目の防衛に失敗した。6月にみちのくプロレスの社長を辞任。7月20日から始まったふく面ワールドリーグに参戦。開幕戦の矢巾町民総合体育館大会でアトランティスと対戦。20分6秒、ケブラドーラ・トド・アルトに敗れた。7月27日、ビッグパレットふくしま大会でステルスと対戦。14分54秒、卍固めで勝利。7月31日、湯田町農業者トレーニングセンター大会でジャワ原人と対戦。15分28秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。8月3日、古川市総合体育館大会でケンドー・カシンと対戦。16分57秒、KVニーロックに敗れた。8月10日、青森産業会館大会でスーパー・モアイと対戦。15分33秒、卍固めで勝利。8月14日、新潟フェイズ大会で死国衛門三郎と対戦。23分12秒、逆エビ固めで勝利。この試合で胸椎を損傷して長期欠場。その後のリーグ戦は不戦敗となった。9月6日、全日本プロレスの日本武道館大会でケンドー・カシンの世界ジュニア王座に挑戦。15分5秒、腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。9月6日、WMFのディファ有明大会でアジアン・クーガーと対戦。8分11秒、回転エビ固めをエビ固めに切り返してフォール勝ち。9月21日、大田区体育館での「掣圏(SEIKEN)」でザ・マスク・オブ・タイガーと対戦。19分39秒、MOAB(バク宙キック)に敗れた。9月23日、安比高原スキー場ザイラーゲレンデ特設リング大会で大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破地雷ボードデスマッチ。21分59秒、首固めでフォール勝ち。11月2日、有明コロシアムで創立10周年記念興行を開催。メインでデルフィンと対戦。20分51秒、デルフィンスペシャル2号に敗れた。

2004

04年2月22日、後楽園ホール大会で12人参加の時間差入場バトルロイヤルに勝利して東北ジュニア王座への挑戦権を獲得。3月14日、歌舞伎町クラブハイツで「第1回サスケ祭り〜俺こそスターだ!〜」を開催。サス原人に扮し、フジ原人、つぼ原人と組んでマスクドチェリー、稲妻サンダー、あやの組と対戦し、9分40秒、没収試合。同大会でサバイバル飛田、佐野直、ガマ親分とイリミネーションマッチ。10分54秒、サンダーファイアー・パワーボムでガマ親分に勝利。8分12秒、片エビ固めに押さえこんで飛田にフォール勝ち。9分21秒、卍固めで佐野に勝利した。同大会のメインではやて、池田誠志と組んで折原昌夫、マッチョ☆パンプ、カカオ・キッド組と対戦。20分19秒、サスケがセントーン・アトミコでカカオ・キッドに勝利。3月28日、Zepp Sendai大会でアトランティスの東北ジュニア王座に挑戦。24分3秒、サスケスペシャルXで勝利。東北ジュニア王座を獲得した。4月30日、長野・本郷体育館大会でマッチョ☆パンプと対戦。11分52秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。5月1日、新潟フェイズ大会で井上亘と対戦。15分13秒、トライアングルランサーをエビ固めに切り返してフォール勝ち。5月2日、長岡市厚生会館大会でマッチョ☆パンプと対戦。12分55秒、セントーン・アトミコで勝利。5月5日、青森県産業会館大会で原学と対戦。13分16秒、どよまんスープレックスで勝利。5月9日、ニューワールド仙台テニスクラブ大会でマッチョ☆パンプと対戦。14分48秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。5月18日、国分市屋内運動場大会で池田誠志と対戦。17分13秒、セントーン・アトミコで勝利。6月13日、山形市総合スポーツセンターサブアリーナ大会で藤田ミノルを相手に防衛戦。25分15秒、サスケスペシャルXヴァージョン10.2セグウェイ(ものまね禁止)で勝利(以降、セグウェイと表記)。6月19日、札幌テイセンホール大会で中嶋勝彦と対戦。11分43秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。7月24日、中田町勤労者体育センター大会で池田誠志と対戦。21分50秒、セグウェイで勝利。8月1日、古川市総合体育館大会でマッチョ☆パンプと対戦。18分14秒、コーナー最上段からダイブしての飛びつき回転エビ固めでフォール勝ち。8月10日、花泉町民体育館大会でタナカジュンジと対戦。15分45秒、セグウェイで勝利。8月11日、むつ市民体育館大会で池田誠志と対戦。9分42秒、セグウェイで勝利。8月12日、黒石市中央スポーツ館大会でタナカジュンジと対戦。10分26秒、セグウェイで勝利。8月13日、鶴岡市体育館大会で気仙沼二郎と対戦。12分17秒、セグウェイで勝利。8月16日、大船渡市三陸町越喜来漁港大会で気仙沼二郎と対戦。9分37秒、セグウェイで勝利。9月10日、後楽園ホール大会でアン・ジョーと対戦。7分53秒、飛びつき式エビ固めにフォール負け。9月18日、 K−DOJOのディファ有明大会でTAKAみちのくと対戦。17分26秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。9月20日、ハッスルの横浜アリーナ大会でジャイアント・シルバと対戦。8分43秒、ボディプレスに敗れた。10月9日から始まったみちのくふたり旅タッグリーグ戦にガルーダと組んで参戦。5勝2敗でリーグ戦を終了。10月23日、福島市体育館大会で湯浅和也、気仙沼二郎組と優勝戦進出者決定戦。8分51秒、湯浅のXクローザーにガルーダが敗れた。11月23日、サンシャイン浪江大会でコモ・レオパルドと対戦。9分39秒、セグウェイで勝利。12月24日、ハッスルの後楽園ホール大会でカンフーハッスル仮面に変身して、サタン・サンタと対戦。8分20秒、回転エビ固めでフォール勝ち。

