レスラーノート

越中詩郎

1958年9月4日
東京都江東区出身
185cm 105kg
血液型:B型

通称
サムライ
ド演歌ファイター
タイトル歴
IWGPタッグ
WAR認定世界6人タッグ
IWGPジュニア
KO−Dタッグ
得意技
ヒップ・アタック
パワーボム

東京電力に1年勤める。78年7月、全日本プロレスに入門。入団当初パンチパーマをかけていたがすぐに先輩に丸坊主にされ眉毛まで剃られた。

2079

79年3月5日、千葉県館山市民センターの園田一治戦でデビュー。

1981

81年2月19日、福島県霊山町民体育館大会でこの日がデビュー戦となる後藤政二と対戦。5分26秒、逆エビ固めで勝利。初勝利を挙げた。

1983

83年にルー・テーズ杯争奪リーグ戦で三沢を破り優勝。5月20日、泉佐野市民総合体育館大会で三沢と組んで阿修羅原マイティ井上組のアジアタッグ王座に挑戦。越中のフライングニードロップが炸裂するなど予想以上の健闘を見せたが、12分51秒、原の雪崩式ブレーンバスターに三沢が敗れた。

1984

84年にメキシコに遠征。サムライ・シローの名で人気を獲得した。7月13日、アレナ・メヒコでエル・サタニコとカベジェラ戦で対戦し、敗れて髪の毛を剃られた。ともに遠征した三沢は84年8月に帰国しタイガーマスクとなったが、越中は一人残される。

1985

85年8月、新日本プロレスに移籍して帰国。帰国後、新日本プロレスの社長である坂口征二の提案で、ジャイアント馬場に退団の挨拶のため遠征先の八戸のホテルに向かう。偶然ホテルで天龍源一郎に会う。心配した天龍は、越中に付き添って馬場の部屋に向かうことにした。怒り心頭の馬場は、越中の方を向こうとしなかったが、全日本プロレスに乱入して小林邦昭の世界ジュニア王座挑戦をアピールするように要請した。天龍からの意見もあり、その提案を断り退出。天龍からは別れ間際に、驚くほどの額の餞別を渡された。

1986

86年2月、IWGPジュニア王座決定リーグ戦に出場。2月6日、両国国技館大会での決勝でザ・コブラと対戦。15分22秒、ジャーマンスープレックスで勝利。初代IWGPジュニア王座を獲得。3月14日、鹿児島県立体育館大会でドン荒川を相手に防衛戦。12分26秒、両者リングアウトの引き分け。その後、旧UWFから戻ってきた高田とジュニアベルトを争う。5月19日、後楽園ホール大会で高田を相手に防衛戦。13分32秒、ツームストンパイルドライバーに敗れて王座転落。5月27日、福岡国際センター大会で高田のIWGPジュニア王座に挑戦。19分5秒、両者リングアウトの引き分け。8月5日、両国国技館大会で高田のIWGPジュニア王座に挑戦。21分4秒、羽根折り顔面 絞めに敗れた。9月19日、福岡スポーツセンター大会で高田のIWGPジュニア王座に挑戦。会場の大声援を受けて、18分31秒、回転足折り固めでフォール勝ち。IWGPジュニア王座を奪回した。11月、ジャパンカップ争奪タッグリーグ戦に高田と組んで参戦。出場をキャンセルしたブロディースヌーカ組の代役となる急造タッグだったが、リーグ戦を5連勝し、大活躍を見せた。12月10日、大阪城ホール大会で山崎一夫を相手に防衛戦。21分52秒、エビ固めでフォール勝ち。86年度のプロレス大賞で高田と共に最優秀タッグチーム賞を受賞した。

1987

87年2月5日、両国国技館大会で高田を相手に防衛戦。21分24秒、脇固めで勝利。3月20日、後楽園ホール大会での王座決定戦で武藤と組んで前田、高田組を破り、IWGPタッグ王座を獲得。3月26日、大阪城ホール大会で前田、高田組に敗れてタッグ王座から転落。8月2日、両国国技館大会で右足首を負傷し、IWGPジュニア王座を返上。

1988

88年3月19日、後楽園ホール大会で馳浩のIWGPジュニア王座に挑戦。19分44秒、ドラゴンスープレックスに敗れた。5月8日、有明コロシアム大会で馳浩のIWGPジュニア王座に挑戦。18分10秒、ノーザンライトスープレックスに敗れた。6月24日、大阪府立体育会館大会でオーエン・ハートのIWGPジュニア王座に挑戦。14分7秒、回転足折り固めでフォール勝ち。IWGPジュニア王座を獲得した。6月26日、名古屋レインボーホール大会で小林邦昭を相手に防衛戦。19分26秒、ドラゴンスープレックスで勝利。7月22日、札幌中島体育センター大会でヒロ斉藤を相手に防衛戦。11分31秒、ジャックナイフ式エビ固めでフォール勝ち。8月8日、横浜文化体育館大会で小林邦昭を相手に防衛戦。9分9秒、逆さ押さえ込みでフォール勝ち。12月9日、後楽園ホール大会で山田恵一を相手に防衛戦。15分48秒、ドラゴンスープレックスで勝利。

