レスラーノート

アニマル・ウォリアー

ANIMAL WARRIOR
本名:ジョゼフ・ラリナイダス
1961年1月26日
ミネソタ州ミネアポリス出身
190cm 130kg

通称
暴走戦士
タイトル歴
AWA世界タッグ
インタータッグ
NWA世界タッグ
WWF世界タッグ
WWEタッグ
UWA世界タッグ
得意技
パワースラム

タッグチーム、ロード・ウォリアーズで80年代に大人気だった筋肉派レスラー。顔にペイントし、映画「マッドマックス」のような暴走族スタイルの外見。荒削りなバイオレンスファイトを得意とした。大学を中退後、ミネアポリスでE・シャーキーのコーチを受け82年11月にプロレス入り。デビュー当初のリングネームはジョー・ローリネーティー(ジョー・ローレンという説もある)。ノースカロライナにブッキングされたが、大きな活躍ができずにミネアポリスに戻る。83年6月、オレイ・アンダーソンのブッキングでNWAジョージア地区に転戦し、ポール・エラリングをマネージャーに、ホーク・ウォリアーとロード・ウォリアーズ結成。 84年8月にAWA世界タッグ王座を獲得。 85年3月、全日本プロレスに初来日。3月9日、来日2戦目となる両国国技館大会で鶴田天龍組のインタータッグ王座に挑戦。両国国技館でのプロレス初使用となった大会で持ち味を発揮し、1本目は7分35秒、ホークがラリアットで鶴田に勝利。2本目は2分13秒、ホークが鶴田をフルネルソンにとらえたところを天龍に倒されてジャーマンのような体勢となり、ダブルフォールとしてカウントが叩かれたが、直前で鶴田が肩を上げたためホークのフォール負け。3本目は、この判定に納得がいかないウォリアーズが試合放棄。暴動寸前の大混乱の幕切れとなった。3月14日、愛知県体育館大会でのシリーズ最終戦で長州カーン組を相手にAWA世界タッグ王座の防衛戦。5分30秒、両者リングアウトに終わった。 86年4月、ニューオリンズのスーパードームで開催された「世界タッグ五輪」で優勝。 87年3月12日、日本武道館大会で鶴田、天龍組のインタータッグ王座に挑戦。ダブルインパクト(アニマルが天龍を肩車してホークがダイビングラリアット)で天龍をグロッキー状態にさせ、さらにアニマルが場外でパイルドライバー。11分17秒、リングアウト勝ちしてインタータッグ王座を獲得した。 88年10月、NWA世界タッグ王座を獲得。 90年7月に新日本プロレスに登場。帰国後にリージョン・オブ・ドゥームのチーム名でWWFに移籍。 91年3月30日、SWSの東京ドーム大会でホークと組んで天龍、ホーガン組と対戦。同時にリフトアップスラムでたたきつける見せ場を作り、リングアウト勝ち。8月、ナスティ・ボーイズを破りWWF世界タッグ王座を獲得。 92年9月に解散し、リングを離れた。 96年1月にWCWでホークと再結成。4月に新日本プロレスでパワー・ウォリアー(佐々木健介)とトリプル・ウォリアーズを結成してスコット・ノートン、スタイナーズ組に勝利。9月16日、新日本プロレスの愛知県体育館大会で天山広吉と対戦。4分17秒、パワースラムで圧勝。 97年2月、WWFにチーム名をLODと改名して登場。10月にWWF世界タッグ王座を獲得。 01年1月にWCWに復帰するが3月に団体が崩壊。インディ団体XWFに参加。12月9日、ZERO−ONE「真撃」の大阪城ホール大会でホークと組んで大谷田中組と対戦。15分6秒、ダブルインパクトからのアニマルのラリアットで大谷をKOして、レフリーストップ勝ち。 02年6月には新団体IWSを旗揚げ。同年の年末には全日本プロレスの世界最強タッグリーグ戦に武藤敬司と組んで出場し、5勝2敗の2位。 03年3月1日からはWJプロレスにホーク・ウォリアーと共に出場。 04年、IWAジャパンに来日。 05年にWWEに登場。7月24日、「グレート・アメリカン・バッシュ」でハイデンライクと組んでWWEタッグ王座を獲得。 06年6月にWWEを離脱。その後はセミリタイア。 07年6月17日、TNAの特番「スラミバーサリー」でリック・スタイナーと組んでチーム3Dの持つTNA世界タッグ王座に挑戦。6分39秒、リックが3Dで敗れた。9月1日、健介オフィスのディファ有明大会でパワー・ウォリアーとヘル・ウォリアーズを結成。ブードゥー・マーダーズの近藤修司、YASSHI組と対戦し、6分11秒、ダブルインパクトで勝利。 08年5月11日、アレナ・メヒコでの闘龍門自主興行「ドラゴマニア3」で、UWA世界タッグ王座決定戦に出場。パワー・ウォリアーと組んでテリブレ、ダミアン666組と対戦。1分50秒、ダブルインパクトでテリブレからフォールを取りUWA世界タッグ王座を獲得した。 12年7月17日、WWE・RAWに登場。ヒース・スレーターと対戦し、パワースラムからのエルボードロップで勝利した。 17年2月23日、DSWの新木場1stRING大会に来日。宮本和志ロブ・テリー組のマネージャーとして登場し、タッグ王座獲得に貢献した。 20年9月22日、ミズーリ州オーセージ・ビーチの自宅で死去。