2005

05年1月27日、レジェンド・チャンピオンシップの国立代々木競技場・第2体育館大会でのレジェンド・チャンピオンシップトーナメントに参戦し、1回戦でサスケ・ザ・グレートと対戦。10分7秒、折原昌夫の乱入で反則勝ち。決勝戦は不戦敗に終わった。2月5日、Blue Field大会で大間まぐ狼と対戦。11分36秒、セグウェイで勝利。2月11日、越谷桂スタジオ大会で景虎と対戦。10分35秒、みちのくドライバー2で勝利。2月12日、深谷市民体育館大会で野橋真実と対戦。11分32秒、ジャスト・ヘッドロックで勝利。2月19日、K−DOJOのサンビレッジ紫波大会で世界ジュニア&STRONGEST−K王者のTAKAみちのくを相手にトリプルタイトルマッチ。17分39秒、両者リングアウト。延長戦が行われ、8分26秒、みちのくドライバー2に敗れて王座転落。3月26日、国東町営体育館大会で気仙沼二郎と対戦。16分50秒、セグウェイで勝利。4月8日、十和田市民体育館大会で119小暮隊員と対戦。9分51秒、セグウェイで勝利。5月29日、東松島市民体育館大会で景虎と対戦。11分29秒、セグウェイで勝利。7月3日、鳴子町スポーツセンター大会で野橋真実と対戦。16分14秒、セグウェイで勝利。7月9日、青森産業会館大会でディック東郷と組んで新崎人生、GAINA組の東北タッグ王座に挑戦。26分56秒、サスケがセグウェイで人生に勝利。東北タッグ王座を獲得した。7月10日、JRA福島競馬場・馬場内広場大会で景虎と対戦。10分時間切れ引き分け。8月6日、白河市中央体育館大会でダイナマイト東北と対戦。11分40秒、セグウェイで勝利。9月18日、秋田拠点センターAL☆VE大会でTAKAみちのく、Gamma組を相手にタッグ王座の防衛戦。23分7秒、サスケが前方回転エビ固めでGammaにフォール勝ち。10月9日、山内村民体育館大会でマッチョ☆パンプと組んでみちのくふたり旅タッグトーナメントに参戦し、1回戦で男盛、大間まぐ狼組と対戦。12分18秒、男盛の変型腕ひしぎ逆十字固めにパンプが敗れた。10月22日、福島市体育館大会でGammaとキューバンデスマッチ。30分6秒、ワキ固めで勝利。10月30日、新潟フェイズ大会で遮那王と対戦。20分17秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。12月3日、山形市総合スポーツセンターサブアリーナ大会で遮那王、ラッセ組を相手にタッグ王座の防衛戦。22分18秒、東郷がダイビング・セントーンで遮那王に勝利。

2006

06年1月15日、Zepp Sendai大会で佐藤秀、佐藤恵組を相手にタッグ王座の防衛戦。16分52秒、サスケがセグウェイで秀に勝利。3月21日、八戸シーガルビューホテル体育館大会で大間まぐ狼と対戦。10分39秒、佐藤秀、佐藤恵の乱入により反則勝ち。4月23日、ニューワールド仙台テニスクラブ大会で新崎人生、GAINA組を相手にタッグ王座の防衛戦。20分23秒、人生の極楽固めにサスケが敗れて王座転落。4月30日、新潟フェイズ大会で佐藤秀とマスカラ・コントラ・カベジェラ〜10メートル・ロングチェーンデスマッチ。28分45秒、セグウェイでKO勝ち。5月6日、福島市体育館大会で気仙沼二郎と対戦。17分15秒、セグウェイで勝利。5月20日、青森産業会館大会で男盛と対戦。13分42秒、もろ出しにより勝利。6月10日、矢巾町民総合体育館大会で野橋真実と対戦。17分12秒、ワキ固めで勝利。9月2日、矢巾町民総合体育館大会でKen45°と対戦。12分16秒、サスケスペシャルXヴァージョン10.1で勝利。9月16日、大阪プロレスの大阪・IMPホール大会でタイガースマスクと対戦。20分11秒、セグウェイで勝利。10月8日、岩手県営体育館大会でスペル・デルフィンの東北ジュニア王座に挑戦。21分4秒、ジャーマンスープレックスで勝利。東北ジュニア王座を獲得した。10月21日、福島・保原体育館大会で松山勘十郎と組んでみちのくふたり旅タッグトーナメントに参戦し、1回戦でえべっさん、くいしんぼう仮面組と対戦。11分33秒、くいしんぼうの首固めに松山がフォール負け。11月18日、覆面マニアの新木場1stRING大会でミステル・カカオと対戦。18分47秒、セグウェイで勝利。11月19日、新潟フェイズ大会でGAINAを相手に防衛戦。18分27秒、ラリアットに敗れて王座転落。

2007

07年1月14日、仙台港国際ビジネスサポートセンター「アクセル」大会でフジタ“Jr”ハヤトと対戦。9分26秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。3月、岩手県知事選に立候補したが落選。8月30日、後楽園ホール大会でふく面ワールドリーグ戦の決勝トーナメントに参戦し、1回戦でウルティモ・ドラゴンと対戦。5ヶ月ぶりのリング復帰となった。19分29秒、アサイDDT2連発、キック、アサイDDTの連続攻撃に敗れた。試合後、ウルティモは「サスケ、政界よりもこのリングの方がいいだろ。だけどな、オマエが政治の世界に入って休んでた間、このプロレス界、そんなに甘くないぞ。オマエならプロレスの世界でもまた一からやり直せる。みちのくプロレスはオマエがいなきゃダメだ」とマイクして退場。サスケは「こうなったら、とことん、死ぬまでやらせてください。そして、私のこれまでの人生、リングの中でも外でも敗北と後悔の繰り返し。しかし、絶対に絶対にオレはあきらめません。なぜなら、皆さんが1人でもいる限り、みちのくプロレスは永遠に不滅だ!」と叫んでリングを降りた。10月13日、一関市総合体育館大会でしばてんと対戦。8分8秒、鉄柱越えのライダーキックを決めてリングアウト勝ち。10月27日、新宿FACE大会で義経と組んでみちのくふたり旅タッグトーナメントに参戦し、1回戦で佐藤秀、佐藤恵組と対戦。13分6秒、両者リングアウト。再試合は1分49秒、両者リングアウト。再々試合は会場入り口封鎖変則ランバージャックルールで行われ、8分50秒、義経がスワンダイブ式ファイアーバードスプラッシュで恵に勝利。11月9日、山形市総合スポーツセンター大会で曙と対戦。1190人の超満員の会場で、鉄柱越えのキックやトペ・コンヒーロで攻めたが、試合終盤に全体重をかけたセカンドロープからのバックフリップを受け、6分40秒、ボディプレスに敗れた。11月23日、矢巾町民総合体育館大会での準決勝で景虎、ラッセ組と対戦。19分47秒、義経がシューティングスタープレスでラッセに勝利。12月27日、和志組の新木場1stRING大会でグレート・カズシ(宮本和志)と対戦。12分42秒、カズシがレフリーを暴行して反則勝ち。