1989

89年1月16日、大阪府立体育会館大会で馳浩を相手に防衛戦。16分42秒、首固めでフォール勝ち。2月8日、札幌中島体育センター大会で馳浩を相手に防衛戦。16分10秒、反則勝ち。3月16日、横浜文化体育館大会で馳浩を相手に防衛戦。14分56秒、ノーザンライトスープレックス2連発に敗れて王座転落。その後、ヘビー級に転向。

1990

90年9月7日、大阪府立体育会館大会でグレート・ムタの国内第1戦の対戦相手としてサムライ・シローの名で登場。雪崩式バックドロップなどで会場を沸かせたが、15分41秒、ムーンサルトプレスに敗れた。

1991

91年5月6日、後楽園ホール大会で佐々木健介と対戦。14分44秒、パワースラムに敗れた。9月10日、大阪府立体育会館大会で橋本真也と対戦。9分31秒、DDTに敗れた。

1992

92年8月、反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成。12月14日、大阪府立体育会館大会で天龍源一郎と対戦。20分42秒、パワーボムに敗れた。

1994

94年5月1日、福岡ドーム大会で谷津嘉章と対戦。12分16秒、パワーボムで勝利。11月6日、カブキ、小林邦昭、木村健悟後藤達俊小原青柳齋藤彰俊と共に平成維震軍を旗揚げ。

1995

95年12月11日、大阪府立体育会館大会で武藤のIWGP王座に挑戦。14分22秒、ドラゴンスクリューからの足4の字固めに敗れた。

1996

96年1月4日、東京ドーム大会で蝶野正洋と対戦。9分45秒、スモールパッケージホールドでフォール勝ち。9月19日、新日本プロレスの岡山県体育館大会での日米対抗スーパースターズ・トーナメント1回戦でヒュー・モリスと対戦。8分4秒、ヒップアタック2連発で勝利。9月21日、後楽園ホールでの2回戦でスティングと対戦。9分57秒、前方回転エビ固めで勝利。9月23日、横浜アリーナでの準決勝で橋本真也と対戦し、10分56秒、ヒップアタックで勝利。同日の決勝で佐々木健介と対戦し、12分10秒、ノーザンライトボムからのラリアット2連発に敗れた。

1997

97年4月12日、東京ドーム大会で石川孝志と対戦。11分16秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。

1998

98年1月4日、東京ドーム大会で蝶野と対戦。15分5秒、ケンカキックに敗れた。7月、天龍と組みIWGPタッグ王座に君臨。8月8日、大阪ドーム大会で天山広吉と対戦。8分24秒、ジャックナイフ固めでフォール勝ち。

1999

99年1月4日、東京ドーム大会で天山小島組を相手にタッグ王座の防衛戦。16分35秒、天山のダイビングヘッドバットに越中が敗れてタッグ王座から転落した。2月、維震軍解散を宣言。3月には健介とのコンビでIWGPタッグ王座に返り咲いた。4月10日、東京ドーム大会で藤波辰爾、天龍源一郎組を相手にタッグ王座の防衛戦。17分33秒、越中がパワーボムで藤波に勝利。全日本プロレスの大量離脱の時にはOBとして全日支援の姿勢を表明。

2000

00年1月4日、東京ドーム大会で小島と対戦。10分17秒、パワーボムで勝利。10月14日、古巣の全日本プロレスの後楽園ホール大会に登場。三冠王者決定トーナメントに出場。1回戦でジョニー・スミスと対戦。11分52秒、パワーボムで勝利。10月22日、大阪市中央体育館大会での準決勝で川田利明と対戦。18分23秒、パワーボムに敗れた。

2002

02年3月10日、後楽園ホール大会で後藤達俊と対戦。7分4秒、パワーボムで勝利。6月20日、宇都宮市体育館大会でロブ・レイジと対戦。5分24秒、ヒップアタックからのパワーボムで勝利。6月27日、春日井市総合体育館大会でダン・デバインと対戦。6分45秒、パワーボムで勝利。8月3日から始まったG1クライマックスに参戦。開幕戦の大阪府立体育会館大会で棚橋弘至と対戦。8分52秒、首固めにフォール負け。8月4日、大阪府立体育会館大会で吉江豊と対戦。10分54秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。8月5日、高松市総合体育館大会で天山広吉と対戦。11分2秒、パワーボムで勝利。8月7日、福岡国際センター大会で佐々木健介と対戦。8分33秒、ラリアットに敗れた。8月8日、広島グリーンアリーナ大会で高山善廣と対戦。12分、ジャーマンスープレックスに敗れた。リーグ戦は2勝3敗に終わった。9月8日、静岡・グランシップ大会で蝶野正洋と対戦。11分54秒、ヤクザキックに敗れた。11月3日、飯田市勤労者体育センター大会でエル・サムライと対戦。7分36秒、パワーボムで勝利。11月22日、後楽園ホール大会で魔界2号と対戦。3分26秒、パワーボムで勝利。12月4日、広島サンプラザホール大会で魔界2号と対戦。5分1秒、ジャンピング・ヒップアタックで勝利。

