レスラーノート

ケン・パテラ

KEN PATERA

1942年11月6日
オレゴン州ポートランド出身
185cm 150kg

タイトル歴
ミズーリ・ヘビー
インターコンチネンタル・ヘビー
AWA世界タッグ
ジョージア・ヘビー
得意技
ベアハッグ

パワーファイター。72年、ウェイトリフティングではミュンヘン五輪で銅メダル。バーン・ガニアにスカウトされてプロレス入り。73年1月、国際プロレスに初来日。77年1月17日、WWFのマジソンスクエアガーデン大会でブルーノ・サンマルチノをリングアウトで破る。10月、全日本プロレスに登場。馬場のPWF王座に挑戦。80年2月18日、ボブ・バックランドのWWF王座に挑戦。レフリーはパット・パターソン。この試合のレフェリングに不服だったパテラは、パターソンと抗争。4月21日にパターソンを破り、インターコンチネンタル王座を獲得。4月25日、セントルイスでケビン・フォン・エリックを破りミズーリ・ヘビー級王座を獲得。11月21日にテッド・デビアスに敗れてミズーリ・ヘビー級王座から転落。12月8日にペドロ・モラレスに敗れてインターコンチネンタル王座から転落。新日本プロレスでは武道館でのスペシャルイベントで猪木と対戦。凄まじいタフネスぶりを見せ猪木を追い込み高い評価を受けた。81年2月4日、大阪府立体育館大会でアントニオ猪木のNWF王座に挑戦。ベアハッグ、スイングフルネルソンなどのパワーファイトで圧倒したが、12分37秒、バックドロップに敗れた。6月12日、アトランタでジョージア・ヘビー級王座を獲得。84年に警官に暴行を働き、マサ斎藤を巻き添えにして逮捕され、3年の実刑判決を受けた。マサ斎藤は「暗がりでよくわかんなくて、ケン・パテラが助けを求めるから」と、十数人の警官を倒し、逮捕された。87年に出所し、同年春にWWFに登場。89年にAWAに登場。AWA崩壊後はインディ団体を転戦。