2008

08年1月13日、矢巾町民総合体育館大会で気仙沼二郎と対戦。15分42秒、両者リングアウト。1月14日、仙台市仙台港ビジネスサポートセンター・アクセル大会で義経と組んで景虎、ラッセ組の東北タッグ王座に挑戦。28分43秒、義経がシューティングスタープレスでラッセに勝利。東北タッグ王座を獲得した。1月23日、ZERO1−MAXの後楽園ホール大会で気仙沼二郎と組んで藤田ミノル、菅原拓也組のNWAインターコンチネンタルタッグ王座に挑戦。12分10秒、菅原の十三不塔に沼二郎が敗れた。2月17日、新宿FACE大会で12人参加の時間差バトルロイヤルに勝利して東北ジュニア王座への挑戦権を獲得。3月5日、ZERO1−MAXの福島市国体記念体育館サブアリーナ大会でグレート・フジタミノルとマスカラ・コントラ・マスカラ。12分6秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。3月8日、矢巾町民総合体育館大会で義経の東北ジュニア王座に挑戦。場外にダウンする義経にトップロープ越えのトペ・アトミコでまっさかさまにダイブするなど、正攻法の試合を展開。サンダーファイヤー・パワーボムを返され、最後は21分15秒、シューティングスタープレスに敗れた。試合後に「まさに世代交代しちゃったのかなと」、「これからはもう義経の時代」と語り、みちのくプレロレスでのエース交代を明言。4月24日、エルドラドの後楽園ホール大会で“brother”YASSHIと対戦。12分55秒、セグウェイで勝利。6月22日、覆面マニアの新木場1stRING大会でカルガリー・タイガー(リッキー・フジ)と組んでマッチョ☆パンプ、斗猛矢組のCDDIタッグ王座に挑戦。22分5秒、マッチョのマッチョクラッチにタイガーがフォール負け。6月28日、WMFの新木場1stRING大会で藤田峰雄と対戦。22分2秒、サンダーファイアーパワーボムで勝利。8月9日から始まった鉄人に参戦。開幕戦の岩手・IBCホール大会でタイガースマスクと対戦。4分29秒、変型タイガーススープレックスに敗れた。8月10日、岩手・IBCホール大会で南野タケシと対戦。6分38秒、まぐ狼が乱入してレフリーを暴行し反則勝ち。8月13日、福島・たまかわ文化体育館大会で気仙沼二郎と対戦。19分38秒、セントーン・アトミコで勝利。8月15日、岩手・IBCホール大会で第八代ダイナマイト東北と対戦。15分28秒、ダイビング・ボディプレスをヒザで迎撃した直後にエビ固めでフォール勝ち。8月17日、岩手・IBCホール大会で大間まぐ狼と対戦。3分53秒、セグウェイで勝利。9月5日、岩手・IBCホール大会で日向寺塁と対戦。8分32秒、横入り式回転エビ固めでフォール勝ち。9月6日、岩手・IBCホール大会で愛澤No.1と対戦。5分、リングアウト勝ち。9月7日、岩手・IBCホール大会で野橋真実と対戦。20分時間切れ引き分け。9月13日、岩手・IBCホール大会で気仙沼二郎と対戦。6分29秒、沼絞めに敗れた。9月14日、岩手・IBCホール大会でラッセと対戦。20分時間切れ引き分け。リーグ戦は5勝2敗2引き分けに終わった。9月26日、メビウスの新宿FACE大会でエル・メホール・デ・マスカラード・トーナメントに参戦し、1回戦でレイ・クバーノ(ディック東郷)と対戦。5分20秒、セグウェイで勝利。ドクロマンズに殴られて失神。同日の準決勝でSASUKEとして登場し、タイガー・シャークと対戦。6分、サルディーナクラッチで勝利。同日の決勝でブオ・モチェロと対戦。13分46秒、サンダーファイアー・パワーボムで勝利。初代エル・メホール・デ・マスカラード王者となった。黄金のマスクと王者のマント(エル・メホール・デ・マスカラード)を獲得した。9月28日、勾当台公園仙台市民広場大会で気仙沼二郎と対戦。15分59秒、セグウェイで勝利。10月4日、岩手・IBCホール大会でウルトラマンロビンと組んでみちのくふたり旅タッグトーナメントに参戦し、1回戦で佐藤秀、佐藤恵組と対戦。12分8秒、恵の首固めにロビンがフォール負け。10月13日、三本木ショッピングセンター・カウボーイ駐車場大会で気仙沼二郎と対戦。14分29秒、セントーン・アトミコで勝利。10月30日、ZERO1−MAXの後楽園ホール大会で天下一ジュニアトーナメントに参戦し、1回戦で高岩と対戦。12分48秒、ラリアットに敗れた。11月23日、仙台港ビジネスサポートセンター・アクセル大会でMEN’Sテイオー、忍組を相手にタッグ王座の防衛戦。22分14秒、義経がシューティングスタープレスで忍に勝利。12月4日、リアルジャパンプロレス後楽園ホール大会でのレジェンド王座決定戦でアレクサンダー大塚と対戦。16分33秒、SSDに敗れた。12月26日、メビウスの新宿FACE大会で大原はじめを相手にエル・メホール・デ・マスカラードの防衛戦。9分54秒、ムイビエンに敗れて王座転落。12月29日、ソウル・コネクションの後楽園ホール大会でランジェリー武藤と対戦。8分37秒、足4の字固めをひっくり返してギブアップ勝ち。