2003

03年1月15日、新日本プロレス事務所を訪れ、契約を更新せずに退団することを報道陣に表明。1月31日、新日本プロレスを退団。WJプロレスに参加。新日本プロレス時代には長州の運転手をしていた関係もあった。3月1日、横浜アリーナで行われたWJプロレスの旗揚げ戦で大仁田厚とノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ。8分5秒、毒霧を吐かれて火炎を投げつけられて反則勝ち。完全決着を望んでいた観客の大ブーイングを浴びた。3月15日、後楽園ホール大会で大森隆男と対戦。13分29秒、アックスギロチンドライバーに敗れた。4月19日、後楽園ホール大会で天龍源一郎と対戦。12分9秒、53歳に敗れた。4月30日、岡山武道館大会で大森隆男と対戦。12分22秒、アックスボンバーに敗れた。5月3日、グランキューブ大阪大会でレックス・メイヤーと対戦。11分11秒、パワーボムで勝利。5月22日、後楽園ホール大会で石井智宏と対戦。10分38秒、パワーボムで勝利。5月31日、広島サンプラザホール大会で新崎人生と対戦。13分50秒、極楽固めにレフリーストップ負け。6月29日、北海道立総合体育センター大会で長州力と組んで天龍源一郎、大仁田厚組と電流爆破タッグデスマッチ。7分50秒、天龍の53歳に越中が敗れた。7月3日、旭川大成市民センター体育館大会でマイク・シェーンと対戦。8分15秒、ミサイルヒップで勝利。7月4日、八戸市体育館大会でビッグ・ビトーと対戦。11分50秒、コーナーからのヒップアタックで勝利。7月20日、両国国技館大会でWJ最強者決定トーナメントに参戦し、1回戦でスティーブ・ウイリアムスと対戦。9分27秒、ドクターボムに敗れた。8月1日、熊谷市民体育館大会でマンモス佐々木と対戦。9分48秒、パワーボムで勝利。8月3日、駒沢オリンピック公園体育館大会で高智政光と対戦。8分42秒、ヒップアタックで勝利。8月21日、大阪府立体育会館大会で新崎人生と組んでWMGタッグ王者決定トーナメントに参戦し、1回戦でトッド・シェーン、マイク・シェーン組と対戦。12分28秒、人生が横入り式エビ固めでマイクにフォール勝ち。同日の準決勝で安生洋二、矢口壹琅組と対戦。12分32秒、越中がコーナーからのヒップアタックで矢口に勝利。同日の決勝で長州力、天龍源一郎組と対戦。15分10秒、長州のサソリ固めに人生が敗れた。8月25日、西海町スポーツガーデン大会で安生洋二と対戦。9分23秒、パワーボムで勝利。8月30日、柳井市体育館大会で木村浩一郎と対戦。8分25秒、パワーボムで勝利。9月9日、酒田市営体育館大会で矢口壹琅と対戦。12分32秒、ヒップアタックで勝利。9月22日、岐阜産業会館大会で石井智宏と対戦。11分49秒、パワーボムで勝利。9月28日、三重県営サンアリーナサブアリーナ大会で松崎駿馬と対戦。10分36秒、パワーボムで勝利。9月29日、和歌山県立体育館大会でスティーブ・マディソンと対戦。8分41秒、パワーボムで勝利。WJプロレスは興行面で不調が続く。大森隆男と共にWJ反選手会同盟である「レイバーユニオン」を結成したが、人気回復には至らなかった。その後、10月31日にフリー転向。11月1日、ノアの武道館大会に乗りこみ、「19年前の約束を果たしに来た」と三沢光晴に対戦を直訴。11月2日、WJのツインメッセ静岡大会で長州力と対戦。9分19秒、首固めでフォール勝ち。11月4日、WJの古川町農業者トレーニングセンター大会で大森隆男と組んで長州力、矢口壹琅組と対戦。11分54秒、レフリー失神、及び乱闘により試合続行が不可能となり無効試合に終わった。12月6日、ノアの横浜文化体育館大会で三沢とシングルで対戦。容赦のないナックルパートを三沢の顔面に叩きこみ、この対戦のためにあみだした新必殺技の侍ドライバー84は不完全ながらも決まり、試合を優位に進めたが三沢も反撃。タイガードライバー、フロッグスプラッシュ、フェイスロックと反撃されて、最後は18分39秒、変型エメラルドフロウジョンに敗れた。