2009

09年2月7日、ZERO1の千葉ポートアリーナ大会で浪口と組んで日高組のNWAインターナショナルライトタッグ王座に挑戦。18分、澤の卍固めに浪口が敗れた。2月19日深夜、電車内で乗客に携帯電話のカメラで撮影されたのに腹をたてて暴行を加え、現行犯逮捕された。21日に処分保留で釈放。5月4日、ハッスルの横浜文化体育館大会で川田利明と対戦。5分54秒、パワーボムに敗れた。試合後に「これからは人様にご迷惑をかけることなく、バカに生きさせてもらいます。この後、ロビー売店で記念撮影会を行います。バカでボロカスな自分ですが、前から、後ろから、斜めからでも大いに撮ってください。ありがとうございました」とマイクアピール。6月9日、K−DOJOの後楽園ホール大会でTAKAみちのくのSTRONGEST−K王座に挑戦。22分52秒、みちのくドライバー2に敗れた。試合後、「あんたはやっぱり偉大な、グレートなサスケだよ!1回勝ったぐらいじゃ越えていない」とTAKAにマイクで健闘を称えられた。6月19日、「ザ・グレート・サスケ20周年突入ツアー」開幕戦となる、みちのくプロレスの後楽園ホール大会でフジタ“Jr”ハヤトの東北ジュニア王座に挑戦。ハヤトの鋭い打撃技に対し、トペ・コンヒーロやライダーキック、セントーンアトミコ自爆など出し惜しみなしの動きで好勝負を展開。28分21秒、ヘルム(顔面へのヒザ蹴り)に敗れた。試合後には「あと10年はがんばろうと思います」と、30周年まで現役続行を宣言した。7月9日、新宿FACEでの「NOSAWA BOM・BA−YE 5」でウルティモ・ドラゴン、スペル・クレイジーを相手に対戦。ウルティモとの連携攻撃で幾度となく誤爆をくり返し、終盤にはお互いのマスクをはがしあう展開となった。試合は10分40秒、クレイジーのエビ固めにサスケがフォール負け。試合後にウルティモが「もうそろそろ、おれとサスケ、最終決着をつける時じゃないか?」、「おれたちの旬はとっくに過ぎてるんだよ」とマイクし、サスケが「イヤイヤイヤ!悪いけど、おれ、今が旬ですよ!」と返答。「それは違う意味でだろ」とウルティモが否定し、マスカラ・コントラ・マスカラでの対戦を要求。「師匠、おれは絶対に負けませんから!」とサスケがこれを受けてたった。8月23日、DDTの両国国技館大会で高木三四郎とウェポンランブルシングルマッチで対戦。熱々おでん、自転車、バンビのムチ攻撃などが乱れ飛ぶ試合で、会場内に設置されたスクリーンの映像で観客に催眠術をかけるなど本領発揮。携帯電話で写真を撮られる精神攻撃や高木嫁の加代子夫人のムーンサルトプレス、サスケ嫁のメリー夫人の竹刀攻撃を浴びて、最後は和桶をかぶってのトペアトミコ自爆が致命傷となり、21分25秒、シットダウンひまわりボム・オン・ザ・ロッカーに敗れた。9月からみちのくプロレスの社長に復帰。9月26日、石巻市網地島の白浜海水浴場での特設リングで気仙沼二郎を相手にエニウェアフォールデスマッチで対戦。浜辺や波打ち際で激闘をくり広げ、コスチュームを脱ぎ捨ててTバックで戦い、22分32秒、サンダーファイアーパワーボムからの卍固めで勝利。9月27日、DDTの後楽園ホール大会で高木三四郎と組んでKUDO、ウラノ組のKO−Dタッグ王座に挑戦、20分54秒、KUDOのダイビング・ダブルニードロップに高木が敗れた。12月12日、みちのくプロレスの後楽園ホール大会のメインでライガーと組んで佐藤秀、佐藤恵組と対戦(第4次宇宙大戦争)。十字架に磔にされたウルトラマンロビンを救出するため、ライガーと共にウルトラマン化したコスチュームに身を包み、謎のオブジェや鉄腕アトムの人形や和桶が入り混じる大激戦を展開。23分29秒、ライガーが空中胴締め落としで恵に勝利。試合後に、ライガー、ロビンと組んで秀、恵、ゼットン、メフィラス星人組を相手に延長戦。1分9秒、サスケがセグウェイでメフィラス星人に勝利した。12月20日、新木場1stRINGでの「飛鳥仮面FIESTA」でサムライ、NOSAWA論外と組んでドス・カラス、ウルティモ・ドラゴン、グラン浜田組と対戦。14分48秒、ドスのカンパーナにサムライが敗れた。試合後の控え室でドス・カラスに覆面剥ぎマッチを要求し、乱闘した。

2010

10年4月11日、DDTの新木場1stRING大会でMIKAMIと対戦。20分27秒、ディープ“M”インパクトに敗れた。6月11日、後楽園ホールで20周年記念大会を開催。ディック東郷と組んでTAKAみちのく、FUNAKI組と対戦。ロック・ドキュメンタリー映画「アンヴィル!」に影響されているサスケはギターをかき鳴らして入場。トペ・アトミコの自爆など普段通りのファイトを続け、21分47秒、東郷のダイビングセントーンからサスケがサンダーファイヤーパワーボムでTAKAに勝利。「今日は私個人で20周年。でも、30年、40年、50年ではもう終わってる。だから今しかない。絶対に、ロックスターになるんだ!みなさんがいる限り、みちのくプロレスは永遠に不滅だ!」と試合後にマイクで叫んだ。8月25日、フリーダムズの新木場1stRING大会(葛西純プロデュース興行)でデスマッチトーナメントに出場。1回戦で葛西と対戦。セントーンアトミコをかわされてラダーと蛍光灯の上に落下するなど持ち味を発揮したが、20分16秒、パールハーバースプラッシュwith蛍光灯束&ラダーに敗れた。8月29日、新宿FACEでのアレクサンダー大塚デビュー15周年記念大会に出場し、藤原と組んで大塚、人生組と対戦。スキンヘッド限定マッチだったため、坊主にしてお面のようなマスクで出場した。20分34秒、大塚のドラゴンスープレックスにサスケがフォール負け。10月から剣舞と組んでノアのジュニアタッグリーグ戦に参戦。10月18日、小山市立文化センター大会で石森マルビン組と対戦し、13分41秒、石森の450°スプラッシュに剣舞が敗れた。10月19日、福島市国体記念体育館大会でエディ・エドワーズロデリック・ストロング組と対戦し、13分42秒、サスケのセグウェイでエドワーズに勝利。10月24日、札幌テイセンホール大会で中嶋、梶原組と対戦し、17分49秒、中嶋のサッカーボールキックに剣舞がフォール負け。10月26日、新潟市体育館大会でKENTA青木組と対戦し、18分48秒、青木のダイビングボディプレスに剣舞がフォール負け。この結果、1勝3敗でリーグ戦に敗退した。10月30日、ノアの後楽園ホール大会でディック東郷と組んで金丸平柳組と対戦。14分31秒、東郷のダイビングセントーンの直後にサスケがセグウェイを決めて平柳に勝利。11月7日、岩手県営体育館大会で拳王の東北ジュニア王座に挑戦。黒のショートタイツでリングイン。試合前から右ヒザを痛め、ニーブレスを付けての試合となった。ローキックや膝十字固めなどで右ヒザを攻撃されて防戦一方。鉄柱越えのトペコンヒーロやセグウェイや新型セグウェイで反撃し、最後は35分21秒、右ハイキックをかいくぐり、左足を抱えてダウンさせての片エビ固めでフォール勝ち。東北ジュニア王座を獲得した。

2011

11年3月11日、自らのバンド「クレイジークルー」のライブのため盛岡劇場に楽屋入りしていた時に大地震に遭遇。そのまま劇場に避難し、当日のライブ、12日の矢巾大会、13日の仙台大会は延期。3月23日から28日まで、みちのくプロレスの九州巡業をチャリティ大会として開催。4月15日から3日間、ペンシルベニア州フィラデルフィアのアサイラム・アリーナで、人生、ディック東郷と組んでCHIKARAプロレスの6人タッグトーナメント「キング・オブ・トリオズ」に参戦。惜しくも準決勝で敗れたが現地で大絶賛を浴びた。5月8日、矢巾町民総合体育館大会で日向寺塁を相手に防衛戦。徹底した腰攻めをくらって、31分55秒、ムーンサルトプレスからの逆エビ固めに敗れて東北ジュニア王座から転落。5月26日から新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアに初参戦。初戦の後楽園ホール大会ではTAKAみちのくと対戦。9分57秒、卍固めで勝利。5月28日、ディファ有明大会でライガーと対戦。コーナー最上段から場外へのトペアトミコを成功させ、最後は17分35秒、卍固めで勝利。この試合で脇腹を痛めてしまい、以後は大きなテーピングを貼っての出場となった。5月29日、後楽園ホール大会で田口と対戦。15分39秒、ミラノ作・どどんスズスロウンに敗れた。6月2日、豊橋市総合体育館・第2競技場大会でKUSHIDAと対戦。2分47秒、飛び込み式エビ固めで勝利。6月3日、岩出市立市民総合体育館大会で佐々木大輔と対戦。4分5秒、飛び込み式エビ固めで勝利。6月4日、KBSホール大会でマスカラ・ドラダと対戦。4分28秒、グラウンド卍固めで勝利。6月5日、みちのくプロレスの後楽園ホール大会で、みちのくプロレスでのラストマッチとなったディック東郷と対戦。15分38秒、野橋、ラッセが乱入し、無効試合。試合後、デルフィンがサスケ組の救出に現れた。そのまま東郷、デルフィンと組んで野橋、ラッセ、ウルティモ・ドラゴン組と急遽対戦。4分23秒、東郷がダイビングセントーンでラッセに勝利した。6月7日、ディファ有明大会で飯伏幸太と対戦。11分46秒、高角度サンダーファイヤーパワーボムに敗れた。6月8日、ディファ有明大会で外道と対戦。序盤で丸め込み技を連発し、場外に落としてドロップキックを決めたが、場外戦で脇腹を攻撃されて動きが止まり、最後は9分9秒、ボディへのパントキックに敗れた。田口、KUSHIDAと共に5勝3敗の2位となったが、直接対決で同点2位の田口に負けていたため、惜しくもリーグ戦に敗退した。10月25日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会のメインで初代タイガーマスクと対戦。12分13秒、アームロックに敗れた。

2012

12年3月16日、リアルジャパンプロレスの後楽園ホール大会のメインで初代タイガーマスクと組んで大仁田、矢口組と対戦。9分53秒、タイガーマスクがタイガースープレックスホールドで矢口に勝利。3月20日、IGFの福岡国際センター大会でウルティモ・ドラゴンと対戦。6分44秒、アサイDDTに敗れた。5月11日、新宿FACEでの大仁田の自主興行で初代タイガーマスク、グラン浜田と組んで大仁田、矢口、保坂組と有刺鉄線ボードストリートファイトデスマッチで対戦。15分20秒、大仁田と矢口の合体サンダーファイヤーパワーボムに初代タイガーマスクが敗れた。6月1日、KAIENTAI−DOJOの後楽園ホール大会のメインで真霜拳號のSTRONGEST−K王座に挑戦。22分52秒、垂直落下式ブレーンバスターに敗れた。9月1日、ふく面ワールドリーグ戦に出場。仙台産業展示館での1回戦でビジャノ4号と対戦。8分50秒、フロントネックロックで勝利。同日の2回戦でヒートと対戦。20分18秒、グラウンド卍固めで勝利。9月2日、岩手県営体育館大会での準決勝でウルティモ・ドラゴンと対戦。2分18秒、左腕を集中攻撃して、腕ひしぎ十字固めで勝利。同日の決勝でライガーと対戦。17分59秒、延髄斬りからの卍固めで勝利。ふく面ワールドリーグ戦で初優勝。9月8日、全日本プロレスの後楽園ホール大会でKENSOと組んで西村井上雅央組と対戦。10分28秒、サスケがセグウェイで井上に勝利。試合後のリング上で、KENSOから世界最強タッグ決定リーグ戦へのタッグ結成を求められ、握手で応えた。11月17日、みちのくプロレスのベストウェスタンホテル仙台大会での気仙・沼ジローラモ(ヨネ原人)デビュー20周年記念試合に出場。デルフィン、ウルティモ・ドラゴンと組んで新崎人生、ヨネ原人、シーサー王と対戦。14分34秒、ウルティモのアサイDDTから、デルフィンがスイングDDTを決めてヨネ原人に勝利。11月17日からはじまった全日本プロレスの世界最強タッグ決定リーグ戦にKENSOと組んで参戦するはずだったが、11月20日、全日本プロレスの銅夢にいはま大会での試合中に左肩甲骨骨折の重傷を負い、欠場。公式戦を1試合もしないまま、リーグ戦は全試合不戦敗に終わった。

2013

13年12月、恒例となった「宇宙大戦争」でバラモン兄弟と意気投合。

2014

14年1月、バラモン兄弟と「ムーの太陽」を結成。兄弟から「メシア」と崇めたてまつられ、宗教じみたヒールユニットとして活躍。6月8日、後楽園ホール大会でバラモンケイと組んで人生、気仙沼二郎組の東北タッグ王座に挑戦。リング中央で瞑想を始めるなど不可解なファイトを続け、18分34秒、メシア降臨で勝利。東北タッグ王座を獲得。シュウがメインで東北ジュニア王座を防衛したため「ムーの太陽」がみちのくプロレスの王座を独占した。7月21日、仙台市ベストウェスタンホテル大会でウルティモ・ドラゴン、ラッセ組を相手にタッグ王座の防衛戦。17分48秒、メシア降臨でラッセに勝利。7月7日、東京愚連隊の新宿FACE大会のメインでFUJITAの東京世界ヘビー級王座に挑戦。23分13秒、ツームストンパイルドライバーからのサスケだましに敗れた。9月20日、矢巾町民総合体育館大会で 佐々木大地、郡司歩組を相手にタッグ王座の防衛戦。18分23秒、ケイが飛びつき腕ひしぎ十字固めで佐々木に勝利。10月13日、仙台市夢メッセ西館ホール大会で気仙沼二郎と対戦。8分12秒、腕ひしぎ逆十字固めで勝利。