2004

04年1月11日、WJの札幌テイセンホール大会で佐藤耕平と対戦。9分40秒、ヒップアタックで勝利。1月15日、ノアの諏訪市清水町体育館大会でリチャード・スリンガーと対戦。10分6秒、侍ドライバー84で勝利。1月16日、ノアの船橋アリーナ・サブアリーナ大会で泉田純と対戦。8分51秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。1月17日、ノアのディファ有明大会で井上雅央と対戦し、9分20秒、パワーボムで圧勝。1月31日、ZERO1のディファ有明大会(ZERO1・USAツアー最終戦)でサムライ・シローの名でCWアンダーソンと対戦。7分19秒、パワーボムで勝利。2月19日、ZERO1の後楽園ホール大会で大森隆男と組んで大谷晋二郎、田中将斗組のタッグ王座に挑戦。17分48秒、大森がアックスボンバーで田中に勝利。NWAインターコンチネンタルタッグ王座を獲得した。3月1日、後楽園ホールで行われたWJプロレスの旗揚げ1周年記念大会で矢口壹琅と対戦。10分12秒、ミサイルヒップで勝利。3月14日、ZERO1の札幌メディアパーク・スピカ大会で佐藤耕平、横井宏考組を相手にタッグ王座の防衛戦。15分33秒、大森がアックスボンバーで佐藤に勝利。3月26日、ZERO1の後楽園ホール大会で高岩竜一と対戦。9分36秒、侍ドライバー84で勝利。3月28日、ZERO1のアクトシティ浜松大会でゼブラーマンと対戦。5分58秒、ヒップアタックで勝利。4月18日、ZERO1の名古屋国際会議場イベントホール大会で田中将斗、黒田哲広組を相手にタッグ王座の防衛戦。15分58秒、大森がアックスボンバーで黒田に勝利。4月30日、ZERO1の後楽園ホール大会でスティーブ・コリノ、ジャック・ブル組を相手にタッグ王座の防衛戦。8分46秒、大森がアックスボンバーでブルに勝利。5月5日、冬木軍プロの川崎球場大会でミスター雁之助と対戦。13分15秒、侍ドライバー84で勝利。5月21日、ZERO1の後楽園ホール大会でシューティング・ウルフ、ナバホ・ウォリアー組を相手にタッグ王座の防衛戦。10分3秒、大森がアックスボンバーでウルフに勝利。6月8日、ZERO1の茂原市民体育館大会で橋本真也、横井宏考組を相手にタッグ王座の防衛戦。18分13秒、大森がアックスボンバーで横井に勝利。6月17日、ZERO1の宮城県スポーツセンター大会で橋本真也、藤原喜明組を相手にタッグ王座の防衛戦。14分4秒、橋本のDDTに越中が敗れて王座転落。6月20日、WJプロレスのウェルサンピア伊万里大会でGENTAROと対戦。7分30秒、ヒップアタックで勝利。7月1日、ノアの福島市国体記念体育館サブアリーナ大会でドノバン・モーガンと対戦。7分40秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。7月18日、全日本プロレスの両国国技館大会で平井伸和と対戦。9分18秒、侍ドライバー84で勝利。7月27日から始まったZERO1の火祭りに参戦。開幕戦のいわき市立総合体育館サブアリーナ大会で佐藤耕平と対戦。8分32秒、グラウンド・コブラツイストで勝利。7月29日、後楽園ホール大会で大谷晋二郎と対戦。10分56秒、ジャーマンスープレックスに敗れた。7月30日、大阪府立体育会館・第2競技場大会で金村キンタローと対戦。5分34秒、両者リングアウト。7月31日の田中将斗戦は不戦勝。9月3日、全日本プロレスの横浜文化体育館大会で本間朋晃と対戦。9分56秒、侍ドライバー84で勝利。9月10日、みちのくプロレスの後楽園ホール大会で気仙沼二郎と対戦。6分12秒、パワーボムで勝利。9月25日、全日本プロレスの後楽園ホール大会で荒谷望誉と対戦。9分42秒、座っている相手の顔面へのランニング・ヒップアタックで勝利。10月9日、ノアの後楽園ホール大会で潮崎豪と対戦。7分37秒、ヒップアタックで勝利。12月4日、リキプロのサイパン島、カン・パシフィック・ベースボール・フィールド大会でGENTAROと対戦。6分26秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。

2005

05年1月20日、ノアの高知県民体育館大会でドノバン・モーガンと対戦。5分36秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。1月31日、リキプロの名古屋市総合体育館・第3競技場大会で関本大介と対戦。10分59秒、ヒップアタックで勝利。2月22日、ノアの相模原市立総合体育館サブアリーナ大会で菊地毅と対戦。9分25秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。5月15日、ノアのディファ有明大会で森嶋猛と対戦。8分12秒、ダイビング・ヒップアタックからのパワーボムで勝利。6月5日、リキプロの後楽園ホール大会で宇和野貴史と対戦。10分23秒、侍ドライバー84で勝利。6月24日、リキプロの福島市体育館大会で矢口壹琅と対戦。7分56秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。7月1日、リキプロの佐世保市体育文化館大会でGENTAROと対戦。10分7秒、侍ドライバー84で勝利。7月3日、 リキプロの和歌山県立体育館大会でマンモス佐々木と対戦。7分55秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。7月4日、リキプロの大阪府立体育会館・第2競技場大会で関本大介と対戦。9分38秒、パワーボムで勝利。10月15日、ノアのディファ有明大会で橋誠と対戦。11分16秒、パワーボムで勝利。