2015

15年3月14日、矢巾町民総合体育館大会でかめっしー1号、2号組、佐々木大地、郡司歩組を相手に3WAYでのタッグ王座の防衛戦。16分19秒、かめっしーたちがサスケを担いでメシア降臨をケイに決めて、郡司にケイがフォール負け。タッグ王座から転落した。7月18日、矢巾町民総合体育館大会のメインで気仙沼二郎の東北ジュニア王座に挑戦。19分47秒、真・マティマティカバスターに敗れた。

2016

16年5月15日、超花火プロレスの青森市はまなす会館大会で大仁田の爆破王座に電流爆破マッチで挑戦。11分49秒、サンダーファイヤーパワーボムに敗れた。6月4日、住田町生涯スポーツセンター大会で気仙沼二郎と対戦。12分51秒、卍固めで勝利。

2017

17年2月24日、 FMWの新木場1stRING大会で大仁田とランバージャックデスマッチで対戦。15分53秒、イスの上へのバックドロップに敗れた。7月30日、鶴岡市エスモール屋上駐車場大会で気仙沼二郎と対戦。15分10秒、セグウェイで勝利。9月3日、川西町羽前小松駅東側エコスノードーム前広場大会で気仙沼二郎と対戦。15分58秒、セグウェイで勝利。9月4日、後楽園ホールでのTAKAみちのくの25周年記念大会でデルフィン、東郷と組んで吉野、ダイナソー拓真、リッキー・フジ組と対戦。7分24秒、合体技のガオバババをくらって吉野にデルフィンがフォール負け。9月30日、みちのくプロレスの仙台ジョイテルホテル大会で東郷と組んでみちのくふたり旅タッグトーナメントに参戦し、1回戦でGAINA、のはし組と対戦。15分42秒、のはしの横入り式エビ固めにサスケがフォール負け。

2018

18年4月6日、GCWのルイジアナ州ニューオリンズ大会でジョーイ・ジャネラと対戦。ダイビング・フットスタンプに敗れた。5月2日、酒田市勤労者体育センター大会で気仙沼二郎と対戦。9分46秒、足4の字固めに敗れた。5月5日、矢巾町民総合体育館大会でラッセと対戦。17分45秒、乱入したシュウの看板が誤爆したところをエビ固めに丸めこまれてフォール負け。この大会後、バラモン兄弟と対立し、ムーの太陽が分裂。6月15日、後楽園ホール大会でミニマスター、ゴージャス松野、関根龍一と組んでシュウ、ケイ、ウルトラマンロビン、アブゴールド小林組と対戦。試合前に清水健太郎をリングに投入し、歌詞の一節である「ネェ、マスター」の部分を観客と共に歌いあげた。1本目は20秒、サスケがDDTでロビンに勝利。2本目は15分38秒、シュウ、ケイの五体不満足に松野が敗れた。3本目は9分11秒、小林のダイビング・バカチンガーエルボーからロビンにミニマスターがフォール負け。マスカラ戦だったため、ミニマスターがマスクを剥がされ、正体はプリティ太田だった。最後はバラモン兄弟が心酔し、ムーの太陽は再集結した。7月1日、黒石市スポーツ交流センター大会で気仙沼二郎と対戦。13分3秒、ヒールホールドに敗れた。9月8日、龍野市龍野ショッピング内特設リング大会で気仙沼二郎と対戦。14分37秒、セグウェイで勝利。9月28日、仙台サンプラザホールで行われたみちのくプロレス主催の「昭和プロレスフェスタin仙台」で藤原、グラン浜田と組んで百田光雄菊地毅、沼二郎組と対戦。9分39秒、藤原がワキ固めで沼二郎に勝利。10月31日、HEAT−UPのとどろきアリーナ大会で大谷譲二と組んでTAMURA、藤波辰爾組のHEAT−UPユニバーサルタッグ王座に挑戦。15分16秒、TAMURAのムーンサルトプレスに大谷が敗れた。11月16日、GCWのカリフォルニア州ロサンゼルス大会でDJZと対戦。セグウェイで勝利。11月18日、Aチームの北千住シアター101大会でHASEGAWAと有刺鉄線ボードデスマッチ。23分4秒、セグウェイで勝利。12月8日、DDT・伐折羅の新木場1stRING大会(プロレスとへヴィメタルのコラボイベントFUMA FEST)のメインでFUMAとハードコアマッチ。24分31秒、セグウェイで勝利。12月23日、大釜幼稚園体育館大会で川村興史と対戦。15分時間切れ引き分け。

2019

19年2月23日、横浜ラジアントホールでの原学の自主興行で原学と対戦。18分37秒、アンクルホールドに敗れた。6月14日、後楽園ホール大会で百田光雄、withプリティ太田と組んでバラモンシュウ、バラモンケイ、忍withゴージャス松野組と「第3001回チキチキ底抜け金網脱出ゲーム!!」。コーナーのフラッグ4本と、リング中央にぶら下げられたアンパン(アンパンは手を使って取ることが禁止)のうち、3つのアイテムを取得した時点で相手はキャプテンのみとなる試合形式での対戦となった。先に3つ取られて1対3の不利な展開となったが、34分15秒、サスケがワキ固めでケイに勝利。サスケは「昭和が!勝ったぞー!(場内から「昭和コール」)そして、そして、今は!令和!(場内から「令和コール」)改めて言う。いいですか、兄弟。シュウさん、ケイさん、忍!あなたたちが平成のダメなプロレスです!」とマイク。ケイは「待ってください!マスターだって、デビューは平成じゃないですか!」と答え、サスケは「細かいことは置いといて、もうこの際、平成のプロレスは忘れましょう!」とアピール。ケイは「平成を全部なかったことにするの?!」とうろたえるが、サスケは「これから新しい令和の時代を作っていこうじゃないですか!そうですよね!皆さん!ということで、明日からもがんばりましょう!パワーッ!」と一致団結し、ムーの太陽が再結成。7月18日から長期欠場する予定だったが、1年延長を宣言した。7月13日、矢巾町民総合体育館大会でバラモンシュウ、バラモンケイと組んでヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号、ラッセ組の千葉6人タッグ王座に挑戦。11分41秒、サスケがキャメルクラッチで2号に勝利。千葉6人タッグ王座を獲得した。7月14日、仙台ヒルズホテルみちのくホール大会でラッセ、ヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号組を相手に6人タッグ王座の防衛戦。10分9秒、2号のウラカンラナにケイが敗れて王座転落。8月18日、山形・エスモール屋上駐車場大会でバラモンシュウ、バラモンケイと組んでラッセ、ヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号組の千葉6人タッグ王座に挑戦。12分14秒、サスケがワキ固めでラッセに勝利。千葉6人タッグ王座を奪回した。8月22日、GCWの新木場1stRING大会でトニー・デッペンと対戦。12分7秒、脇固めで勝利。8月23日、GCWの新木場1stRING大会でジョーイ・ジャネラと対戦。16分31秒、セグウェイで勝利。8月24日、新木場1stRING大会でラッセ、ヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号組を相手に6人タッグ王座の防衛戦。12分36秒、2号のシージャにケイが敗れて王座転落。10月5日、滝沢市大釜幼稚園体育館大会でがばいじいちゃんとJAバンクハウスデスマッチ。17分93秒、野菜を獲得されて敗れた。10月14日、ウィル福島アクティおろしまち大会で最上九と組んでみちのくふたり旅タッグトーナメントに参戦し、1回戦で剣舞、ラッセ組と対戦。5分53秒、剣舞のダイビング・フットスタンプにサスケが敗れた。11月9日、八食センター厨ホール大会でのはしたろうと対戦。17分48秒、ダイビングヘッドバットに敗れた。