2006

06年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で大森と組んで蝶野、天山組のIWGPタッグ王座に挑戦。19分28秒、蝶野のシャイニングケンカキックに越中が敗れた。1月5日、リキプロの後楽園ホール大会で後藤洋央紀と対戦。7分4秒、ヒップアタックで勝利。2月28日、キングスロードの後楽園ホール大会でターザン後藤と組んでジョージ・ハインズ、スティーブ・コリノ組と対戦。16分50秒、越中がダイビング・ヒップアタックでハインズに勝利。5月3日、福岡国際センター大会で山本尚史と対戦。8分11秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。5月7日、京都市体育館大会で真壁刀義と対戦。7分12秒、パワーボムで勝利。7月2日、後楽園ホール大会でIWGP暫定タッグ王座決定トーナメントに真壁刀義と組んで参戦し、1回戦で永田裕志、山本尚史組と対戦。14分47秒、越中がダイビング・ヒップアタックで山本に勝利。同日の決勝でジャイアント・バーナード、トラヴィス・トムコ組と対戦。11分15秒、真壁が横入り式エビ固めでトムコにフォール勝ち。IWGP暫定タッグ王座を獲得した。7月17日、月寒グリーンドーム大会で中西学、大森隆男組を相手に暫定タッグ王座の防衛戦。15分17秒、中西のヘラクレスカッターに真壁が敗れて王座転落。7月27日、後楽園ホールでのWARのファイナル興行で齋藤彰俊、小原道由、青柳政司と組んで天龍源一郎、北原光騎、折原昌夫、ドン・フジイ組と対戦。15分23秒、天龍の53歳に青柳が敗れた。9月24日、アパッチプロレスの後楽園ホール大会で黒田哲広と対戦。13分45秒、パワーボムで勝利。10月15日、西尾市錦城体育館大会で宇和野貴史と対戦。7分4秒、パワーボムで勝利。10月15日から始まったG1タッグリーグに真壁刀義と組んで参戦。リーグ戦は1勝3敗に終わった。12月7日、大阪市中央公会堂大会で棚橋弘至と対戦。12分3秒、ハイフライフローに敗れた。12月10日、愛知県体育館大会で真壁刀義と組んで中西学、大森隆男組のIWGPタッグ王座に挑戦。17分17秒、中西のヘラクレスカッターに越中が敗れた。

2007

07年2月18日、両国国技館大会で中西学と対戦。9分30秒、ジャンピング・ヒップアタックで勝利。3月10日、幕張メッセ大会でのNEW JAPAN CUP1回戦で中西学と対戦。10分3秒、マナバウアーに敗れた。3月19日、ソウル・コネクションの新宿FACE大会で“brother”YASSHIと対戦。15分1秒、パワーボムで勝利。4月13日、大阪府立体育会館大会で天山広吉と組んでジャイアント・バーナード、トラヴィス・トムコ組のIWGPタッグ王座に挑戦。15分47秒、マジックキラーをくらってトムコに天山がフォール負け。同年にお笑い芸人のケンドーコバヤシが越中をネタに使ったことで人気爆発。会場人気が後押しして、5月2日の後楽園ホール大会でIWGPヘビー級王者の永田裕志に挑戦。越中にとっては11年2ヶ月ぶりのIWGP王座挑戦となった。新撰組の羽織袴で入場。入場時の大「越中」コールに感極まって涙を見せ、涙を我慢するためにリング外を1周してから入場した。序盤はヒップ攻撃で優位に立ち、ジャーマン、回転足折り固め、軸足払い、パワーボム、侍ドライバー84などで奮闘したが、ミドルキックなどで反撃され、14分11秒、バックドロップホールドに敗れた。試合後の永田は「今日は張り切りすぎていつもより打点がすごかったな。いきなり1発目が唇に入ったんですよ。平成維震軍の頃ね、新弟子でいいようにいたぶられてた時を思い出しました。気持ちが不可能を可能にしたというか。いつもより打点を高くした気迫というか」と越中のヒップアタックを讃えた。7月12日、Zepp Sendai大会で長州を相手にG1クライマックス出場者決定戦。7分13秒、横入り式エビ固めでフォール勝ち。7月22日、後楽園ホールで行われたウルティモ・ドラゴン主催興行でサムライ・シローの名で田島久丸と対戦。3分35秒、ジャンピングヒップアタック2連発からのダイビング・ヒップアタックで勝利。8月5日から始まったG1クライマックスに参戦。開幕戦の大阪府立体育会館大会で中西学と対戦。10分30秒、ジャーマンスープレックスで勝利。8月6日、ツインメッセ静岡大会でミラノコレクションA.T.と対戦。10分29秒、モンキーフリップを狙ったところをエビ固めに上から押さえつけられてフォール負け。8月8日、横浜文化体育館大会で中邑真輔と対戦。10分34秒、ヒップアタックからの侍ドライバー84で勝利。8月10日、愛知県体育館大会で矢野通と対戦。ダイビングヒップアタックをイスで迎撃されて、9分52秒、スピアーからの鬼殺しに敗れた。8月11日、両国国技館大会で棚橋と対戦。大声援を受けて奮闘したが、17分4秒、ハイフライフローに敗れた。リーグ戦は2勝3敗に終わった。8月25日、松阪市総合体育館大会で石井智宏と対戦。10分6秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。10月8日、両国国技館大会で真壁と対戦。10分22秒、ダイビング・ニードロップに敗れた。10月10日、新日本プロレス「LOCK UP」の四日市オーストラリア記念館大会で飯塚高史と対戦。11分38秒、ジャパニーズレッグロールクラッチホールドでフォール勝ち。10月13日からメキシコ遠征。ルードとして活躍。11月23日、埼玉・桂スタジオ大会で本間朋晃と対戦。11分25秒、ジャンピング・ヒップアタックで勝利。

2008

08年2月2日、三条市厚生福祉会館大会で平澤光秀と対戦。8分28秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。2月11日、岐阜産業会館大会で本間朋晃と対戦。9分4秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。2月14日、ひたちなか市松戸体育館大会で石狩太一と対戦。9分32秒、パワーボムで勝利。4月16日、熊谷市民体育館大会で本間朋晃と対戦。8分40秒、ダイビング・ヒップアタックで勝利。7月27日、ハッスルの横浜文化体育館大会でザ・モンスター℃と対戦。ハチマキ、袴姿のケンドー・コバヤシがセコンドにつき応援。6分16秒、ダイビング・ヒップアタックからのパワーボムで勝利。試合後「おい、総統?ふざけんなこのやろー、高田延彦だろ」と高田総統を挑発。「おいエッチュー、高田延彦は、おまえなんかに興味がないと思うよ。いつまでも過去を引きずってるんじゃないよ。なにがサムライだよ」と高田も答えるが、越中は「今どき小学生でもそんな格好しねえよ。この夏はバリバリ熱くさせてやるって。やってやるって!」と、「まだ話が終わってないよ」と困惑する高田総統を無視してリングを後にした。8月21日、ハッスルの後楽園ホール大会でのハッスルGP1回戦で天龍源一郎と対戦。9分14秒、ブレーンバスター4連発で勝利。8月23日、ハッスルの大阪府立体育会館大会での2回戦で坂田亘と対戦。坂田が入場した瞬間にヒップアタックで場外に転落させ、エプロンからダイビングヒップアタックの奇襲。パワーボムやダイビングヒップアタックなどで追いこんだが、16分39秒 、スーパーキックに敗れ、坂田の握手を拒否してリングを降りた。9月17日、ハッスルの後楽園ホール大会で長尾浩志と対戦。7分19秒、パワーボムで勝利。11月1日、大仁田厚プロレスリングの飯田市勤労者体育センター大会で黒田哲広と対戦。11分59秒、ミサイルヒップで勝利。

2009

09年2月22日、ハッスルの幕張メッセ 大会で川田利明と対戦。14分28秒、PKに敗れた。8月27日、後楽園ホールでのハッスルのリングで、デビュー30周年記念大会を開催。メインで永田、ライガーと組んで天龍、川田、TAJIRI組と対戦。15分18秒、越中のパワーボムでTAJIRIに勝利。試合後に「越中詩郎はこれからもバリバリつっ走っていきます。応援よろしくお願いします。それじゃあいくぞ、3、2、1、やって、やるって!」で観客と一緒にポーズを決めた。10月10日、ハッスルの両国国技館大会でハッスル連合軍対RIKI軍団の5対5の勝ち抜き戦に中堅として登場。坂田亘と対戦し、5分29秒、ジャパニーズレッグクラッチホールドで勝利。次に高山善廣と対戦し、3分12秒、エベレストジャーマンに敗れた。この大会を最後にハッスルが崩壊。12月、ZERO1のタッグリーグ戦「風林火山」に大原はじめと組んで出場。2勝1敗1引き分けでリーグ戦に敗退した。

2010

10年5月20日、ZERO1の新木場1stRING大会で澤宗紀と対戦。8分5秒、パワーボムで勝利。8月29日、DDTの後楽園ホール大会で男色ディーノと組んでKO−Dタッグ王者の高木、澤組、MIKAMI、タノムサク鳥羽組を相手に王座戦。13分55秒、ディーノがゴッチ式男色ドライバーからの漢固めで高木にフォール勝ちし、KO−Dタッグ王座を獲得。9月26日、DDTの後楽園ホール大会で大鷲、HARASHIMA組を破り初防衛に成功。11月14日、大阪府立体育会館第二競技場大会でアントーニオ本多、佐々木大輔組に敗れて王座転落。