2020

20年1月12日、青森・八食センター厨ホール大会でHAPPY−MANと対戦。15分29秒、HAPPYアタックに敗れた。2月15日、新木場1stRING大会でHAPPY−MANと対戦。11分1秒、HAPPYアタックに敗れた。8月9日、滝沢市勤労者体育センター大会でのはしたろうと対戦。15分14秒、ダイビング・ヘッドバットに敗れた。11月22日、仙台ヒルズホテル・みちのくホール大会でプリティ太田と組んでヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号組の東北タッグ、UWA世界タッグ王座に挑戦。12分44秒、ダブルブレーンバスターをくらって1号に太田がフォール負け。

2021

21年4月5日、九州プロレスの西鉄ホール大会でばってん×ぶらぶら、がばいじいちゃんと3WAYマッチ。11分29秒、セグウェイで2人同時にフォール勝ち。5月4日、矢巾町民総合体育館大会で人生と組んでヤッペーマン1号、ヤッペーマン2号組のタッグ王座に挑戦。19分13秒、サスケが卍固めで2号に勝利。東北タッグ王座とUWA世界タッグ王座を獲得した。試合後、バラモン兄弟が現れてムーの太陽のメンバーをパートナーに選ばなかったことに不満を訴えられてムーの太陽が決裂。5月5日、仙台ヒルズホテル・みちのくホール大会で新崎人生、ディック東郷と組んでバラモンシュウ、バラモンケイ、プリティ太田組と対戦。6分11秒、両者リングアウト。6月4日、後楽園ホール大会のメインで新崎人生、グレート小鹿と組んでバラモンシュウ、バラモンケイ、アブドーラ小林組と棺桶マッチが予定されていたが、シュウがコロナウイルスに感染し、ケイが濃厚接触者となったため欠場。さらに大日本プロレスから新型コロナウイルス陽性者が出たことにより、小鹿と小林が欠場となった。そのためメインは人生との棺桶マッチに変更。23分17秒、棺桶の中へのパワーボム2連発をくらい、フタを閉められて3カウント。7月18日、仙台ヒルズホテル・みちのくホール大会で人生と組んでケイ、シュウ、プリティ太田組と棺桶デスマッチ。12分48秒、サスケがセグウェイで太田に勝利。試合後、サスケが棺桶に入れられ、プリティ太田が真のマスターになり、対立が激化。9月10日、後楽園ホール大会で生前葬を開催。開場後から大会開始時間まで一般客による焼香が行われ、みちのく所属選手たちによる焼香が終わると出棺の儀に移り、選手たちが棺桶に手を掛けたその瞬間、突然サスケが棺桶のフタをぶち破って蘇り、「サスケ!サスケ!サスケ!」とコールを煽りながら選手たちと一緒に大盛り上がりで退場。その後、ドキュメンタリー映画「THE GREAT SASUKE」(2016年アメリカ作品)が約70分に渡って上映された。メインで新崎人生、スペル・デルフィンと組んでディック東郷、MENVSテイオー、TAKAみちのく組と対戦。14分27秒、バラモン兄弟の乱入により無効試合。「サスケ、おまえの力は偽物なんだよ。12月の後楽園では、私とおまえの宇宙大戦争をやろうじゃないか。宇宙大戦争、開戦だぁ!」とプリティ太田(ミニマスター)から宣戦布告され、バラモン兄弟によってサスケが棺桶にたたきこまれて大会が終了した。10月3日、垂水漁港水産会館大会でのはしたろう、GAINA組を相手にタッグ王座の防衛戦。29分35秒、のはしのダイビング・ヘッドバットにサスケが敗れて王座転落。

2022

22年2月20日、みちのくプロレス道場大会で郡司歩と対戦。14分45秒、急所打ちからの横入り式エビ固めにフォール負け。2月27日、DDT・ガン☆プロの後楽園ホール大会で今成夢人と対戦。15分50秒、ラリアットに敗れた。3月6日、徳島市立体育館大会でGAINA、のはしたろう組を相手にタッグ王座の防衛戦。28分2秒、GAINAのラストライドに人生が敗れて王座転落。3月20日、仙台ヒルズホテルみちのくホール大会で新崎人生、愛澤No.1と3WAYマッチ。18分15秒、人生の極楽固めに愛澤が敗れた。5月3日、ウィル福島アクティおろしまち大会でラッセと対戦。13分25秒、デルフィンクラッチ狙いを回転エビ固めに切り返されてフォール負け。5月4日、秋田・セリオンプラザ大会でGAINA、Ken45°と3WAYマッチ。11分26秒、KenをおぶってのGAINAのおんぶプレスに敗れた。8月10日、登米市祝祭劇場水の里ホール大会でバラモンケイwithバラモンシュウと対戦。11分10秒、無効試合。直後にバラモンケイ、バラモンシュウとハンディギャップマッチ。5分4秒、サンドイッチキックに敗れた。8月11日、鶴岡市エスモール屋上駐車場大会でケイ、シュウとハンディギャップマッチ。10分8秒、両者リングアウト。再試合が行われ、9分17秒、シュウの首固めにフォール負け。8月13日、釜石市市民ホールTETTO大会でケイ、シュウと3WAYマッチ。11分6秒、五体不満足にフォール負け。8月14日、滝沢市勤労者体育センター大会でOSO11と対戦。6分24秒、カナディアンバックブリーカーに敗れた。9月10日、多古町コミュニティプラザ文化ホールでの多古町チャリティプロレスで田中将斗の世界ヘビー級王座に挑戦。16分41秒、スライディングDに敗れた。9月17日、矢巾町民総合体育館大会でバラモンケイと対戦。9分1秒、シュウの介入により反則勝ち。直後にシュウ、ケイとハンディキャップマッチ。2分54秒、サンドイッチキックをくらってケイにフォール負け。9月19日、山形ビッグウイング大会でケイ、シュウと3WAYマッチ。9分35秒、パウダー攻撃誤爆からサスケがケイにフォール勝ち。10月4日、後楽園ホールでのグローカル・タッグトーナメントに山谷林檎と組んで参戦し、1回戦でHUB、タイガースマスク組と対戦。4分1秒、HUBの猛毒波布空爆に山谷が敗れた。10月23日、銀座クルーズセントラルキッチン特設リングでの博愛まつりで大和ヒロシを相手に男気王座の防衛戦。22分21秒、ノーザンライトボムに敗れて王座転落。11月23日、GLEATの後楽園ホール大会で獅龍、HANZOと組んで人生、デルフィン、TAKAみちのく組と対戦。9分39秒、人生の念仏パワーボムに獅龍が敗れた。12月11日、Aチームの大阪・コレガスタジオ大会でHASEGAWAと有刺鉄線ボードデスマッチ。21分40秒、ダイビング・フットスタンプ・オン・ザ・有刺鉄線ボードに敗れた。