2012

12年1月15日、アパッチプロレスのハイブ長岡大会で黒田哲広と組んで金村、田中将斗組と対戦。11分24秒、黒田がラリアットで金村に勝利。6月13日、ノアの楽園ホール大会のメイン(三沢光晴メモリアルマッチ)で森嶋、佐々木健介と組んで秋山潮崎齋藤組と対戦。森嶋とダブルのヒップアタックを決めるなど会場を沸かせたが、21分48秒、潮崎のリミットブレイクに森嶋が敗れた。試合後に左脛骨骨折の疑いで救急車で病院に運ばれた。ボルト8本、プレート1枚を入れる手術を行った。左足首脱臼骨折のため、長期欠場。

2013

13年7月7日、ノアの有明コロシアム大会で復帰戦。藤波と組んで小川良成、井上雅央組と対戦。10分18秒、藤波がドラゴンスリーパーで井上に勝利。

2014

14年6月8日、Wー1のニューサンピア高崎大会で浜亮太稲葉と組んで河野KAZMAデュプリ組と対戦。7分36秒、浜がランニングボディプレスでKAZMAに勝利。6月13日、ノアの後楽園ホールでの「三沢光晴メモリアルナイト2014」で天龍、小川良成と組んで森嶋、谷口、大原組と対戦。9分57秒、越中がパワーボムで大原に勝利。6月18日、後楽園ホールでの金村キンタローの自主興行でカブキ、青柳と組んで大仁田保坂鷹木組と対戦。7分58秒、青柳が延髄斬りで大仁田に勝利。8月1日、ZERO1の名古屋国際会議場イベントホール大会のメインで青柳と組んで大仁田、KAI組を相手に電流爆破マッチで対戦。14分51秒、4人同時被爆から大仁田に青柳がフォール負け。9月21日、W−1の石川産業展示館3号館大会で中之上と組んで河野、KAZMA組と対戦。10分31秒、越中がパワーボムでKAZMAに勝利。

2015

15年4月3日、天龍プロジェクトの新宿FACE大会のメインで天龍と組んで高木三四郎竹下組と対戦。8分35秒、天龍がラリアットで高木に勝利。6月19日、ノアの後楽園ホール大会で齋藤と組んで小川良成、井上雅央組と対戦。ダイビングヒップアタックで会場を沸かせ、11分45秒、齋藤がスイクルデスで井上に勝利。9月17日、K−DOJOの新宿FACE大会で吉江と組んで火野、洞口組と対戦。14分49秒、越中がパワーボムで洞口に勝利。9月21日、W−1の後楽園ホール大会で天龍、河野と組んでムタ、KAZMA、論外組と対戦。16分17秒、越中がダイビングヒップアタックで論外に勝利。11月15日、両国国技館での天龍の引退興行でと組んで太陽ケア、相島組と対戦。9分54秒、越中のダイビングヒップアタックから嵐がパワーボムで相島に勝利。

2016

16年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会での時間差バトルロイヤルに出場。8月28日、DDTの両国国技館大会で高木、論外と組んでカブキ、坂口征夫、梅田組と対戦。11分23秒、高木がシットダウンひまわりボムで梅田に勝利。

2017

17年2月8日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズのメインで青柳をセコンドにカブキ、AKIRA、齋藤彰俊と組んで武藤、長州、藤波、ライガー組と対戦。15分23秒、武藤のムーンサルトプレスにAKIRAが敗れた。7月26日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで青柳をセコンドにAKIRA、齋藤彰俊と組んでグレート小鹿関本岡林組と対戦。15分35秒、越中がミサイルヒップアタックで小鹿に勝利。10月27日、ドラディションの後楽園ホール大会で藤原と組んで長井、ヒロ斉藤組と対戦。11分45秒、越中がミサイルヒップアタックで斉藤に勝利。10月29日、ドラディションの大阪南港ATCホール大会でAKIRA、カブキと組んで藤波、長州、マスカラス組と対戦。8分53秒、マスカラスのフライングボディアタックにAKIRAが敗れた。

2018

18年2月16日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズで青柳、齋藤彰俊と組んで小鹿、タイガー戸口百田光雄組と対戦。10分49秒、小鹿の首固めに青柳がフォール負け。4月20日、ドラディションの後楽園ホール大会で藤原と対戦。執拗に首を絞めあげられ、きちんと制止しないレフリーに対して怒った越中がヒップアタックしたため、9分11秒、反則負け。7月31日、ノアの横浜ラジアントホール大会で小峠篤司、林棟軒を相手に3WAYマッチ。10分1秒、越中がピップアタックで林に勝利。8月21日、後楽園ホールでのプロレスリング・マスターズでAKIRA、青柳、齋藤彰俊と組んで(セコンドにカブキ)、馳、太陽ケア、人生大谷組(セコンドに武藤)と対戦。 21分9秒、武藤のシャイニングウィザードをくらった直後に馳のノーザンライトスープレックスをくらってAKIRAが敗れた。12月22日、仙台PITで行われたみちのくプロレス主催の「昭和プロレスフェスタin仙台2」のメインでカブキをセコンドに青柳政司、齋藤彰俊、AKIRAと組んで日向寺塁、卍丸、Ken45°、拳剛組と対戦(セコンドに郡司歩)。18分15秒、越中がパワーボムで拳剛に勝利。

2019

19年1月30日、後楽園ホールでデビュー40周年記念大会を開催。真霜、AKIRA、青柳、齋藤と組んで(セコンドにカブキ)、橋本大地、遠藤、芦野清宮、最上組と対戦。25分15秒、真霜が垂直落下式ブレーンバスターで最上に勝利。8月30日、プロレスリング・マスターズの後楽園ホール大会でカブキをセコンドに青柳、AKIRA、青柳、齋藤彰俊と組んでノートン、天山、小島、ヒロ斉藤(セコンドは蝶野)組と対戦。11分6秒、青柳が横入り式エビ固めで斉藤にフォール勝ち。10月30日、ZERO1の水戸市民体育館大会で風林火山タッグトーナメントに大谷晋二郎と組んで参戦し、1回戦で田中将斗、黒田哲広組と対戦。15分17秒、黒田のサムソンクラッチに大谷がフォール負け。11月3日、OSWの東京芸術センター・ホワイトスタジオ大会でミラクルマンと対戦。12分41秒、ジャンピング・ヒップアタックで勝利。

2020

20年2月2日、チームでらの刈谷市産業振興センター大会で青柳政司と組んで杉浦透、小杉研太組と対戦。12分13秒、越中がダイビング・ヒップアタックで小杉に勝利。10月21日、OSWの新木場1stRING大会でミラクルマンと組んでくいしんぼう仮面、入江茂弘組と対戦。11分22秒、越中がダイビング・ヒップアタックでくいしんぼう仮面に勝利。11月18日、OSWの新木場1stRING大会で鈴木鼓太郎と組んで井上雅央、田中稔組と対戦。15分20秒、越中がダイビング・ヒップアタックで井上に勝利。12月13日、ZERO1の田原市総合体育館大会で大谷晋二郎と組んでクリス・ヴァイス横山佳和組と対戦。18分19秒、越中がコーナーからのヒップアタックで横山に勝利。

2021

21年1月4日、ノアの後楽園ホール大会で齋藤彰俊と組んでヨネ、谷口周平組と対戦。8分35秒、齋藤がランニング・スイクルデスで谷口に勝利。4月25日、天龍プロジェクトの新木場1stRING大会でAKIRA、真霜拳號と組んで進祐哉、拳剛、那須晃太郎組と対戦。21分59秒、AKIRAがムササビプレスで那須に勝利。

2022

22年4月10日、両国国技館でのZERO1の20周年&21周年記念大会で藤波辰爾、LEONAと組んで藤原喜明船木誠勝アレクサンダー大塚組と対戦。10分18秒、藤波がドラゴンスリーパーで大塚に勝利。5月1日、新日本プロレスの福岡ドーム大会で、コロナで欠場となった藤浪の代役のXとしてサプライズ登場。鷹木信悟、BUSHIと組んでタイチザック・セイバー・ジュニアTAKAみちのく組と対戦。10分15秒、タイチのタイチ式外道クラッチに鷹木がフォール負け。9月18日、日本武道館(18年7ヶ月ぶりの日本武道館大会)で行われた全日本プロレス50周年記念大会で渕正信、大仁田厚と組んでグレート小鹿、谷津嘉章、井上雅央組と対戦。セコンドのカブキがレフリーの死角をついて井上に毒霧を吐いて、11分55秒、渕がバックドロップ2連発で井上に勝利。



スクラップブック
(週刊プロレスNo.1480 越中のインタビューより メキシコ遠征時代)
最初は本名で試合をやっていて、ワーッて沸いてくれるんだけど、ファンが名前を覚えてくれないから、簡単で覚えてもらえる名前を考えなきゃいけないと思っていたんですよ。そんな時に乗ったのが日本車のタクシーで「この車、何ていう名前なの?」って運転手に聞いたら「サムライ!」って言うから「いいじゃない。三沢。俺はこれでいくぞ。俺がサムライ・シローなんだから、お前もミサワ・ミツハルじゃ駄目だ」って。そうしたら「カミカゼっていう日本の車があるんですよ」って三沢が言うから「じゃあ、お前はカミカゼにしろ」って。それでカミカゼ・ミサワ。あいつ、あんまり嬉しそうな顔しなかったな(苦笑)。でも、僕は説得したんですよ、「まず、この地で名前を覚えてもらうのが先決じゃねぇか」って。