2023

23年1月7日、みちのくプロレス道場大会でMUSASHIと対戦。9分21秒、トゥルトーラに敗れた。2月12日、天龍プロジェクトの新木場1stRING大会で椎葉おうじと対戦。17分17秒、雲外蒼天に敗れた。3月18日、矢巾町民総合体育館大会で神取忍と対戦。9分46秒、裸絞めに敗れた。5月3日、秋田・セリオンプラザ大会でのはしたろうと対戦。15分6秒、キャメルクラッチに敗れた。11月22日、ハルミプロレスのARENA下北沢大会でMr.アトミックと対戦。12分55秒、ビッグファイヤーに敗れた。12月3日、BASARAの後楽園ホール大会でリル・クラーケンと対戦。12分9秒、飛び膝蹴りに敗れた。12月10日、山形ビッグウイング大会で新崎人生と組んで景虎、義経組の東北タッグ王座に挑戦。26分7秒、義経のシューティングスタープレスにサスケが敗れた。12月14日、プロミネンスの新木場1stRING大会で世羅りさとTLCSマッチ。16分41秒、ダイビング・ダブルニードロップwithラダー&チェアに敗れた。
スクラップブック
ザ・グレート・サスケ、レスラー人生でたった1回、流した涙を明かす・・・「東北でひっそりやってきて・・・」巣鴨・闘道館でのターザン山本!氏とのトークイベント
(スポーツ報知10月27日13:26配信)
 みちのくプロレスの創始者、ザ・グレート・サスケが26日、東京・巣鴨のプロレスショップ「闘道館」で元週刊プロレス編集長のターザン山本!氏(73)と「ザ・グレート・サスケという生き方」と題したトークイベントを行った。
 山本氏からアントニオ猪木氏(76)について聞かれたサスケは「私は、大大大好きです。全部が好きです」と明かした。その上で「我々の世代には、猪木派、馬場派と分かれていましたが、私はバリバリの猪木派でした」と続けた。山本氏から「みちのくプロレスで馬場派は誰か?」を聞かれると「馬場派の筆頭が(新崎)人生社長です。だからバランスが取れているんでしょうね。みちのくプロレスがおかげさまで長生きさせてもらっている大きな理由がそこかもしれません」明かしていた。
 さらに、山本氏から、1993年にみちのくプロレスを設立後に「ひいきにしていたレスラーはいた?」と聞かれ「4代目タイガーマスクとは、なぜかウマがあったんでひいきにしていました。プライベートを遊んだりして仲良かった。それで面白くないと思う選手が出てくるんです」と明かした。
 続けて99年1月に方向性の違いからスペル・デルフィンらが大量離脱したことに触れ「あの退団会見でデルフィン以外に並んでいた選手は(タイガーマスクに)嫉妬していた連中ですよ。しょうがないですんですよ。ウマが合うだから。だからといってタイガーマスクだけ報酬をアップするとか、不正な評価はしていませんよ」と振り返った。
 この発言に山本氏は、自らの編集長時代を引き合いにし「下の者は上の者に評価されたい願望が強い。だからオレが週プロの時、誰も評価しなかった。好き勝手にやっていいよと突き放していた。ただ、上の者は、下の者をひいきする権利がないとやってられない。プレッシャーがすごくて」と明かした。
 サスケは再びデルフィンら離脱事件に話を戻し「この時に頭をよぎったのが猪木さんの“これで大掃除ができた”っていう名言でした。それを思い出して、自分もこれを大掃除と捉えようと思い直したんですね」と猪木に感謝したが山本氏は「猪木さんの言葉は、どん底になった時に都合のいい言葉がいっぱいある。あれは、追い詰められた時に出た言葉なんです」と指摘したがサスケは「言葉のチョイスが素晴らしい。詩人のようです」と感嘆していた。
 イベントでは、サスケが初めて「週プロ」の表紙になった1993年12月7日号が披露された。当時を振り返ったサスケは「コンビニで表紙を見て、まさか自分がってどっきりカメラかと思いました」と感激したことを明かした一方で「初めて表紙になって“なんだ!これは!”と怒った人がいた。天龍さん」と苦笑いした。この時、サスケを表紙にした理由を山本氏は「メジャー団体がぬるま湯だったから、インディーを取り上げるしかなかった。それで辺境にある者を応援しようと思った。そういう意味でみちのくプロレスは最高だった。サスケさんを表紙にすると、メジャーが怒るんです。そうすると本気になるんです。そこが狙いだった。ワザとやったんです」と告白した。
 さらに、サスケはみちのくプロレスが初めて東京進出した1994年4月29日の大田区体育館大会について振り返った。この興行は、週刊プロレスを発行するベースボールマガジン社の主催興行だった。「今でも心に残っているのが当時の大田区体育館の控室は地下室でメインでリング上がるまでお客さんがどれぐらい入っているのか、見えなかったんです。半分ぐらい入っていればいいなぁって思って、入場で出たら超満員ですごいびっくりして…。東北だけでひっそりやってきて…と思ったら自然と涙が出てきました。プロレスをやって涙が出たのはあの1回きりです」と感慨にふけったが、山本氏は、あの興行の成功が自らの編集長辞任、ベーマガ退社、私生活での離婚につながったと明かし「あれが悲劇の始まりですよ。ターザン山本の没落は、あの大田区体育館ですよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」と絶叫していた。

宇宙大戦争の抗争の歴史。